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2021年6月30日水曜日

感情の暴走を減らす方法


あなたは、ついカッとなってしまった経験はないでしょうか?

最近では、コロナショックの中で「自粛」「自粛」と言われて、疑心暗鬼になり感情を暴走させている人も多く見かけるように思います。

また、おとなしくしている人も感情を押し込んでいるだけで不穏な雰囲気を感じる事も多いです。

きっといつかどこかで爆発するのではないかと思います。

このような感情の爆発は、いろんな犯罪とかトラブルなどで多く見かけます。

また、アンガーマネジメントというように、怒りの管理ができないと社会生活を送ることすら難しいと言われる場合もあります。

つまり、感情が暴走するのを、自分で自覚して制御するという技術は、今の社会人には当然持っているべき能力で、ないと、著しく不利になると思います。



今日は、EQ こころの知能指数ということで、こちらの書籍から感情の管理について、考えてみたいと思います。

私たちは怒りがあると、必ずと言っていいほど「原因」を重視します。

ただ、その原因が数十年昔だったら、どうしますか?

「数十年前に怒りの原因を、埋め込まれました……」と言っても、相手は納得するかどうかはわかりません。

ただ、実際には本人でも忘れ去ったような、赤ちゃんの頃の体験が、今の感情に大きく影響していることが多いのです。


こちらのイラストは、脳のイメージ図です。

ちょっと説明すると、私たちは目に見えたものや人を、「視床」という場所で認識して、それが「視覚皮質」で色々と検討します。

つまり、「どうしよう」「どう反応しよう」などと作戦をするのです。

そのあと、扁桃核にその作戦が送られて、実際にどういう感情を反応するか、行動するかを表出していきます。

でも、「視床」にもう一つ点線の矢印があるように、何か本人にとって印象的なことが目に入ると、「視覚皮質」に行かずに直接、扁桃核に情報が送られて突発的な反応をしてしまいます。

これが感情の暴走とか、感情の爆発、パニック状態などと言われるものです。

多くの強迫的な症状などは、このように視床から扁桃核に直接向かっているので、思考が入ってない状態です。

だから「ついカッとして」というような言葉が、後から出てくるのです。

これは、「ついカッとして」というように、あまり正確ではないのです。

この扁桃核には、幼い頃からの感情が引き出しのようになって、入ってます。



しかもこんな感じで、あまり綺麗に整頓してないので、現実に起きていることと扁桃核から出てくる感情が、合ってないことも多いのです。

だから、「ついカッとして」👉後から後悔するのです。

特に、幼い頃にトラウマになるような、恐ろしい経験や寂しい思いをしてきた人は、この扁桃核の感情が激しいので、虐待を受けたり無視をされ続けた人は、トラブルや事件を起こす確率も高くなってしまうのです。

また、このような教育とか情動教育は、日本ではほとんど行われておらず、やっていても教える側の解釈によって、かなり方向性が違ってきています。

だから、このような症状に苦しむ子供の耳には、自分で調べない限りは、このような事実が伝わってこないのだと思います。

そして、「これは自分ではどうしようもできない性格だから」「生まれつきだ」と、放置してしまうのだと思います。

でも、EQの著者のダニエル・ゴールマンは、このような気質は変えられると言い切ります。

なぜなら、先ほどの脳の説明からもわかるように、脳の中での誤作動である可能性が高いからです。

これが、解明できずに「あの人は怒りっぽい」とか「危険だ」となっているからです。

情動教育は、すごく大事です。

特に、親などが全く情動の発達がない人も、多いはずです。

でも、今のところはそれに気づく人も、それを教育する人材も、満足できるものではないということです。

これは、今後のテーマになりますが、自分で情動教育をするなら、このパターンに気づいて変えていけば良いだけなので、時間はかかっても無理なことではないはずです。

最後に、情動教育とはどんなことをするのか、また、情動が発達した人とはどんな人なのかを、箇条書きにしてますので、確認してみてください。

詳しくは、EQをご覧いただくと、すごく丁寧に説明してあります。

これは、EQが高い人の特徴ですが、採用試験の採点項目にもなりそうです。

情動の自己認識

  • 自分の感情を認識し名称を与えることができる。
  • 感情の原因をよく理解できる。
  • 感情と行動の違いを認識できる。

情動の管理

  • 欲求の挫折を受け入れ、怒りをコントロールできる。
  • 口論、殴り合い、授業妨害が少なくなる。
  • 怒りを腕力に訴えることなく適切に表現できる。
  • 停学や退学処分が減る。
  • 攻撃的・自滅的行動が減る。
  • 自分自身や学校や家庭を肯定的に受け止める。
  • ストレスを適切に処理できる。
  • 寂しさや社会的不安感が減る。

情動の建設的活用

  • 責任感が向上する。
  • 眼前の目標に集中できる。
  • 衝動が減り、自制心が働く。
  • 学力テストの成績が上がる。

共感ー情動の読み取り

  • 他人の立場に立って見ることができる。
  • 他人の感情を敏感に受け止め共鳴できる。
  • 他人の話をよく聞ける。

人間関係の処理

  • 人間関係を分析し理解できる。
  • 紛争を解決し意見の相違をまとめられる。
  • 人間関係のトラブルを解決できる。
  • 自分の意見をはっきりと効果的に主張できる。
  • 他人に好かれ、社交性がある。友達と仲良くできる。
  • 友達に人気がある。
  • 思いやりがあり思慮深い。
  • 社会に対して肯定的でグループの和を乱さない。
  • 他人と共有し、協力し、助け合える。
  • 他人との接し方が民主的。


ただ、間違えたくないのは、情動の管理は「ただ我慢すること」ではないことです。

我慢は自分の嫌いなことを受け入れて、それを行動化したりします。

この歪みはいつか情動の爆発という形で、最悪の結果を生み出すと思ってます。

そのためにも、自分は今怒っているのか、もしくは、それを押さえつけているのか、コントロールできているのか、などを感情の表出の前にワンステップ入れて見ると良いと思います。

2021年6月26日土曜日

幸福度は自分によって「喜び」を増やす能力によるースピノザー


 

先日、動画でスピノザの思想をご紹介したら、コメントや視聴回数など、すごく反応がありました。
確かに、スピノザという哲学者はとても魅力があると感じます。



スピノザの人生と信条


確かに彼の人生は波乱万丈だったようです。

動画でも言いましたが、ざっと挙げるだけでも……

  • 好きな女性に振られて一生独身
  • 家族は母親 父親 育ての母など次々に先立たれ
  • 父親から引き継いだ事業は失敗して倒産し
  • 宗教批判で破門され、住処も追われて隠居生活
  • 生きているうちに出版したのは2冊だけ
  • 目立つと捉えられるので 隠れて生きる
  • 44歳という若さで病死
このように、様々な人生の挫折を味わっているような気がします。

そんな彼のいう「よりよく生きるための条件」は、

喜び


欲望

ということです。

欲望というと、お金が欲しい、不動産が欲しい、若くて可愛い女性が良い……などと自然に出てきますが、スピノザはこのような物質的なものとか、生理的な快楽などは違うと言ってます。

なぜなら、このような欲望は手に入れてもすぐに飽きたり、使いこなせなかったり、もっと別の欲望が出てきて、最終的には自分を不幸にするからです。

確かに、お金や不動産などがある人は、減らさないように必死になり、死ぬ前に苦労して、その人が死んだ後も、嫌な思いをする人も増えます。

また、若さなども時間とともに劣化していくと考えるなら、手に入れた時がピークで、そのあとは幸福度は減っていうということになります。

だから、スピノザのいう欲望とは、「自分への期待」とか「自分の伸びしろ」などと解釈したほうがわかりやすいかもしれません。

つまり、自分から離れない「知識」とか「感情」「感じ方」「思考」などをよくしていくという欲望です。

また、ここで「自分への期待」とか「自分の伸びしろ」と、「自分」を強調したのは、これを他者に求めるとたちまち不幸になるからです。

なぜなら、他者は思い通りにはならないから、つまりロボットではないからです。

だからこそ、それぞれが自分の幸福のために努力すれば良いのであって、他者を使うなんて「とんでもない」ということだと思います。

確かに、自分の幸福のために苦労している他者がいるとしたら、それを想像するだけで不幸になりそうです……でもそれを「尽くす」とか「愛」と言って請求する人は多いです😞



受動性は不幸を招く?



また、今の話に近いですが、スピノザは誰かに従って生きるという「受動性」は不幸を招くと言います。

例えば、辛い出来事をそのまま「受動」すれば、つらいままですが、そこに反対の意味である「能動性」を加えると、人生が変わるということです。

自分から喜びになるようなことを見つけることが、能動性です。

そういえば、私たちは外部からくると思われる嫌な感情などのせいで、身動きできなくなっている時間が多いのかもしれません。

それを切り替えるのも、「外部からの援助しかない」と思えば、そこで待っているしかない。

でも、そこを自分の足で立ち上がるならば、その瞬間から「何か」が始まると思います。

このようにスピノザは、喜びをどうやって増やしていくかをすごく重要視しました。

逆にいうと、悲しみに浸ったままだったり、悲しみを怒りや憎しみに変えて、ふつふつとしていることは、エネルギーの消耗に過ぎないということかもしれません。

エチカの最後にこのような言葉を、スピノザは残しています。

私がここに示した道は、とても険しそうに見えるかもしれない。たとえそうだとしても、それでもこの道を見つけ出すことはできる。
そして、確かに、稀にしか見つからないものには、簡単に近づけるはずがない。
なぜなら、もしもの救いの道が私たちのすぐ手の届くところにあって、大した苦労もせずに見つけられるとしたら、どうしてほとんど全ての人から捨て置かれるようなことがあり得ただろう。
実際、高貴なるものは皆、稀有であるだけに近寄りがたい。


自由は情念からの解放である



また、スピノザは自由について、一つは「必然性の認識」そして、もう一つは「情念からの解放」と言います。

「必然性の認識」は、少し難しいですが、神しかこれを成し遂げられないと言います。

そして、二つ目の「情念からの解放」について、少し説明します。

つまり、自分がやっていることの原因を自覚できる人は、自由な人間だということです。

逆に、自分がやっていることを「誰かにやらされている」と思っている人は、当然ですが不自由な人となります。

難しそうに聞こえますが、実は当たり前のことで、自分でやっていること、自分の人生を「誰かにやらされている」と考えるなら、この先も「誰かに良くしてもらわないと自分の人生はずっと不幸」という方程式になってしまいます。

でも、自分のやっていること、自分の人生を「自分で選んできた」と考えるなら、この先も「自分で変えていくことができる」という思考に結びつきます。

それでも変化しないのは?


このような考えは、学校で教わるはずもなく、親などが熟知しているはずもなく、どこかで私たちが路頭に迷って、運よく(?)良い知識などに出会って、それが私たちの心に留まると、知識が自分のものになって、行動や思考に変化が訪れます。

幸い、知識は以前よりもずっと入手しやすい状況です。

電子書籍などですぐに手にも入れられるし、安いものも多くあります。

ただ、意外にも人間はそのような情報すらも、頑なになって避けている人が多いのかもしれません。

実際に動画などで反対のコメントなどをもらいますが、これはすごく重要なサインなのです。

きっとその人にとって重要な内容だからこそ、心の中で強い「抵抗」が起きていることに気づけば、その人はそれを起点として変化していくのだと思います。

外部にではなく、常に自分の心を焦点にして考えることです。

外部や他人の干渉などは、放っておけば良いのです。

それができないのは、きっと「変わるな」とか「考えるな」という他者からの情念もしくは、観念などが、内在化しているのでしょう。

そして、必死に自分が変わらないように、抵抗しているはずです。

まずは、それに気づくことです。

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