あなたは父親との思い出はありますか?
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2021年4月5日月曜日
父親不在症候群ー子供の心に深く刻まれる傷ー
人によって違うと思いますが、父親と母親で比べると圧倒的に母親のことが思い出されるのではないでしょうか?
今日は、あまり注目されない父親の存在について、またその役割と、存在を含めて父親を失うことで生まれる子供への影響などを考えていきたいと思います。
こちらの動画は、父親不在の影響で、恋愛がうまくいかない女性へ向けて作った動画です。
愛着の発達課題
こちらのサイトではよく出てくる愛着……つまり家族の中で安全基地を作ることで、子供がすくすくと育つために必要な「安心感」に、父親の役割はあるのです。
愛着形成
まず、生まれてから1歳半くらいまでの間に、母親との間で赤ちゃんは愛着を形成します。
これは、単純に世話をしてもらうことによる信頼関係の構築とも言えます。
母子分離
次に、2歳から3歳くらいまでの間に、一度 母子分離と言って反抗期に伴って子供が母親から離れていく時期です。
ここで父親の役割が登場します。
父親は子供を外(社会)に連れ出すことで、母子の分離を助けます。
このことで母親に呑み込まれてしまわないように、うまくエスコートしながら外の世界を教えていきます。
それに失敗をすると、子供は母親に呑み込まれてしまい「母子融合(共生)」の状態になってしまい、それからの人生に大きく影響するような、深刻な問題へとつながっていきます。
また、思春期などで男の子などが、母親から支配されてしまうことに、強い拒否反応を示す時に、父親が母親の関心を他に向けさせるなどをして、子供の防波堤となる役割もあります。
それによって、子供は堂々と自立できるのですが、子供はその父親の陰ながらの努力に気づくこともなく、感謝もされないという損な役回りでもあります。
DVをする男性
DVをする男性は、母子融合の状態を卒業できてない人です。
だから人と人との境界が曖昧になり、本来守るべきものを攻撃したりします。
このような人は、母親とべったりか、逆に険悪な関係の場合がほとんどで、どんな関係であっても まだ母親からのコントロールをまだ受けている状態です。
また、自己愛的な妻が夫を排除するために、DVをさせるように後ろで糸を引くケースもあるので、自己愛的な母親には注意した方が良いです。
つまり、わざと怒らせたり混乱させて暴力をうながして、夫を悪者役にしてしまおうとするのです。
※こちらについての詳細はこの記事の一番下の引用を読んでいただくと、理解できると思います。
父親と母親の役割の違い
では、そもそも父親と母親にはどんな役割があるのでしょうか。
もちろん、人によってはどちらも低いとか、高いとか、個人差は出てきます。
母親の役割
まず ホルモンレベルでの話でいうと「オキシトシン」というホルモンが重要な役割を持っています。
これこそが、母性の正体です。
オキシトシンは、心を落ち着かせ、活動を鎮めるような役割を担います。
つまり、じっとしていることに耐えられるような力です。
また、関心が「人」に向かいやすいのも特徴です。
このオキシトシンが高いと、ストレス耐性が上がるとも言われます。
父親の役割
まずホルモンレベルでの話でいうと「アルギニン・バソプレシン」というホルモンが重要な役割を持っています。
これこそが、父性の正体です。
バソプレシンは、活動性を高め 自分が守る人などのために、敵を攻撃をすることもあります。
また、関心が「事柄や物」に向かいやすいのも特徴です。
このバソプレシンが高いと、不安が減るとも言われます。
ただ、不安定な愛着の元で育つと、本来守るべき人に向けて攻撃するのでDVなどの問題が出ることもあります。
父親不在症候群
父親不在とありますが、これは実際に父親がいてもいなくても、同じことです。
それよりも重要なのは、一緒にいる母親が父親のことを、愛し続けているのかもしくは、逆に恨みや憎しみを持ち続けているのかが問題になります。
つまり、母親の父親に対する理想像(ネガティブな場合も)を、子供は取り入れて目標として生きていきます。
それがネガティブなものなら、「人間なんて……」とか、「男なんて……」という意識が強くなってしまいます。
父親不在の症状
①母親への依存と母子融合
②誇大な願望と自己コントロールの弱さ
③不安が強くストレスに敏感
④三者関係が苦手
⑤学業や社会的な成功にも影響
⑥性的アイデンティティの混乱
⑦夫婦関係や子育ての問題
父親不在を埋めるには
男性の場合
女性の場合
愛着を築ける相手かを見極める
相手がどの段階にいるのか?
常態化する父親の排斥家と家父長権の崩壊によって、母親と父親の立場はすっかり逆転した。母親は、その生物学的に有利な立場を利して、子供を人質に取ったのだ。一旦、母子カプセルが形成されると、母親と子供が交わす会話から父親は締め出される。といって、母親は子供と完全な調和のとれた、安定した愛着の状態にあるわけではない。父親を締め出した母親と子供の関係は、所詮、母親による支配という関係だ。母親は子供を独占することによって、思うがままの支配を手に入れるのだ。逆に言えば、父親の存在は、子供を独占する上で邪魔だったのだ。自分のやり方にチャチャを入れたり異を唱えたりする父親など、自分の思い通りに子供を育てたい潔癖な母親にとって、不純物の混入するような不快さを催させ、我慢ならなかったのだ。
子育てだけではなく、問題は生活全般に及ぶだろうが、最後に行き着く結論は、父親面して、自分と同等の権利を主張しているもう一人の存在が邪魔だということだ。早晩、邪魔物を排除し、純粋なわが子との独占的な関係を手に入れようとする。父親の様々な欠点や問題行動は、それを正当化する口実となる。母親の嘆きを前に、子供は父親に対する愛着を捨て、嫌悪や憎しみに変える。世間に蔓延している父親に対するネガティブな感情は、ほとんどすべて母親由来のものだ。
父親に対する母親の嘲(あざけ)りや愚痴や敵意を、子供はそっくりそのまま貰い受けてしまう。母親に同調するがゆえに、母親の父親に対する嫌悪感や反発にも同調するのだ。しかし、元はと言えば、その嫌悪感や反発の根源は、自分以外の異物に対する拒絶反応だとも言える。父親を追い出し、自分だけが親になることは、不幸な失敗なのではなく、なるべくしてなった本来の目的だったのだ。こうした見方をすれば、家族の形には、子供の父親を追い出し終わった最終的な形と、父親を追い出しきれていない中途半端な形の二つがあることになる。異物を排除しようという欲求は、ともに暮らした年月が長引くほどに高まっていく。子供をめぐる母親と父親の戦いにおいて、その勝敗の決着は最初から付いている。よほど重大な欠陥が母親にあって子育てに耐えられないか、母親自身が子育てを拒否しな限り、母親は子供を父親から奪い、自分だけのものとすることができる。自己愛的な母親にとって、子供は自分だけのものであるべきであり、他人との共有物であるなどということは受け入れられない。
母親から、父親がいかにひどい存在であるかを吹き込まれて育った子供は、父親を追い出したのは、当然のことだったと納得し、母親に同情しこそすれ、父親にひとかけらの憐れみをかけることもない。しかし、それも青年期に達するまでの話だ。早い子であれば、中学生になる頃には、母親のまやかしに気付き始める。父親を排斥するために並べ立てる口実に、苛立ちを覚えるようになる。それはお前に都合のいい口実だったのではないのか。どういう理由であろうと、お前は自分の忍耐の足りなさや身勝手さのために、子供から父親を奪ったのではないのか。自分だけが子供を独占するために、父親を締め出しただけではないのか。お前なんかに、独占されたくはなかった。お前の勝手な都合で、父親を奪わないで欲しかった。
思春期・青年期に差し掛かり、もやもやとしたものを抱き始めた子供たちは、まだ明確に言葉にすることはできないものの、母親が何らかのまやかしを働き、取り返しのつかないことをしてくれたと感じ始める。誰よりも信頼し、愛した存在であった母親が、実は最大の裏切り者で強奪者(ごうだつしゃ)だったのではないと疑い始める。子供は怒りを母親にぶつけ始める。母親を殴り、暴言を吐くか、それができないものは、自らを痛めつけ、損なうことで、間接的に母親に怒りと苦しみを味わわせようとする。母親は慌てる。こんなにも苦労して、手塩にかけて育てた我が子が、自分に歯向い、敵意を向けることが理解できない。あんなに自分のことを信頼し、愛してくれた存在が、今になって怒りと憎しみの権化と化さねばならないのか、全く腑に落ちない。一体何をしたというのだ、この自分が。
母親は、自らが自覚もなくしてしまったことをすっかり忘れている。それは、心ならずも子供から父親を奪ってしまったということだ。子供は、母親の苦労、その心中を知るだけに、表立って歯向かうことは無論、心のなかで、母親を憎むことすらできない。そうなった時、子供は自分の存在自体を呪うしかない。こんな自分は、最初からいなければよかったのだ。生まれてこなければよかったのだと思うほかない。
なぜ、こんなことが起きるのか。
それは、子供というものが、本来、父親と母親の両方を必要としているからだ。父親も母親も愛したいからだ。子供にとって、一人の親に独占されるよりも、父親と母親に共有されて、どっちつかずに育つことが、もっともバランスの良い、健全な成長を遂げやすいからだ。
父親と母親という異質な存在の間に、微妙なバランスをとることの方が、自己確立を成し遂げやすい。二つの極の間にあるのが、どちらの極からも自由であるという関係が、主体性や個性を育む上で、具合が良いのだ。
ところが、一人の親の強い支配を受けてしまうと、その子は、鋳型(いがた)で押したような窮屈さを抱えてしまう。主体性でも個性でもない、母親が望んだ通りの、薄っぺらいコピーにさせられかねない。世の中ではうまく通用しないことも起きやすい。バランスの良い発達のためには、父親というもう一つの極が必要だったのだ。だが、そうしたことは、驚くほど軽く見られた。
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