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2020年12月30日水曜日

「見捨てる人」とはどんな人間なのか?

 



先日、見捨てられのPTSDに関しての記事を書きました。

そこで、ふと思ったのが「見捨てる方ってどんな気持ちなの?」ということでした。

先日、ツイッターにこのようなコメントをいただきました。



産まれて直ぐ父方の祖母に育てられました。

幼少期、母より引き離されたと涙ながらに聞かされましたが、2度と私には向き合う事は有りませんでした

4歳違いの弟は母に育てられ、私は祖母に育てられました。

母は私を捨てたと思いました。

 

このように、見捨てられた方は、その体験をずっと持ち続けますが、見捨てた方ってずっとそのことについて向き合わないか、知らないふりをして生きている人が多いように感じます。

「覚えがないのだから、謝る必要なし」と言う感じでしょうか・・。

だから、見捨てられた方がいつまでもこの問題に向き合えないという状態になっているように思います。

はっきり言ってしまうと、「見捨てた件については、もう認める気はないし、そんなことさっさと忘れて欲しい」と思っているんですね。

しかも、多くの場合はそんなことをしておきながら、その件は置いておいて何もなかったことのように関係性を継続しようとしている。

・・・あなたが経験したかどうかは別として、ひどいと思いませんか?

通常の人間関係では通用しないことを、「家族だから」「子供だから」と、堂々と推し進めていると言う感じがします。

つまり、このような人は、相手を軽視しているのです。



前に、動画で紹介した介護士のたんたんさんHPという方が、「毒親は介護しない方が良い」というブログを書かれていて、面白いと思ったのですが、その中にこのような記述がありました。



介護施設に入所している利用者の中で、自分の子どもは介護ロボットと思って、扱っている人は、少なくない。


例えば、


・何かあれば呼び出す。

・召使をさせる。

・面倒臭い事は全部投げる。

・不機嫌や怒りで支配しようとする。

・依存的である。


そういうのを見るたびに、そんな親だから施設に入れられる、というのは感じる。


また、このようにも書かれていました。

自己責任感がない人が、子供に老後を任せた、とか言って、押し付けてくるあたりが、非常に悪質だと思っています。


これが、現場で何人もの毒親や老人を見てきた人の、冷静な意見だと思いました。

つまり、こういうことです。



毒親と思われている限り、子供は虐待やモラハラなどを受けてきた可能性があります。

その親が歳を取り、すがる人が必要になると、今度は執着して離れない👉「介護して」
ということです。

そして「全て(その後の人生)を任せた」となるのです。

また、それを成功させる方法として、罪悪感とか、世間体、義務感などを、利用しているようにも感じます。

これ以外にも、子供の中に心のどこかで「もう一度やり直せるなら」という「期待」もあるかもしれません。

このように、幼少期は辛く当たっていたにも関わらず、歳をとると「優しくして欲しい」「全てよろしく」と、勝手に願っているということです。

つまり、何が言いたいかというと「すごく身勝手だ」ということです。

繰り返しますが、たんたんさんの言うように、

自己責任感がない人が、子供に老後を任せた、とか言って、押し付けてくるあたりが、非常に悪質だと思っています。

 つまり、見捨てる人・・見捨てて平気な人は、自己責任感がない人、と言うことではないでしょうか(大事なので太線!)。

本来なら、過去に見捨てたのだから、そのあと自分が孤独になったり、その人から追い詰められても仕方がない、と思えない、それを受け止める覚悟がないと言うことです。

そこが、全ての問題の行き着く先ではないでしょうか。


この現実を見てない人は多いです。

つまり、ACなどの特徴である「幻想・妄想・ファンタジーの世界」から、戻ってこれないのです。

理想化」とも言います。

また、このような話をすると、反発したくなるのは「抵抗」です。

どうしてここまで頑なになるのでしょうか?

それは、毒親などの思い、要望、期待があなたに「内面化(自分のものにしてしまうこと)」してしまっているからです。

つまり、あなたの心の中を、リモートでコントロールしているようなものです。



例えば、父親などが、ゴマスリのように母親を崇めるような対応をしていたりすると、子供もそれを真に受けたりします。

また、母親などが父親などを敵にして、「私たちは仲間」などと言われると、それを信じてしまうこともあるでしょう。


でも、そんなまやかしでも子供の目には真実のように映ったかもしれません。

いいえ、子供は真実を見る目はあります。

ただ、現実が辛すぎると、わかっていても「幻想・妄想・ファンタジーの世界」へ逃げ込んでしまいます。

それくらい心の傷が痛むのです。

いかがでしょうか。

こうして聞くと、見捨てられたことの事実、また、今までの対応に対する理解、また、今後どうなっていくかがうっすらと見える感じがします。


では、どうしたら良いのでしょうか?


まず、目を覚ますべきです。

真実を見るべきです。

あなたは誰からも操作されてはいけない。

それは、人間として当たり前のこと。

自分を持とう。

そうすれば自信がついてくる。

それは、悪いことではない。

これは、自分を取り戻す最後のチャンスかもしれない。


いかがでしょうか。

おかしいことをそのまま継続されて困ったのは、あなたです。

そんなことを、あなたまでも同じことをする必要はないと思います。


↓こちらの本には、見捨てられからの回復のためのステップが、とても詳しく書いてあります。


見捨てられたことによるPTSDや回復のプロセスについてお伝えしてます。



2020年12月29日火曜日

「見捨てられた体験」がPTSDになって何度も再体験をしてしまう理由

 



見捨てられ体験による傷は大きい


以前に、「喪失を乗り越える」という内容をお伝えしたところ、このようなコメントをいただきました。

「私は、死んだ人間に対して悲しいのではなく、相手が生きた人間だから辛いのです」というような内容でした。

確かにこの違いは大きいと思います。

では、なぜ死んだ人間から喪失するのと、生きた人間から喪失するのは、これほどまでに心の痛手が違うのでしょうか。

これを考えてみたいと思います。


例えば、すごく好きな異性と付き合っていたとします。


その人が・・

A.ある日突然、交通事故で亡くなった。

または

B.ある日突然、別れを切り出してきた(他に異性ができたようだ)。

どちらがショックでしょうか?


縁起でもないですが・・これはあくまでもイメージです。

きっと、正直なところ・・Bではないでしょうか。


理由は、「相手の意思があるから」です。

自らの意思で、自分から去ろうとしている、という事実は、死別のものとは全く違うと言えるかもしれません。

また、悲しみよりも「怒り」が強いことに気がつきませんか?

そう、見捨てられ体験は、強烈な怒りを生み、しかもそれを封印したことによる心の傷だと思います。

これは非常に嫌な体験ですが、なぜかこのような繰り返しをしている人がいます。

これには、ちゃんと理由があります。

理由は、このような見捨てられ体験を、ちゃんと解決したいという意思です。

だから、何度も繰り返しているのです。

これこそが「見捨てられた体験を再現する」ということになります。

なぜ、ここで「再現」と言ったかというと、お分かりだと思いますが、このような体験で強く動揺をする人は、以前に・・覚えてないならさらに幼い頃に「見捨てられ体験」をして、その傷を抱えたまま、あまり上手く治らずにここまできた可能性があるということです。


だから、大人になって「見捨てられ経験」で傷つくのは、昔の傷がウズウズしているからです。

これに気づくだけでも、今目の前で起きていることを、冷静にとらえることができるようになると思います。

考え方を見直すと、昔の傷を治すチャンスとも言えます。

ただ、その道のりは、傷をえぐるようにつらく、とても長いものになります。

それでも、そこへ戻ってしまうのは「そこを何とかしないと」と自分で気づいているからだと思います。

また、なぜこのような過去の傷を治す必要があるかというと、私たちが知らないうちにやっているおかしな行動や思考の癖に気づいて、なおす必要があるからです。

それは、依存と共依存の関係もそうです。

また、これは知らないかもしれませんが、「反復強迫」と言いますが、これをやっている可能性があります。

この反復強迫とは、フロイトが名付けたもので、人が何か困った時、混乱した時に、昔と同じような思考や行動を繰り返して、いわゆる「いつものパターン」に持ち込んでしまう癖です。


あなたも、例えば、誰かから去られそうになったことに気が付いて、あなたはまだ好きなのに、それでも自分から去るような癖があったりしませんか?

これってよく考えるとおかしいけど、自分を守っていることに気づきませんか?

しかもそのような行動を繰り返していませんか?


これも、子供時代から親に手渡された「生き方の脚本」を繰り返しているのです。

つまり、この脚本を捨てないことには、同じような経験を繰り返すことになり、あなたの傷はさらに深くなっていくのです。

だから、恋愛と失恋を繰り返している人や、職場などでいつも人間関係でもめてしまう、などを繰り返している人は、相手や環境の問題というより、その人にある「反復強迫」、もしくは「生き方の脚本」があなたを知らず知らずのうちに「いつものパターン」になるよう、操作しているのかもしれません。

これは、強迫性障害の人が、何度も手を洗わないと気が済まないように、人間関係の中で強迫的な思いを何度も繰り返していることになります。

これが人間関係への依存、つまり、共依存と言えるかもしれません。

ただ、手洗いの強迫的行為ならば、自分でも気がつくでしょうが、人間関係の中でこれが出ると、相手のせいにして「おしまい」となることも多いと思います。

大切なのは、このような自分を守る行為や癖の中でも、問題から逃げるためのようなものを繰り返す限り、また、どこかで間違ったと気づいて同じようなところに戻るという繰り返しをしていることに、冷静に気づくことが重要なのです。

気づけば、その先は変わってきます。



生き直しという作業


では、このような繰り返しをやめるにはどうしたら良いでしょうか?

当然ですが、幼少期の見捨てられをちゃんと思い出すことだと思います。

そして、その時の感情を味わいつくすことです。

最初にも言ったように、強烈な怒りもあるし、寂しさ、孤独、やるせなさ・・などです。

この感情を味わうことが抜けていた、もしくはあまりにも抑圧したせいで、感情の出し方やコントロールのやり方が、上手くできないのかもしれません。

イメージをするなら、自分の中の感情の容器があるとして、そこには古いゴミがいっぱいだったとします。

それを、感情を吐き出すことで、少しづつゴミが減っていくイメージです。

物理的に考えたら、当たり前なんですが、人間は心の問題は我慢しようとしてしまいます。

また、このゴミの排出作業によって、ある程度綺麗になってきたら、そこには空間が生まれます。

その空間こそが「空虚感」というのかもしれませんが、考え方を変えると、そこには好きなものを入れて良いのです。

人によっては、以前と同じような感情を入れる人もいるでしょう。

これは、繰り返しになります。

または、前と同じようなのは嫌だから、今度は心地よい時間とか、関係性などを入れようとするかもしれません。

これこそが再出発です。


また、見捨てられ体験によって、自分には価値がないなどと思ってしまった人は、どうやってこの自信のなさや空虚感を埋めていけば良いでしょうか?

これは、自分を十分に癒した後の話になりますが、あなたを見捨てた人の気持ちになって、理由は何なのかを考えてみることを、お勧めします。

これは、日記の中でも良いですし、エンプティチェア と言って、空の椅子に相手が座っていると想定して会話してみる方法もあります。



日記の場合

具体的には、日記ではよく、サイトなどで「吹き出し」を使って両者に会話をさせる方法があります。

これは、難しいことを理解するときに役立ちます。

これを、自分でもやってみることです。

例えば・・・

👩あなた「なぜ私を見捨てたの?」

🐱見捨てた人「それは、ーーーーという事情があったの」

👩あなた「ちょっと待って!ーーーーって私に関係あるの?」


このように会話形式にすると、相手の気持ちに対する想像力(共感力ともいう)が高まり、また冷静にお互いの関係を観察できます。

ただし、無理に理解しようとしないで下さい。

あなたの視点からイメージで良いのです。



エンプティチェア の場合

また、エンプティチェア の場合は、最初は定位置・・つまりあなたはあなたの席、相手は相手の席で、会話をします。

次に、今度は席を交換して、あなたが相手になり代わります。

どちらにしても、自分一人でやるのですが(汗・・・

これも日記と同じです。

👩あなた「なぜ私を見捨てたの?」(席を移動してもよし)

🐱見捨てた人「それは、ーーーーという事情があったの」(席を移動してもよし)

👩あなた「ちょっと待って!ーーーーって私に関係あるの?」(席を移動してもよし)


このように、どんな方法であれ、イメージで会話をすることで、相手がどんな気持ちだったのか、どんな状況だったのかが、うっすらと理解できるかもしれません。

それは、あくまでもこちらのイメージなので、事実かどうかはわかりません。

「実際に会話したほうが良いだろう」と思われた人は、試しても良いでしょう。

ただ、相手が心を閉じたままであれば、それは以前の繰り返しとなって、操作しようとするかもしれません。

それも承知ならば、試すのはありだと思います。


また、このようなイメージで会話するのは、相手を許すための行為ではなく、見捨てられによって失った「自信」とか「自己価値観」を取り戻すためのものです。

あくまでも、自分のためです。


でも、実際のところ相手の気持ちは、どうなんでしょうか?

もしかすると、なんとなく始めたことが、あっさりと上手く言ってやめられなくなった、というような理由なのかもしれません。

実はそれがやめられないというような、相手の課題が見えてくるかもしれません。

これも、人間関係によって自分の課題から回避しようとする、共依存的な思考だと気付けるかもしれません。

ぜひ、自分のためにイメージ会話法を、試してみてはいかがでしょうか。



再出発へ向けて

よく「どんな経験にも意味がある」と言われます。

今回のような見捨てられ経験を、当時まで振り返り、再体験をして苦しむことに、何の意味があるのでしょうか?

私は・・「もうこんな人に捕まって、苦労しないように、人を見る目はつけないとダメだよ」という意味ではないかと考えています。

もちろん、幼少期の出会いは、何もできない子供が、必然的に与えられたものであり、それを拒否することは「死」を意味するものになります。

でも、これからの出会いは、自分の意思であり、例えその人から捨てられたとしても、あなたは死ぬわけではないでしょう。

この違いは大きいです。


ただ、ここで疑問が出てきます。

「世の中にはこんな闇の部分を知らずに、キラキラと笑って生きている人がいるのに、なぜ私だけ?」という疑問です。

これは、私の主観ですが、魂のどこかでこのような体験をしようとしているのではないかと感じます。

ちょっとスピリチュアルな感じになりますが・・。

例えば、占星術などでは、1年の運気とか、10年の運気、などがあります。

この運気というのは、山と谷を交互に波乗りのように繰り返していくイメージです。

その周期が、谷の位置に当たる人は、苦労や闇の部分の多い体験をすることになります。

また、山の部分の人は、太陽の下でどんどん成長し、活躍します。

これは、どちらかがずっとその状態なのではなく、繰り返すということです。

今は、その断面の一時期だと思ってください。

谷の時期には、苦難もあるし、悩んだり考えることも多いのは当然です。

それが、次の山の時期に繋がります。

だから、谷の時期にいる人は、あせらないで下さい。

今は、内面にいろんなものをためているはずです。

それは、次に来る山の時期、そこで再出発するための準備だと思います。

だから、何か嫌なことが続いたとしても、それが自分の責任とか、ずっと嫌なことが続くと思わずに、「今は谷の時期だ」と理解することが真実に近いように思います。


まとめ

あなたがいつも嫌な目にあう、人間関係が最悪と思うなら、そこには「過去の繰り返し」という作業を、半分「強迫的」に行う癖におちいっていたと、気づくことではないでしょうか。

それは、幼少期の見捨てられ体験が、自分の中では解決できておらず、そのためか、何度も同じような場面を自分で作って、再度体験して解決しようとする、無意識的な心の動きなのかもしれません。

ぜひ、このような自分の中からの本気のメッセージを受け取って、自分の課題に向き合ってみてください。


この記事を元に動画を作っていたら、どんどん付け足していって、全く違うものになったー
でもおすすめ!


2020年12月23日水曜日

養育者から受けた心の傷をどう癒すのか?

 


今回は、虐待とか過干渉などの行きすぎた関わりや暴力などとは、ちょっと違うかもしれません。

どちらかというと、幸せそうな家庭でありながら、中身が空っぽだったり、冷たい雰囲気があふれているような「偽りの愛」の話です。

つまり、見せかけは優しい母親、頼れる父親でありながら、中では全く違う顔を見せるような家族の中で育った人へお送りします。

もし、これよりももっとひどい身体的、精神的な虐待を受けたり、ネグレクトなどを受けて育ったと自覚がある方は、愛着障害の記事(新しいウィンドウで開きます)をご覧ください。


怒っている母親と心ここにあらずの母親


子供の心の成長に大きく関与するのが、母親の存在です。

では、子供がのびのびと成長するのを妨げる、「一見良い母親」はどんな中身があるのでしょうか?

大きく分けて・・・

  • 怒っている母親
  • 心ここにあらずの母親

となります。

このような母親は、子供が自由に気持ちを話すことや、表現することを、拒否したり、受け止められなかったりします。

また、怒りっぽい母親などは、街でも見かけますが、目立つだけに他の人が気付きやすい点があります。だから、問題が大きくなる前に他からのヘルプなどが期待できます。

それに対して、心ここにあらずの母親は、周りから気づかれにくく、本人も気づいていないので、子供が問題を持ったまま大人になってしまうことも多くあります。

たとえ体は大きくなっても、心の成長はどこかで止まったままなので、様々な影響が出てきます。

今日は、このような親があなたの親だった場合、どうすればこの心の傷を癒せるのか、解決できるのかを考えたいと思います。



心ここにあらずの母親


「心ここにあらず」という言葉があります。

これは、一緒にいても他のことを考えているとか、表向きには向き合っていても、心はそっぽを向いているような状況です。

そっぽを向かれた方は、辛いですよね。

よく言われることですが、「子供は母親に対して絶対にそっぽを向かない」ということです。

これは、幼少期までの話ですが、どんなに辛い目にあっても、親を信じようと努力をします。


例えば、コメントでもあったのですが、母親についてずっと悩んできた女性の話を思い出しました。

なぜ、私を愛してくれないのか?という疑問がずっとあったのだと思います。

それは、最初に言ったように 「心ここにあらず」というのを、その方は感じたからでしょう。

何度も何度も確認して、それでも心がどこかに行ってると実感した・・・。

そして、ある日子供時代のことを話そうとしたら、母親は混乱してしまった。

その結果、それ以上話しが進まないまま、以前と同じような悶々とした生活を送っているということです。

自分が覚悟を決めて向き合おうとしたのに、それを拒否されるのは辛いものです。

でも、私はその母親こそが、誰よりも心に傷を負っていて、人生に絶望していて、ビクビクして生きているのだとイメージしました。

これは、母親を擁護する意味ではありません。

こんな状態のまま生きてきたんだな。という意味です。

このように、傷ついた子供が成長して、いつしか逆の立場になって、母親との関係を修復しようと手を差し伸べることがあります。

しかし、今回の話のように、それでも向き合わない親もいます。

このような事態をどう理解したら良いでしょうか?



「偽りの自己」のスタート

これは、どこの国でも同じようなものかもしれませんが、特に日本などは、母親に対するイメージが神聖化されているように感じます。

そこから外れると、人生も終わり・・というような感じです。

だからこそ、「何としてでも神聖化を守る」ことが大事になってしまったように思います。

これは、実際にそこにいるメンバーが「どう思うか」よりも、「どう思われるか」つまり、近隣や世間などの他者からの評価によって、人生が決まるというような恐怖に怯えているのかもしれません。

「よそはよそ、うちはうち」とは言い切れない家庭が育つ、ということです。

ただ、ある程度人生を生きてきた大人は、そういった演じるような生き方も、仕方がないと受け入れることができたとしても、子供は純粋であり、実はシビアですから、それを受け止めることはできません。

しかし、メンバーの心より世間様を大事だと思う大人は、強制的に演技を押し付けます。

それによって、子供は仕方なく迎合して、心とは裏腹の行動を取ることがスタートします。

これがボウルビィのいう「偽りの自己」のスタートです。

これは、最初こそ受け入れ難いですが、一度受け入れたら共犯みたいなもので、どんどん拒否するのが難しくなります。

これが、機能不全家族の始まりではないでしょうか。


そして、それを強要する親なども、同じような機能不全家族の中で育った可能性があります。

昔は、兄弟が多くて一人に構ってやる時間がなかったかもしれません。

ただ、子供の目は正確なので、それでも親の愛を感じれば、健やかに育ったはずです。

つまり、このような親もまた幼児期のどこかで、愛を与えられず、自分には価値がないと確信したはずです。

そしてそんな状態のまま年齢が来て、愛も知らずに、当たり前のように結婚をした。

その時も、愛を与えられることを知らないのですから、きっと結婚相手との間でも愛は育てられず、尽くしたりすることで、愛の取引をしていたと思われます。

そんな中で子供が生まれます。

愛をしらない親は、初めてペットを飼うように、訳も分からず世話をするという形で、愛を表現したかもしれません。

しかし、なんどもいっているように、大人にはそれが通用しても、子供には全てが見えてしまいます。

そこで、子供は養育者に愛がないことに気づいて、悩みます。

幼い子供には、まさか親自身に愛がないとは考えられずに、「自分のせいだ」と解釈をし始めます。



このように子供が自責の念を持つことは、心の成長を邪魔することになるので、普通なら違うと教えてあげるものです。

でも、自責の念を持つことで、自信をなくし、自由に発言や行動できなくなる・・いわゆる半分病気のような状態を好む親もいます。

なぜなら、自分の思う通りになるからです。

このように、子供は本来の自分を封じ込めることに必死になり、どんどん病んでいきます。


では、本来の子供とは、どんな欲求を持っているのでしょうか。

  • 自分はどこかに所属していると感じたい
  • 弱さをさらけ出しても受け入れてほしい
  • 自分の感じることを共感してもらいたい
  • 自分の欲求にあった助けや導きがほしい
  • 誰かが後ろで支えていてほしい
  • 誰かに模範になってほしい
  • タイミングよく欲求を満たしてほしい
  • 自分のことを尊重してほしい
  • 自分は愛されている、大切にされていると感じたい

このほとんどが、養育者である母親か父親に求めるものなので、これを拒否されると、子供の気持ちは萎縮していきます。



中年期にふたたび現れる闇


ただ、成長するにつれて、成績を上げるとか、何かの賞を取るなどをして、自分の自尊心を上げていこうと、その道を模索することも多くあります。

小学生の高学年くらいになると、親の願いを達成することで、承認を得ようとし始めます。

このような努力をしてきた人は多いのではないでしょうか?

仕事中毒などもそうです。

ただ、このような努力は、ある程度は努力や熱量でうまくいっても、結果的にはうまくいかない場合も多いです。

なぜかというと、このような努力の目的は、親の愛を得るためのものであり、目的はそれですから、実際はやりたくないこと、嫌いなことなどでも、手をつけてしまいます。

そして、嫌なことですから、「なるべく早く結果を出したい」のです。

すると、途中の作業は雑になり、常に「結果、結果」と結果ばかりを求めるようになります。

中身が空っぽと自分を表現する人がいますが、このような生き方をしてきたのかもしれません。

そして、いつしか大きな挫折を味わいます。

これは、中年期などの体力の限界を迎えた時、やる気などが続かなくなった時などに、大きな挫折を味わって、立ち直れないほどになることが多いです。


ジュディス・ボーストの言葉です。


幼い頃に喪失を経験すると、その後の人生で出会う喪失に敏感に反応することが判明している。

つまり、中年期に肉親の死、離婚、失業などを経験した時、重篤なうつにおちいりやすいのだが、それは、自力ではどうすることもできずに、絶望して怒りに震えていたかつての子供である自分が反応を起こしているからだ。


こうして、幼少期からはじまった親の心の不在の状態は、絆の喪失となって心に傷を作り、そして、思春期や青年期では、別のことに努力することで目を背けていたことも、中年期にまた戻ってくるということです。

つまり、人生の初期に体験した傷は、いくら隠したとしても、やっぱり自分の元に戻ってきて、自分を苦しめるということです。


このような傷をどう癒す?


では、このような傷をどう癒したら良いでしょうか?

別の愛着を見つけること、カウンセリングなどを受けること、自分でセルフケアをしていくこと、などがあります。

特に必要なのが、当時の感情を抑えずに定期的に出していくことです。

いつまでも詰まったままにせずに、綺麗につまりを取るために、怒りなどを出していくことです。

セルフケアとしては、日記などに書くことで、少しは冷静にこのつまり取りをすることができます。

きっと何年も、10年以上かかることもあるでしょう。

しかし、今までは違っていたことを隠す作業だったのに対して、これからは、違っていたものを一枚ずつはぎ取っていく作業です。

時間は掛かっても、大きな違いであることは確かです。

そして、過去の傷が癒えたなら、これからは自分の中で、適切な養育者を内在化させる必要があります。

つまり、自分に足りていない愛を、自分で満たしていく必要があります。

例えば、ネグレクトの親であったなら、自分の世話をし直す、というようなことです。

否定ばかりされてきたなら、自分を肯定する声がけを始める、というようなことです。

その作業も、慣れないことなので、すごく時間がかかると思います。

時には、安住の地でいることだったり、時には応援する立場になったりと、色々忙しいです。

つまり、やることはいっぱいなのです。


・・・多くの母娘問題などで悩んでいる人は、相手との関係をどうするかが、最終ゴールだと思っているかもしれません。

でも、私が思っているのは、相手との関係ではなく、自分と自分との関係が、最終ゴールだと思います。

自分の中に内在化した親などの都合からくる価値観を取り去り、自分にとって最適な価値観や生きかたを探すことに、これからの人生を注いで欲しいと思います。


ただ、親が高齢などである場合、「そんなことも言ってられない」と思うかもしれません。

それでも、自分を大切にすべきだと思います。

これまでも、親を含めた機能不全家族は問題を隠し、先送りすることで、子供だけに負担を負わせたはずです。

それをいつまで続けるのですか?

また、自分より他者を尊重したら、その対象がなくなった時、どうなると思いますか?

先ほどのジュディス・ボーストの言葉を、もう一度読んでみてください。

中年期に肉親の死、離婚、失業などを経験した時、重篤なうつにおちいりやすい

これも、頂いたコメントからの話ですが、ある男性が長年にわたる父親との確執を、自分なりに解決したプロセスです。

その方は、父親が死亡した後に、ある「儀式」を執り行ったそうです。

その儀式とは、ゲシュタルト療法のエンプティ・チェア(空の椅子)の技法を使われたそうです。


父親がいつも座っていた空の椅子に向かって、コメント主さんが今までの思いと、「嫌いだからさよなら」と伝えたそうです。

時には、泣き叫んでしまったそうですが、これが本音だったのです。

また、そこには気づいていても何もしてくれなかった母親も、同席してもらったそうです。




これは、この方にとって人生の大きな転換点となったように思います。

以前のコメントに比べて、その経験から後のコメントは力強く、希望に溢れているように感じます。

いかがでしょうか。



このようにあなたが自分を尊重しようとした時、親などが「親を尊重しろ」というなら、いよいよ「私は尊重されなかった」という話ができるチャンスです。

幼少期からの問題を、ようやく本音で話すことができるのです。

この幼少期からの「おかしさ」を改めるために、相手の不合理さにメスを入れてください。



このように、どうやっても、自分の心には嘘がつけないのです。

それは、自分への裏切りだからです。

自分を裏切れば、これからも生きていくのが難しくなるでしょう。

それぞれが自分を尊重すれば、問題は起きないはずです。


とても具体的にわかりやすく書かれたかなりのオススメな書籍です⬇️


【動画内でご紹介した書籍や関連動画】

母子間の絆の喪失ーオリジナルロスー


母子間で喪失した絆を回復する方法


愛着不足の8つのチェック


4つの愛着タイプ



2020年12月18日金曜日

自分のために「愛のある母親」を演じること

 



よく動画でいただくコメントなどにこんな内容があります。


「母親は、私のことを反抗もしないしすごく育てやすかった」と言われたけど・・


このようなモヤモヤした気持ちを、抱えたことはないでしょうか?

この場合、母親は「自分の目線」だけで子供を見ていることがよくわかります。

もちろん、反抗しなかったり、自己主張が少ない子供は、育てるのに楽かもしれません。

でも、それはあくまでも自分にとって都合が良かっただけで、この母親は実際には、子供のことを見てないように感じませんか?




子供を育てるのに一番必要なこと

子供を育てるのに、一番必要なのは「愛を持って見つめること」だと多くの研究者が言われます。

「見るだけでいいの?」と思ったかもしれませんが、「余計な手出しをしない」ということと、「愛を持って見つめる」ことが大事なのです。

いくら世話をしてもらっても、その顔が鬼のような顔ならば、ゾッとすると思います。

例えば、あなたも好きな人から何かをもらうよりも、あなたが料理などを失敗した時に、慌てるあなたを見て、とても嬉しそうな、とても楽しそうな顔をされた方が、ずっと嬉しいと思いませんか?

これは、「あなたが失敗しようが何をしようが、私は好きですよ」というメッセージが込められています。

このように、理想的なのは手出しをせずに暖かく愛を持って見守ること、が人を安心させるのに、とても役立ちます。

まさに安全基地です。

もし、あなたがいつも失敗しないようにビクビクしているなら、そこは安全基地ではないと思います。

また、このサイトに来る人たちは、ほとんどがその感覚を味わうことなく大人になり、安全基地がどんな場所か知らないまま、生きづらさを感じていると思います。



母親の価値観を内在化

また、いつまでもこのような愛着の問題が解決しない理由の大きな一つは、その事実やその時の本当の感情を「認められない」ところから来ると思います。

よく話しますが、私たちの価値観は、当然ですが母親などから受け継ぐことが多いです。

でも、その母親があなたにとって「不信感」を抱く対象であるなら、その価値観を受け継ぐことは難しくなります。

これは、不信感を持った人を信頼できないのと、同じ意味です。

その対象が、残念ながら養育者だったということです。

でも、多くの人はこの選択に迷った時に、母親の価値観を選びます。

そうしないと生きて来られなかった「幼児期の記憶」が、そちらの選択を後押しをします。

その価値観は、きっと母親にとって都合の良いものでしょう。

そして、せっせと母親の欲望を満たすための努力をし、失敗をしたら嫌な顔をされたり「恥ずかしい」とまで言われることもあるのです。

これは、理不尽だと思いませんか?

また、あなたは冷静にしているかもしれませんが、心の中は非常に複雑です。

つまり、自分の中で「自分の本心・・・悲しい、寂しい、助けて欲しかった」などの思いと、全く逆の「母親から要求される価値観」が、まさに今、喧嘩しているのです。

怒りや敵意、疲労感などは、心の中で大げんかしているからです。


この喧嘩をやめさせないと、いつまでも葛藤は続きます。

・・・それが難しいのですが。。

自覚があるかないかの違いは大きい

また、このような関わりをしてきた母親などが、そのことに「どの程度気づいているか」って、実は非常に重要だと私は思います。

つまり、自分が悪いことをしている自覚があるか、ないかです。

人によっては、世代間を通じて粗野な人たちの中で、まともに養育されずに育ち、感情の表現が荒ぶっていたり、怒りやすかったりする人もいます。

ただ、いくら変な親でも、子供はそこに少しでも愛を感じたら、それを正確に見抜くことができるのです。


あなたはどうでしょうか?

ぜひ、子供の頃を思い出してみてください。

ただ、問題はこのようなタイプです。

そこに愛はないけど、あたかもあるように外面的なところで振る舞う人です。

これは、最初のコメントの話でもありましたが、「自分のため」に愛のある人を演じている可能性があります。

いつもは子供に全く興味がないのに、行事とか出かける時だけ優しいという態度になります。

「優しいお母さんですね」

「あなたは幸せですね。こんなによくしていくれて・・」

これを言われたい病気のような人は、実際にいます。




代理ミュンヒハウゼン症候群

実際に、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という症状もあるほどです。

これは、病気の子供を介護する姿を見て、周りの人が褒めてくれるのを求めて、わざと子供を病気にさせるような、親の症状のことです。

一時、アメリカでこのような事件が相次ぎ、社会問題化してました。

それほどまでに、親などもまた「褒められたい欲求」を抱えているのかもしれません。

でも、それは親自身の問題であり、子供はそのために利用されているのです。



このような問題が複雑なのは、親自身もどこかで「自分に非がある」とわかっていながら、それに取り組むことをせずに、取り繕う(隠す、表面上は見栄え良くする)ことにエネルギーや時間を使ってしまうことが問題なのです。

これは、嘘に嘘を塗り重ねると同じことで、解決とは反対の方向へ向かっているように感じます。

罪を認めた上で、それでも再犯を繰り返すようなものでしょうか。

しかも、被害者である子供には「黙っていろ」ということですから、タチが悪いと思います。

でも、さっきも言ったように、子供の目だけはごまかせないのです。

だからこそ、子供は何もかもわかった上で、共犯のような感じになっていきます。

それも、自分を傷つけるための共犯です。

そして、こんなことを繰り返すうちに、どんどん子供らしさや、その人らしさを失っていきます。



こうやって聞くと、「そりゃおかしい」と思ったと思います。

つまり、子供の頃の記憶は、とても正確であり、純粋に見ていた可能性が高いのです。

だから、人からの記憶などは無視して、あなたが当時に感じた思いなどを否定しないで、もう一度味わうことはすごく大事です。

それを止める権利など、誰にもないのです。



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愛着不足の8つのチェック


【愛着障害】愛されなかった人が生まれ変わるための5つのステップ


【愛着障害】ブログ記事

愛着障害


2020年12月10日木曜日

心理操作に負けない方法


あなたは、誰かから心理的に操作されていると、感じたことはありますか? これは、明らかに嫌がらせを受けたとか、意地悪をされただけでなく、 「すごく優しい感じの人なのに、話したあとに、後味の悪い思いをした」なども含まれます。 このようなやりとりは、スタートの合図があるわけではなく、自然に始まっていきます。 そして、「このくらいなら・・・」という小さな妥協によって、相手の操作がエスカレートしていきます。 気付いたときには、後戻りできないような状態になることも多いです。 もし、あなたが心理的にカモられていると感じるなら、参考になると思います。

心理操作が生まれるプロセス

まず、あなたがカモられていると感じているなら、「なぜ、カモる人はそんなことを考えるのか?」という疑問が出てくると思います。 このあたりも含めて、どうやって、カモられていくかを、説明します。 カモるひとは、もともと自己愛の欠如などが原因で「そのままの自分は愛されない」などの劣等感を持っている場合が多いと思います。 なぜなら、そのままの自分で愛されると思っていたなら、わざわざ望んでない人を「心理操作してやろう」とは思わないはずです。 「愛情の反対は、無視だ」という言葉があるように、このような自己愛が欠如した人にとって、一番怖いのは、無視をされて孤独になることです。 それならば、「相手に愛情がないとわかっていても、そばにいて欲しい」と考えます。 そこから、間違った人間関係の土台が作られていくのです。 その土台の上で、あなたと知り合いその関係を作り上げるのです。 このような心理操作をすることで、人との関係を構築することが土台である人は、前にも言いましたが、そのままの自分では相手をとどめておけないのはわかっているので、いろんな操作をします。 大きく分けると、この三つの方法です。 一つは、 恐怖心 「好き勝手なことをしたら、不幸になる」などの言葉で、恐怖心を煽ります。 二つ目は、 義務感 何々しなければならない、何々してはならない、というように、心理的に縛ります。 そして、三つ目は、 罪悪感 自立しようとするときや自己主張などをしようとするときに、罪悪感を持ってきてそれを諦めさせます。 例えば、 「あんたのせいで、私はつらい生活を我慢して続けてきた」などです。 このような方法は、目新しいものではなく使い古されたような方法ですが、義務感の動画でも言ったように、マインドコントロールのように自動的に反応するように習慣づけられていると、なかなか自分の思う通りに行動でき無くなります。 また、このような、カモるひとの心理操作によって、カモられるひとが反論などをせずに、妥協してしまうと、カモるひとはうまくできたと思います。 そして、一度できたなら、二度でも三度でもできるはずと、さらに要求を高めようと思うのです。

ここで、心理操作のプロセスを6つあげます。 まず、一つ目は、 1.要求 これは、はっきりと金銭とか愛情などの要求を口にするだけでなく、
「もうやっていけない」とか、「死にたい」などの遠回りな要求である場合も多いです。
でも、この要求には、「あなたの意見を聞こう」とか、「あなたの気持ちを配慮しよう」とするなどの気持ちは「ない」と思ってください。 また、この要求を、最後まで変更するつもりはありません。 次に、二つ目は、 2.抵抗 これは、あなたの気持ちです。 「だからと言って、私は仕事をやめたり生活を変えることはできない」などです。
これが正直なところでしょう。
次に、三つ目は、 3.圧力 あなたの抵抗に対して、相手の反撃です。 「愛しているなら・・」とか、「家族なら・・」という言葉を使って、あなたに圧力をかけます。
どんどん、あなたが不利な状況になっていきます。 次に、四つ目は、 4.脅し ついにきましたが、「今までの要求を受け入れないなら、それなりのことを覚悟する必要がある」という強迫的な態度になります。 これは、明らかな脅しもありますが、泣き落としなども同じです。 また、最初の要求を飲んでくれたら、「金銭的に援助する」とか、「愛してあげる」などの、悲しい期待を持たせる場合もあります。 次に、五つ目は、 5.屈服 あなたの抵抗は、圧力と脅しによって、ついに屈服することになります。 それは、相手の要求を飲むということです。 次に、六つ目は、 6.繰り返し 相手の要求を飲んだことで、「平和がやってくる」と、あなたは一安心します。 でも、カモるひとは、そんなことで満足はしません。 この人は、「圧力や脅しで屈服するのだ」とさらに自信を深めて、新たな要求を繰り返します。 いかがでしょうか。


この経験によって、カモるひとは、いかに圧力や脅しが大切かを学びカモられるひとは、自分が折れることで、うまくいくと学ぶのです。 つまり、これはこのような役割や関係性が「強化した」と言う証拠です。 ただ、このような経験をすると、「二度と心理操作などされたくないので、誰とも付き合いたくない」と思う人も多いと思います。 このような人は、ぜひ、相手が健全な心理操作をする人か、不健全な心理操作をする人か、区別をする目を養うといいと思います。
その違いは・・・ 「あなたの希望や幸せを犠牲にしていても、その要求を繰り返す人かどうか」です。 もし、あなたの人生などに土足で入ってきてあなたの邪魔をするようなら、それは明らかにカモるひとです。 それは、境界線があるかどうかとも、考えられます。 よく、一度浮気をしたからと言って、一生旦那さんを責め続ける人などは、不健全な人です。 逆に、結婚を続けるなら、二度と浮気はしないで、などとルールを決める人などは、健全な人です。 この違いに気づいて、人間というまとまりで判断せずに、一人一人を分けて観察するようにします。 この見極め方として、あなたを心理操作したい人は、このような特徴があります。 1.あなたを支配しようとする 2.あなたの抗議や抵抗を無視する 3.自分はあなたよりも、まさっていると主張する 4.自分の責任を、全く受け止めない このような人は、あなたを心理操作する目的で接している可能性が高いです。 そして、このような人を理解しようとすると、余計に深みにはまるだけです。 それくらい、カモるひと自身も、マインドコントロールされたような状態なのです。 また、限度もなくなり、時間的な制限もなくなるので、いつまでも続けてしまいます。 このような人は、自分を正当化し、抵抗するあなたを病人扱いすることもあります、 また、それでも要求を聞かなければ、親戚などを応援に連れてきて、従わせようとします。 また、近所の娘さんは、すごくよくやっている、などと比較をして、さらに追い詰めます。 このように、カモるひとは、生育歴などの問題は、かなりあっただろうと思います。 でも、それさえも忘れさせるほどに、人生に勝ち負けだけを取り入れ、それに勝つためなら、誰でも利用してやろうというような、怪物になってしまったのかもしれません。 このような人を変えようとなどは、思わない方が良いです。 後半で、対処法などをお伝えしますが、それは相手を変えるためのものではありません。 あなたが相手の要求を聞かないことで、相手がこの手法を諦めるためのものです。

また、このような心理操作によって、私たちは、どうなっていくでしょう。 もちろん、精神的、経済的に搾取されることもあるでしょう。 中でも、最も重要なのは、人の持つ価値観とか純粋性などの人間の土台にあるものが、不安定になっていくことです。 これは、とても大切なことなのです。 今、自分に価値がないとか、正直にいきても損ばかりする、などと思っているなら、土台のところが不安定になっている可能性があります。 ぜひ、このような言葉を、繰り返し自分の中で、自問自答してください。
1.自分の思ったことは、自分で主張する 2.私は自分を守る必要があるときは、対決する覚悟がある これは、対決することを勧めるのではなく、自分を守る覚悟を決めることが重要です。 3.私の価値観は、自分で作る 4.私は純粋性を守る 5.私は真実を見て、真実を話す これは、相手がいかに卑怯な手を使っても、それに流されないと言う意味です。 このような、心理操作をする人たちとやりあっていると、ついつい大事なものを犠牲にしてしまうことがあります。 特に、自分の中の純粋性などは、絶対に失いたくないものです。

心理操作に負けない方法

今までは、「カモるひとが、どんなにいろんな手法を使ってあなたをカモろうとしているか」などをお伝えしました。 このような人に、どう対応したら良いか、全てを拒否すれば良いのか、と言う疑問も生まれると思います。 先ほど、プロセスの中で、屈服と言いましたが、屈服の全てが悪いわけではありません。 例えば、あなたにとって無理のない範囲で、やれるような要求なら、やってあげても良いでしょう。 このような屈服を、意識的な屈服とします。 それに対して、カモるひとの言うことなら、なんでもするのは、自動的な屈服です。 これをすると、カモるひとにとっては、とても都合の良い相手に、なってしまいます。 つまり、屈服するのもしないのも、自分で決めることが大事で、それを相手に決められるような立場に、ならないようにすることが大事なのです。 ぜひ、相手の言葉や要求を、静かに検討するようにしてください。 そして、カモられるひとから、卒業するにはどうしたら良いでしょうか? 相手のコントロールを、止めないといけません。 それならば、このような人のコントロールをとめるには、どうやって対応したら良いのか? 変ないいかたになりますが、 もっと、あなたも適当に接したら良いと思います。 不誠実な人に誠実に対応したから、相手は図に乗ったのです。 だから、こちらも本音で接するというより、不誠実な人に対応すると思ったら良いと思います。 でも、絶対にしてはいけないのが、相手の要求を飲むというプロセスを、繰り返すことです。 つまり、言葉ではどんな優しいことを言っても、実際には相手にしてないということです。 「自分がこう悩んでいる」とか、「私はこういう人間だから、もうやめてほしい」などと、お願いするなどは、絶対にしないこと。です。
適当にあしらうけど、無理な要求には絶対に従わない、ということです。 楽しい時間を過ごすけど、相手が要求を出してきたら、「もう時間だから帰るね」などと言って退散するとか・・・ 練習をして、要求されたらすぐに、「できない」「無理」などとすぐにノーを言うとかです。 例えるなら、営業マンのしつこい営業を断るイメージです。 こんな人相手に、怒るのも面倒なので、適当にあしらって、「バイバイ」と言う感じです。 こうすることで、カモるひとは、今までうまく言ってきた心理操作が、全く通用しないとわかります。 しばらくは、しつこく同じ方法で、やってくると思いますが、こうなればゲームのように楽しむくらいの気持ちで、相手をしましょう。 ルールは簡単です。 あなたは、相手の無茶な要求に、従わない。 今までと、反対の流れを作るだけです。 そのためには、できるだけこちらが距離を取りながら、流されないように気をつけるだけです。 あまり深刻になると、相手の好きなパターンになりますから、なるべく明るく、軽い感じで進めると良いです。 つまり、こいつにはもうこのやり方は、通用しないな、と思わせることが、ゴールなのです。 カモるひとは、要求、抵抗、圧力、脅し、屈服、繰り返しのパターンで、あなたから大切な時間、金銭、労働、気持ちなどを搾取する方法を、使ってきました。 あなたが妥協するたびに、相手は心の中で、笑っていたかもしれません。 このような人を自分と同じように考えたり、変えられると考えるのは、すごく危険です。 まずは、自分を守ろう、自分の権利を守ろうとするところから、始めます。 そうしないと、本当に生涯にわたって、エンドレスになってしまいます。

最後に

色々言ってきましたが、まず、あなたが心理的に操作されている、と感じる相手の、言動を冷静にチェックすることから始めてください。 要求、抵抗、圧力、脅し、屈服、繰り返しのパターンの、どこにいるのか?などです。 このように、カモるひとは、仕事とか日常生活が、例えあまり上手くなくても、このパターンに関しては、かなりの熟練者であることが、わかるかもしれません。 例えば、スマホも使えないような高齢者でも、このパターンでは、すごく生き生きハツラツとして、思考が回っていることを確認できるかもしれません。 それだけ、自分の歴史の中では大切な武器であり、今までずっと成功してきたことなのでしょう。 でも、それはカモられるひとの、犠牲の上に建てた砂の城だったのです。 このような得意としていることに、対抗するのは非常に難しいですが、対抗している感じを出さずに、要求に応じないと言うような方法が一番効果があるように感じます。 ぜひ、カモるひとを、冷静に観察することから始めてください。 ありがとうございました。 ・・・動画もどうぞ!

【動画内でご紹介した動画や関連動画】 嫌いな人を避ける方法
人生がおかしくなった理由


人を見る目で人生が変わる【本性を見抜くための大切なポイント】
※自動音声になります。苦手な方はご遠慮ください。

2020年12月8日火曜日

【愛着障害】愛されなかった人が生まれ変わるための5つのステップ

 


あなたは、誰かからひどいことをされた時などに、「ひどい!」と反発しますか?


それとも、ただその痛みや苦しみを受けて耐えてしまいますか?


今日は、このように嫌なことをされても、耐えてしまうかたにお伝えしたい内容です。


あなたは愛着障害ですか?


最初に質問したように、誰かからひどいことをされた時などに、ただその痛みや苦しみを受けて耐えてしまうことなどは愛着障害の大きな特徴です。


これは、当たり前だと思っている人がいるかもしれませんが、普通の人は、「痛い!」とか、「私がこんな目にあうのはおかしい!」と、自己主張するはずなのです。


でも、それができないし、しようとも思わないのはこれは問題なのです。


考えてみたら、自分を守ろうとしてないですよね。


これは、もしかすると「あなたが愛着障害であるかもしれない」ということです。


今日は、このような特徴があるかたに、今までぼんやりと疑問に思っていたことに、光が当たるような内容をお伝えしたいと思っています。


2020年12月7日月曜日

怒りの残量をチェックする方法


 

怒りって、意外に自覚がないかもと思ってます。

多くの方が、「怒らされているから仕方ない」とどちらかというと「受動的に」思っているように、最近感じます。

でも、怒りは自分の不安とか心の傷や恐れなどから、身を守るために作っていることも多いのです。

ゲーリー・スモーリーは、これを一次的感情と二次的感情で説明しました。






この図のように、怒りは一次的感情を覆うような形で、コーティングしていると思ってください。

つまり、不安な自分、恐れている自分はあまりにも弱々しいから、怒りという強いイメージでそれを見えなくさせている感じです。

だから、怒りが湧いた時には、「これは二次的感情だ」と気づくのが大事です。

そして、一次的感情について考えてみると良いです。

つまり、怒りが出てきたら、「私は何が不安なんだろう?」と自問自答するのです。

今までは、自分の中にある不安などの感情を、自分で処理できないので、周りの人に怒りとしてぶつけていたということです。

確かに、ずっと怒っている人は結構いますが、周りに怒りをぶつけてストレス発散をしてるようにしか見えません。。

怒りっぽい人は、これに気づくだけでも、人間関係のトラブルは減ると思います。

また、日頃から自分の怒りについて、積極的に管理することを、お勧めします。

私は、生ごみを入れる蓋つきのバケツをイメージしてます。

このゴミが怒りの感情だとします。

これを溜めてしまう人は、結構います。

そして、ついにはどこかでゴミが飛び出すのですが、これが厄介なのです。

つまり、ゴミの日を守って小出しにしていれば、なんの問題もないということです。


ゲーリー・スモーリーは、このゴミ(怒り)の管理を勧めています。

どんなことに注意して、管理をしたら良いでしょうか?

ゲーリー・スモーリーによると・・・

1.ささいなことで簡単に傷ついたり、苛立ったり、不満を覚えてたりしてないか?(と振り返ってみる)
2.苛立ったり不満を覚えたりすることは、めったにないか、時々あるか、ほぼ毎日か?(回数などで分析してみる)
3.現在、人間関係に憤りを覚えていないか?今までに関係を絶った人はいないか?(自分の傾向を知ることができる)
4.最後に怒りを爆発させたり、怒りで誰かと関係を絶ったりしたのはいつか?引き金になったのは何か?今同じ状況に直面したら、どう対処しようと思っているか?(客観視します)
5.関係を修復すべき人、自分が怒っている相手、自分を怒っている人を挙げてみよう。(類は友を呼ぶではないけど、怒りは怒った人を呼ぶかも)

ということです。

よく考えてみたら、「怒りによって関係が終わった」という話は、多いものです。

つまり、最初は我慢して我慢して、最後には切れて関係が終わる。

全く良いとこなしといった感じです。

それならば、怒りは早めに小出しにして、それを嫌がったりする人は「どうぞお帰りください」の姿勢で良いように思います。

あなたは、怒りを溜め込んでいませんか?



怒りの対処法




「許す」ことが出来ない理由がわかる


怒りや憎しみを作らないための方法



心に染み付いた怒りや恨みを手放す3つのステップ







2020年12月4日金曜日

「ストア哲学」ストイックで人からの侮辱に対抗する!

 前回は、ストア哲学、ストイックとはについてと、代表的な思考法であるネガティブ・ビジュアリゼーション、積極的不快などについて、お伝えしました。


今回は後半で、主に人間関係の話をします。

人との関係がうまくいかない方へ、またトラブルが多く起こって、自分の気持ちが落ち着かない方などに、読んでいただきたいと思います。



苦手な人への対処法

ストイックは、周りの人から影響を受けるなと言いつつも、人間は社会的動物だから人と協力するように勧めます。

さぁ、この矛盾をどう解決するのか?

マルクスは、人に対する不信感が非常に強かったのですが、仲間との関係には背を向けずにいたそうです。

なぜこのようなことができたかというと、動機付けの違いです。

私たちが仲間と協力するのは、罰せられることへの恐怖からくるものだと思います。

四面楚歌とか村八分、批判を受けたくないと言う恐れの気持ちです。

それに対してマルクスの動機付けは、報酬への期待からくるものだと解釈しました。

この報酬は、お金ではないです。もちろん、名声でもありません。

これは、「良き生」つまり、「納得のいく人生を送った」と自分が思うためにです。


ただ、悪徳な人などは、ウィルスのようにあなたの感情に悪い影響を持ってきます。

このような感染を防ぐためにはどうしたら良いでしょうか?

他人と接する前に、自分が守ろうとする「性格と型」を形成しておく、ということです。

これは、「ここだけは譲れない」というようなところをはっきりしておくことです。

もっともしてはいけないこと


それは、苦手な人を嫌うことです。

理由は、嫌悪という感情は有害だからです。

「その人のことを思っただけで、気分が悪くなった」と言う経験はあると思います。

コメントなどでも、恨みの感情を出す人は多いですが、とても強くしつこい感情です。

ストア哲学では、そんな嫌いな人のために、自分が感情的な被害を受けないように、嫌わないということです。


そして、最後の復讐はこれです。

相手と同じようにはならないこと!

です。

嫌な態度をしたり、意地悪をするような人と、同等のレベルにならないことです。

同じ土俵で戦う意味もない、ということです。


それでも不快だと感じたら?


それでも義務とか必要性があって、一緒にいないといけない場合もあります。

そんな時は、どうしたら良いでしょうか。


1.自分のことも不快に思う人がいると考える(視点をズラす)

2.相手のことについて深く考えない(時間の無駄)

3.嫌な人間が存在するのは、当たり前だと思う(一般化)

となります。

それでもイライラしたら?


人生は一瞬だ!と考える(そんな人に時間を使うのは勿体無い)


いかがでしょうか。

他者からの侮辱にどう対処するか?


侮辱とは、どう言う意味でしょうか。

ばかにして、はずかしめること。

と言うことです。

あなたも、このような経験はないでしょうか?

優しそうな顔をして、親しげに近づいてきたのに、突如恐ろしい言葉を吐いて、あなたを傷つけるような人に出会ってしまった。

また、突然、朝来たらメンバーが無視をして驚いた、などです。

誰でも経験があるのではないでしょうか。

これは、事故のようなものですが、このような出来事で自分が傷つくことは、避けたいものです。

このような場合、ストア哲学ではどう考えるのでしょうか?


ここで、侮辱を受けた時に、考えたいことを4つあげます。

  1. 立ち止まり、本当かどうかを確認する
  2. 相手は、自分のことをどれほど知っているのかを考える
  3. 相手によって受け止めかたを変える
  4. 侮辱と受け取ったのは自分だと気づくこと

また、哲学っぽい内容もありますが、一つづつ見ていきます。

1.立ち止まり、本当かどうかを確認する

例えば、ハゲと言われて実際にハゲているなら「それは事実」と言えます。
でも、言われた方が間違いなのではなく、事実は事実という捉え方です。

2.相手は、自分のことをどれほど知っているのかを考える

 人の中には、ただ自分が優位性を出したいから、人を蹴落とすようなことを言っているだけの人も多くいます。

その侮辱の内容があっているのか、本人の問題なのかを調べる必要があります。

3.相手によって受け止めかたを変える 

相手があなたにとって、尊敬している人なら、もしかすると侮辱ではなく、「良いアドバイス」なのかも知れません。
逆に、尊敬してない人なら、あなたの見立ては当たっていた、ということになります。
つまり、「自分の人を見る目は間違っていなかった」と喜ぶべきです。
世の中には、傲慢なだけの人間を親友だと思い違いをしている人が、たくさんいます。

4.侮辱と受け取ったのは自分だと気づくこと

これも難しいですが、一番のハゲは事実、という例のように、事実を言われて侮辱だと受け取ったのは「自分」であり、その結果怒りを生んだのも「自分」だということに、気づけば感情がゆさぶられることもないと思います。


いかがでしょうか。


次は、この侮辱に対して、具体的にどのように対処するかを考えたいと思います。



侮辱にどう対応するか?


まさに、上のイラストのようにならないように、侮辱に対処しないといけません。

このような取っ組み合いの喧嘩などは、相手にもよりますが、「お互い様」になってしまいます。

それは、さっきも言ったように、侮辱をする人と同等レベルになったということを意味します。

では、ストア哲学ではどのように対処していくのでしょうか。


  1. ユーモアで答える
  2. 反応しない
  3. 教えてあげる

この3つになります。

詳しく説明します。

1.ユーモアで答える

これは海外の哲学なので、このようなユーモアで答えるという内容は、日本人には難しいかも知れませんが、意図を理解すると納得できます。
このユーモアは、相手の侮辱を真正面から受け取ってないということを、意味します。

例えば、「あなたが言う以上に、私は欠点だらけだ」と言う感じの自虐も含めてです。

こう答えられると言う設定が、相手にはないので、驚くと思います。その間に、その場を去るようにします。

2.反応しない

聞こえていないかのようなそぶりをしたり、聞こえていたことがわかっても「くだらない人間の相手をする暇はない」と言う意味合いがあります。


3.教えてあげる

相手がまだ成長段階であるなら、そのような言葉や態度は失礼だと教えてあげるのも一つです。


褒められた場合は?



では、逆に、褒められたらどうしたら良いのでしょうか?

同じく、「反応しないか相手にしないこと」が大事です。

あなたは、誰かから褒められることを、人生の目標にしていませんか?

それは、とても危険なことです。

なぜなら、褒められるためには、その人の価値観を自分の中に取り入れなくてはならないからです。

これは、例えば、親などから褒められるために、努力をしている人がいたとします。

その人は、自然に親の望む姿・・つまり親の価値観を自分に取り入れて、それを達成しようとしているのです。

このような人は、親などの「飽くなき欲望(前半をご覧ください)」に、振り回されることになります。

ストア哲学、ストイックになるには、まず、このような「褒められたい欲」を投げ捨てることをお勧めします。

また、このような場合、褒められても反応しないと言う方法の他に、もう一つ方法があります。

それは、わざとその人から軽蔑されることをする、です。

これは、反抗期なども似てますが、前半で言ったように人間の飽くなき欲望は、非常に強く、しつこいので、最初にバーンと大げさに裏切りを見せることで、相手の都合の良い空想や夢想、期待などをバサッと裏切ってしまうと言う方法です。

いかがでしょうか。

終わりに・・・


私たちは、人生の喜びを少しでも感じようとします。

そして、その喜びには、「変化」が必要であると思います。

この変化は、環境や人間関係を変えることで、きっと変化が訪れ喜びも・・となります。

こうして転職や付き合ったり別れたりを繰り返して、疲れ果てた人も多いと思います。

ストア哲学では、そうではなくて、前半で言ったようなネガティブ・ビジュアリゼーションなどによって、既に持っているものを喜ぶと言う方法です。

だから、何も付け足さなくても良いし、変化も必要がないのです。


また、私たちの不安の多くは、今あるものを失うことによる「予期不安」です。

これは、将来への不安なども同じです。

付き合っている人が離れる不安、ペットが死んでしまう不安などもそうです。

でも、別れはいつかは訪れます。

それを、予期しておくことと、実際に少しづつ体験していくことが、この哲学の面白くて、役に立つところだと思います。

そのためには、3つのことを覚えておいてください。

  1. 自分の性格を楽しむ
  2. 失う準備をしておく
  3. 悪い意味で「通(極上主義)」にならない
これを簡単に説明すると・・・

1.自分の性格を楽しむ

自分は(とりあえず死ぬまでは)失うことはないからです。
しかも、自分の性格や思考は、自分でコントロール(前半をご覧ください)できるものです。

 


2.失う準備をしておく

ネガティブ・ビジュアリゼーションや積極的不快プログラムを使います(前半をご覧ください)。

 


3.悪い意味で「通(極上主義)」にならない

前にテレビでやってましたが、お金持ちでも、10万円のワインや1000円のワインを、見分けることすらできないのです。
でも、「通」ぶっていると、悪い人が寄ってきて、このワナにはまって湯水のようにお金を使うことになります。
もし、このような見栄っ張りの生活習慣があるなら、この機会に考え直してみてください。
きっとわかった人は、そのような人を冷めた目で見ているはずです。


いかがでしょうか。

なんか、世の中を見る目が、少し変わったと思いませんか?

ぜひ、あなたの生活に、ストア哲学、ストイックな生き方を取り入れてください。






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