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2021年5月21日金曜日

弱い人間はどう生きたら良いのか?



 今回は動画で、「頑張っても仕方がない」と思えるような思考を、ニヒリズムとしてどうやってニヒリズムから克服できるかについて考えてみました。

ニーチェについては、たくさんの書籍があるので、詳しく知りたい方は、そちらもお読みください。


このような内容だと、「それはできません」「もっと具体的な方法を教えて」などという声をもらいます。

そのような場合、どう考えたら良いかをこちらのブログで考えたいと思います。

ただ、私が思うのは「本当に弱くて何もできない人間が、解決策を探すのか?」という疑問を持っています。

例えば、ライオンの群れの中で、草食動物が紛れ込んでいるなら、すぐにでもそこから逃げ出すことを考えたり、どうやって同化して生きていくか、などを模索すると思うのです。

それは、まさしく「生き延びるため」の手段です。

動画でも言いましたが、ニーチェは人間の強さ、弱さには3種類に分けられると言いました。

1.弱い人

2.比較的強い人

3.最も強い人

これを自分で見極めるのは、結構難しいと思います。

だって、同じ人間だって強い時と、弱いときがあるように、一定ではないからです。

ただ、この自覚は大事かもしれないと思いました。

動画では、主に3番の最も強い人はどうするか?について話しました。

答えとしては、

裁きを下す既存の価値観を超越する

というものです。

つまり、「あなたはこういう人間だからこうしなさい」というような、裁きを下そうとする人に対して「私はそういう人間ではありません。こういう人間です」などとさらっと言ってのけて、このような人からの支配を交わして、自分なりの生き方を貫くというものです。

ここでは、感情的になって言い争うことが目的なのではなく、いくら強い圧力を受けようと、自分で創った価値観を保ち続けることが大事ということです。

根気の勝負かもしれません。

そして、自分を乗り越えるとは、「何かの役職を手に入れる」とか、「豪華な買い物ができるようになる」というような表面的なものではなく、先ほどの「あなたはこういう人間よ」というような人に対して、常に交わしたりするのを「継続」することの、終わりのないような一連の作業の繰り返しのことを、ニーチェはニヒリズムを乗り越える……つまり、自分を乗り越えると定義してます。

つまりはそれが一生続くかもしれないということです。

それでも、簡単に自分の価値観を捨ててはいけないということです。

だから、いかにこの圧力や自分の中の抵抗に、忍耐強く勝ち続けるかの勝負なのです。


よく「誰々から反対されています。どうしたら良いでしょうか?」

というような質問をもらいますが、まさしく「このような反対に勝ち続けること」が、この問いの答えとなるのです。

でも、人間は、誰かからの拒否などに敏感で、また忍耐強くないものです。

だから途中で諦めてしまうのが、常なんですね。

それを「どうしよう?」と悩んでいるということです。

つまり、問題は相手をどう説得するかではなく、自分の価値観をどうやって守り続けるかが重要です。

ただ、さっきも言いましたが、人間は、誰かからの拒否などに敏感で、また忍耐強くないものなのは、自分もそうですが「相手も」そうなのです。

だからこそ、簡単に説得に応じないこと、自分の価値観をあっさりと折ってしまわないことです。

それさえ守れば、あとは何を言われようが、人の価値観を変えようとするような傲慢な人間のことは気にしないことです。

逆に言えば、こうして簡単に自分の価値観を変えてしまう人間だと思われていたからこそ、あなたを支配しようとして、しつこく諦めなかったのかもしれません。

これは、人として強い弱いというより、生きる上で最低限 必要なことのように思います。


自分の価値観があれば、自分が自分をコントロールできる。

自分の価値観がなければ、支配者が支配をするしかない。

自分の価値観がないなら、従属している方がまし……なのかもしれない。

このどちらを選ぶか……ということですね。


この課題を、今回のことで挑戦するのか、もしくは、次のターンまで保留にするのか、という問題なのかもしれません。

また、「自分の価値観がわからない」というなら、それは「どう生きていいかわからない」ということなので、納得ができる価値観を持つナビゲーターを探すことも、選択の一つとして考えてみてはいかがでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2021年5月14日金曜日

(「ゆるす」「ゆるさない」を決める)正義って何?

 





あなたは、誰かをゆるせなくて苦しんだことはないでしょうか?

この「ゆるし」は、非常に誤解が多く、また間違った解釈をして、本人が都合の良いように使っていることが多くあります。

例えば、言うことを聞かせたい人に対して、自分の望むことと違うことをされた場合、焦ります。

そして、「そんなことをしたらゆるさない」と言って、やめさせようとします。

このようなとき、人はエゴの塊になっています。

まずは、このような真実を見ることができるようになることが大事です。

「ゆるせないのは、自分の意に反するからでは?」

くらい返せるようになったら良いですよねーー。

また、「ゆるす」「ゆるさない」を決める正義って、今言ったように「エゴ」である可能性が高いので、自分自身も「ゆるせない」と感じた時に、少し立ち止まって「エゴ」が入ってないかをチェックする必要があります。

エゴは自分の価値観です。

その価値観に従うのは、自分だけです。相手は相手の価値観があります。

それを認めるのがここで言う「ゆるし」であり、自分も相手も自由に生きることができるようになる出発点になると思います。





真の正義とは?



こちらの「ゆるし」 あなたの魂を癒す奇跡の力 /アイリーン・R.ボリスでは、本当の正義とは?について、このように述べています。


どんな人の中にも「創造的知性」が宿っている、と言う事実を思い出すことができる。

「傷ついている場所」と「最大の癒しが宿る場所」をハッキリ区別できる。

人は皆同じであること、誰もが多くの恐れを抱えていることを理解できる。

どんな仕打ちを受けても、その相手を「ゆるし」の視点からとらえて受け入れられる。

どんなに傷つけられても「相手の行動」ではなく「その行動に隠された相手の恐れや罪悪感」に気づくことができる。


つまり自分には正義というエゴがあって、相手がそれに反するとゆるせなくなる。

でも、その相手には相手の事情や価値観があり、まずはそれを理解することが、ゆるしという行為ではないでしょうか。

でも、自分が傷つくことに甘んじるのとは、意味が全く違ってくるのです。

ここが難しいですよね……。

また、「ゆるせない」と言う気持ちは、実は自分につよく罪悪感があり、それを誰かに投影することで、気を紛らわすと言うか、偽の癒しを求めているのだと思います。

本来なら、その罪悪感について、自分の中で解きほぐしていく必要があるけど、また過去と同じように傷つくのが怖くて、なかなかできないのだと思います。

でも、それを続ける限り、誰かの行為を自分の中の価値観で判定して、「ゆるせない」と言う結果が出たら、「成敗する」と言う繰り返しになってしまうように思いました。

自分の価値観で物事を判定して、気分を悪くている……ということか。

ま、嫌なら離れたらいいわけですしね。

たまにマスコミなどの報道で、ある有名人が「不倫をした」などと書かれていることがあります。

最初は、「別に個人のことだからほっとけ」と言うような意見もチラホラあったのに、あるときをきっかけに、国民が総出でバッシングの嵐になることがあります。

実は、このようなエネルギーを使って「デマ」などが拡散されるのです。

これも、実は個人それぞれが、罪悪感を持てあましていて、「どう処理したら良いかわからない」状態だと思います。

また、過去の傷や将来の不安なども抱えているとしたら、このような「有名人が悪いことをした」と言う事件に乗っかって、もともとある不安とか怒りを発散するのは理解できます。

ただ、こんな中で「私はゆるす」と言う気持ちがあれば、きっと自分の中の不安や罪悪感から、自由になれるのだと思います。

ただ、誤解してはいけないのは、書籍にも「傷ついている場所」と「最大の癒しが宿る場所」をハッキリ区別できる、と言うことが大事だと記述がありましたが、このように今でもあなたを傷つける人と永遠に一緒にいることは、服従であり「ゆるし」ではありません。


つまり……

ゆるしとは、自分のためであること。

ゆるしとは、無罪放免をするためではないこと。

ゆるしとは、エゴを受け入れるかどうかの裁判ではないこと。

ゆるしとは、支配者の身勝手な都合で使われるものではないこと。

ゆるしとは、現在と未来のために「ゆるせない」と言う 過去の不自由(囚われ)を手放すこと。


こうして考えていくと、「ゆるせない」と大声で叫んでいる人は、きっと「自分を愛してー」「自分だけを見てー」と叫んでいるのだと思います。

だからこそ、相手の言うゆるせない「こと」に目を向けるのではなく、ゆるせないと叫んでいる相手の心を見ると、こちらは混乱せずに心が平静でいられるように思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2021年5月10日月曜日

ダイアローグー本当の対話についてー


「 なぜ、あの人を説得できないのか?」

「なぜ、私たちは分かり合えないのか?」

このようなことは、親密になろうとすればするほど、出てくる悩みだと思います。

そして、気がつくと勝ち負けのゲームのように、自分の主張を繰り返して、相手がなにを言っているのかさえも聞けなくなることがあります。

動画では、主に悩みが解決しない理由として、その原因とか、本当の悩みについて詳しく解説しましたが、ブログでは、「わかりあう」とか「理解する」などをメインに考えていきたいと思います。


今回の内容は、生物学者であり哲学者でもあるデヴィット・ボームのダイアローグからお伝えします。

学者さんであり哲学者さんなので、非常に言い回しが難しいです。

でも、このようなお堅い職業の方がダイアローグ……つまり対話について研究するとは、面白いと思いませんか?

また、彼自身は執筆というものにそれほど興味がなかったのか、論文を組み合わせたような内容になってます。




自分の意見に固執すると……?



こちらのタイトルは「ダイアローグ」です。

つまり、対話という意味なのですが、彼自身が対話に失敗した人物とも言えます。

彼は、アインシュタインと一時期、とても親密になりました。

でも、よくあることですが……ある意見の不一致により、その関係が終了してしまいました。

そして、その後二人の仲を取り繕おうとした仲間の努力もむなしく、その(仲直りのためにお膳立てされた)パーティーではお互いに顔を合わすことなく、会場の隅っこと隅っこで、身を潜めていたそうです。

……なんか人間らしくて共感ができます。

確かに、書かれている内容は、この解決策を自分で書いているような感じがします。

つまり、アインシュタインと揉めたのは、お互いにもつ「真実」が違ったということです。

それを、「私が正しい」という大前提から両者譲らずで、仲違いしてしまった……ということです。

このように対話というタイトルで論文を書いた人が、失敗するくらい、人間は「私が正しい」という大前提に執着してしまいます。

あなたも、大切な人とか、上司などと「私が正しい」という理由で、揉めたことはないでしょうか。

考えてみたら、そればっかりだと言えるかもしれません。

また、家庭とか学校、職場もそうですが、上下関係がはっきりしているところでは、上の立場の人が、権威性を発揮してしまうので、下の人はどうしても従わないといけなくなります。

でも、これは下の人が我慢しているだけで、ボームのいう「腐敗したシステム」の土台になっているように思います。

ウンベルト・マトゥラーナは、このように言います。

人が他の人に「真実」というものを語るとき、彼らが実際に行なっていることは、服従を求めることである。
自分たちには、真実を見る特権があると主張しているのだ。
ということです。

これは、真実という言葉を、少し視点を変えると「良い悪いの判断をできるのは、あなたではなく私なのよ」というメッセージが込められている感じがあります。

このような一方的な関係は、機能不全になりやすく、土台は脆く崩れやすいとも言えます。

では、こう言った機能不全の状態ではなく、新しく友人を作りたい、信頼できるパートナーが欲しいと思った時には、どのようにしていけば良いでしょうか。


コミュニケーションとは?


よくコミュニケーションという言葉が、飛び交いますが、本当の意味を知って使っている人は、どのくらいいるのでしょうか?

ボームによると……

  • ある人から別の人へ、できるだけ正確に情報や知識を告げる
  • 互いに協力して、新しい価値を創る

ということです。

一般的に言われているのが、前者で、目新しいのは後者ではないでしょうか。

また、日本では正確に告げるだけではなく、目上の人を喜ばせたりする迎合も、コミュニケーションと思われているかもしれません。

しかし、こうしたことをうまく使って、口ばっかりでなにもしないような人が、今まではうまく出世してきたようにも感じます。

でも「なんか違うよな……」という気づきがそろそろ出てきてもおかしくはないはずです。



暗黙の領域



では、後者の互いに協力して新しい価値を創るとは、どういうことでしょうか。

これは、会社とか社会だけでなく、個々人の間にも言えることです。

つまり、人と人が親密になる過程だとも考えられます。

例えば、付き合いそうな男女が知り合ったと考えます。

今までは、「自分にとってどんな相手が都合が良いか?」などを軸に相手を見ていたとします。

これは、自己愛的な相手をもののように利用する考えです。

それから少し成熟して、「この人と親密になりたいな」というような気持ちが芽生えてきたところだとします。

それに必要なのはなにでしょうか?

それが、「暗黙の領域」です。

これは、趣味などを通して例えば「猫が好き」というような価値観を受け取ります。

そして、相手は「なぜ、猫が好きなのですか?」というような問いかけをします。

これは、猫が好きな人は多いですが、その理由によって、聞いている人の共感度が高まります。

そこで「実は私の友達は、昔から猫だけだったの」というような返事をもらうと、受け取った側は、「もしかすると、ずっと寂しかったのかな?」などと理解をしようとします。

こうしてお互いの間で、いろんなきっかけによって、意味を共有していきます。

それは実際に語られなくても、「きっとそんな人なんだな」という暗黙の中で理解していくような感じです。

この時間が大事なのです。

このような暗黙の領域での交流ができることで、全く違う場所で生きてきた二人の人が、接着剤のように「意味の共有」によって繋がるということです。

つまり、本当の対話とは、誰かを説得したり、言い負かせることではなく、こう言った目標とか作戦のないところから生まれるものだということです。

私たちはいかに間違った対話をしようとしたり、押し付けられてきたかがわかりませんか?

このように押し付けることを考える人は、ただ「どうやって今まで通りの生き方を継続するか」だけを考えます。

そのような先生や親などは多くないですか?

だから、その人自身にも、その人と誰かとの関係性にも、両方とも創造性はないのです。

でも、これも性格の一部ですから、変えることは非常に難しく 仕方がないのです。

ただ、多くの人のコミュニケーション論が間違ったものである原因は、きっとですが このようなコミュニケーション論を教える側の人間の、偏った解釈によって勝手に改良されてきたからではないでしょうか。

だから「迎合することがコミュニケーション」ということになったのかもしれません。

つまり、「真の対話を避ける方が良い」と思っている人たちによって、本物の教えがゆがめられてきたのだと思います。

そう考えると、このような歪みはあらゆるところにあるように思います。

これを自分で見極めて、真に受けないとか無視するスキルをつけていくことが、重要です。


対話の目的とは?


今まで言ってきたように、対話とは指示を受けるものではありません

また、良いか悪いかを裁判するものでもありません

また、意見の交換をするものでもないのです。

ただ、多くの人が意見の交換こそが「対話だ」と思っていると思います。

でも、あなたの周りの人たちの、会話のキャッチボールは真の対話なのでしょうか?

例えば、近所のおばちゃんが自分の言いたいことを言って、そして相手も自分の言いたいことを言いあう……これは会話のようで会話でない気がします。

どっちも聞いて欲しいのだけど、それではマナー違反だろうから、聞くふりをしているのだと思います。

では、真の対話とはどんな感じでしょうか?


真の対話とは



ボームは、このように説明してます。

何か一つ自分の「意見」を、参加者のいるところで、挙げてみます。

これは議題というはっきりしたものではなく、単に、「私はこう思うのだけど……」と言った感じです。

そこで、どこかに導くのではなく、また、すかさず裁判するのではなく、「そうではなくこうでは?」という説得でもないのです。

ただ、その意見をボケーっ(コントロールのない状態)と、眺めるのです。


ちなみに誰かを説得しようとしている人は、その相手に疑念を抱いている証拠です。

疑念がなければ、他人の意見をコントロールしようとしないはずです。

そうではなくただただ……




「あーあなたの意見は、そういうことかーーーーーふんふん… 

というように、みんなでその意見を眺めるような感じです。

そこに「答え」はいらないのです。

もちろん、二人などの場合も同じです。

この時間は、さっき言ったような「暗黙の領域」が生まれています。

「こう考えていたんだね……」という時間です。

そうすることで、100パーセントその人の意見に賛成できなくても、「あなたの言いたいことはわかったーウンウン」というような、意味の共有はできるはずなのです。

つまり、そこでは良い悪いを決めることをしないルールにすることです。

だから、誰も傷つかないのです。

また、このような反応であれば、「また次の機会に意見があれば、臆せず言ってみようかな」と自信を持てるはずです。

このように ただ受け止めてもらって、批判とか指図のない経験は非常に重要です。

人によっては リラクゼーションとかカウンセリングに近いとも言えます。


でも、このような経験のない人は、ついつい戦闘態勢になってしまいます。

そして、その場で浮いてしまい、最後には自分のことも傷つけてしまうのです。



まとめ


私たちは日々の忙しい生活の中で、また、「勝つか負けるか」のような緊張した空気の中で、いつの間にか自分を防衛し自分の意見を守ることに執着をしてしまいます。


それは、きっとですが今まで深く傷ついてきた人ほど、それが強く出るはずで、今日の話のような「猫が好きな理由を聞いて共感する」というような経験は、ほとんどないかもしれません。

常にジャッジされるとか、良いことをしたら褒められる、というような他人からの判定を待つことが、対人関係の基本であったなら、今回の「何もしない」ということが苦悩になるのです。

でも、その苦悩は最初だけで、慣れたら癒しになると思います。



もちろん、あなたを傷つける人からは、身を守る必要はあります。

でも、その人の気持ちを理解したいとか、一緒に創造していきたいと思える相手には、このような、判定や批判のない暗黙の領域を使うという方法もあるのです。

ぜひ、気を許せる仲間からはじめてみてはいかがでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2021年5月5日水曜日

自己愛を回復する方法 ー恥の克服ー

 


先日、自己愛人間に対する対処法という内容でお送りしました。

改めて「自分は自己愛人間だ」と思ったかたも、いたのではないでしょうか?

今日は、このような自己愛に傷を持つかたへ、どうやったら健全な自己愛に持っていけるのかを、考えてみたいと思います。



私もいろんな本を読みますが、症状などの紹介は多いけど、意外に解決法とかなおす方法などは、少ないように感じました。

なぜでしょうか?

「そんなの無理でしょ」と多くの人が思っているからかもしれません。

または優秀な精神科医でもない限り、治せないと思っているかもしれません。

でも、そんなことはないと思ってます。



前に、シンクロニシティの記事を書きましたが、私たちの内面が変わる時って、こんな風に一瞬の偶然のようなものがあって、それによって瞬く間に「気づき」があって、お湯が沸騰する瞬間のように、変化するものだと思ってます。




ただ、それまでにはいろんな知識や経験によって、準備をしていく必要がありますが、実は私たちはその瞬間のタイミングを、こうして待っているだけなのかもしれません。

ただ、こちらに来ていただく方の中でも、爽やかにお礼を言ってくださる人などは、どこかでこのお湯が沸いたのかもしれません。

ということで、今日は前回の不健全な自己愛を、どうやって健全な自己愛にしていくか、をテーマにしていきたいと思います。

それには、私は「恥の意識」に取り組む必要があると思ってます。


いつ「恥」は生まれたのか?


あなたに質問をします。

ちょっと思い出してみてください。

あなたに恥をかかせて、隠しきれない笑顔で興奮していた人は、いませんでしたか?

このような人たちによって、私たちの「恥」は生まれ、育ってきました。

今回は、このような人に恥をかかせる人を、「悪意の支配者」と呼びます。

悪意の支配者は、家族や教師、いじめっ子などの一部が、当てはまります。

では、恥をかかせることのメリットとは何でしょうか?

ピーターブレギン博士は、このように言います。

恥は、私たちを無力または無意味だと感じさせることによって機能します。
私たちは失敗し、恥と屈辱の増大に耐えることを恐れて、自分自身を主張することを禁じられています。


ということです。




よく、母親などが「だから失敗するって言ったじゃない」などと、あとで言うことがあります。

こう言われると、まさに恥の意識が出て、「やっぱり自分はダメなんだ」と屈辱感を覚えます。

これこそが、悪意の支配者の思う壺なのでは、ないでしょうか。

そして、このような経験を何度か繰り返すうちに、自分の中の信念が、書き換えられていきます。

子供は生まれた時は、誰でも自信たっぷりです。

でも、このような恥の経験によって、自信を失い、「自分には状況を良くする能力などない 」と言う信念に書き換えていくのです。

これは、無価値感と拒絶の感情です。

本来なら、そんな時に「そんなことない、失敗から学べるよ」などとなだめてもらえたなら、無価値感などはすぐに消えると思います。

でも、悪意の支配者であるなら、さらにその傷をえぐるような対応をします。

なぜ、そんな悪趣味なことを、わざわざするのでしょうか?

これは、「恥」と言う感情は、その人を衰弱させる力があります。

つまり、主体的に動いたり、自立するようなことを妨げます。

そうすれば、いつまでも悪意の支配者の元にいないといけなくなります。

つまり、恥をかかせて弱体化させて、支配力を高めると言う作戦です。

また、ピーターブレギン博士は、このように言います。


加害者(悪意の支配者)は自分の卑劣な行動について、罪悪感、恥ずかしさ、不安を感じません。

彼らは正当化され、資格があり、権限を与えられていると信じている。

 

そして、彼らの無実の犠牲者は、自己敗北性の否定的な感情を、生涯の遺産として残していく。


と言うことです。

また、そのような悪意の犠牲者の関わりに対して、犠牲者は「ただその状況に耐えることしかできない」と思っています。

これも、自信を失って「自分には状況を変えることができない」と思い込んでいるからです。

ただ、自分には他に状況は変えられないか?と悩んで、少しでも補う努力をする場合もあります。



例えば、スポーツとか、勉強、人に尽くして喜ばす、キャリアをつけたり、経済的な成功などを目指します。

でも、これは恥を隠すための努力なので、ほとんどが失敗します。

私たちは、このような繰り返しを、ひたすら続けているのかもしれません。


では、どうしたらこの繰り返しをやめて、恥を克服することができるでしょうか?



恥を克服する方法


恥についていろいろと話してきましたが、いかがでしょうか。


ちょっといかりが湧いてきたならチャンスです。


なぜなら、いかりは真実を見る勇気を与えてくれるからです。


もし、本当に今すぐに、克服したいのであれば、一番の方法は「目を覚ますこと」だと思います。


いかに身勝手な理由で操作をされてきたのかを知って、その人を冷静に眺めることです。


そうしたら、悪意の支配者のやっていることは、実に単純に見えてきます。


毎回、同じストーリー展開のドラマを見ているような気づきがあると思います。


これが、目がさめると言うことです。



では、具体的に、四つのステップで、紹介していきます。




大まかに言うと、恥を利用してあなたを支配しようとしたり優位に立とうと考える人を、見極めることです。


そして、いつもの負けパターンを壊していくことです。


また、恥の本当の克服は、恥を避けるのではなく、恥を話せるまともな人を新しく探して、恥を共有することです。


こちらは、ブレーネブラウンの弱さの克服を参考にしてます。



では、早速いきましょう。



1.恥のサイクルを知る


以前、近所のおばあさんが、犬を放し飼いにして散歩をするので、その犬に足を噛まれたことがありました。

その時のおばあさんの恍惚とした表情をよく覚えています。

当時は「迷惑をかけてなんて顔をしているだ」と思いましたが、まさしくこのような人が「悪意の支配者」であり、この仕掛けが「恥のサイクル」なのです。

恥のサイクルを回そうとして、飼い犬を使っているのだと思います。

このように街を歩くだけでも、恥のサイクルは、勝手に回り出す危険があります。

まずは、このサイクルに気づくことが重要です。

どんなきっかけで恥のサイクルが始まり、どんなプロセスを経て、屈辱の結果を生み出すのかです。

これは、とても気分が悪いものですが、ここは我慢をして思い出すことが重要です。

「あなたに恥をかかせたのはだれ?」

「あなたはどんな恥が苦手?」

「その時、どんな気持ちになった?」

などと、具体的に思い出して、自分の恥の特徴や、サイクルを理解してください。


2.恥のサイクルを回さない


自分の弱点とかいつものパターンがわかれば、過去の悪意の支配者に似た性格の人などを、あらかじめ避けておくことなどができるようになります。

そして、偶然が重なって恥のサイクルが回りだしても、気づいたらすぐに止めるようにします。

ただ、今までの犠牲者の行動パターンは、かなり残っているはずなので、つらいかもしれませんが、ぐっとこらえて恥のサイクルをこれ以上回さないようにしてください。


3.恥を共有する



この頃になれば、悪意の支配者からは距離をおき、以前よりは安定した日々を送れるようになると思います。

でも、これまでは恥をかかないための行為です。

3番からは、「あえて恥をかく」ことを目標にします。

あなたが今まで、避け続けてきたかもしれないことです。

恥とは、無力であることを認めることです。

そして、恥を話すとは、「私は無力な人間だ」と他人に伝えることです。

これは、傷つく可能性もありますし、非常に勇気がいることです。

まさに過去の傷を広げる危険もあります。

でも、これは非常に重要なのです。

なぜなら、恥を持ったまま隠し続けることは、まだ過去の悪意の支配者の、支配下にいると言うことなのです。

できたら、その支配から抜け出したいですよね?

そのためには、自分の恥を利用しない、別の人を探すのです。



その人は、あなたを受け入れられるかどうかは、話してみないとわかりません。

でも、このように自分の無力さを伝えることは、他者のコントロールから、自分のコントロールに移ったと言うことなのです。

なぜなら、もう悪意の支配者から恥をかかされても、あなたはその恥を隠す必要がなくなるからです。

そして、もしその恥を共有してくれる人がいれば、その恥は力を失っていきます。


4.共感こそが恥を退治する


共感というのは、ただただ受け入れてもらう経験です。

「わかるー」とか「私も同じ」などです。

このような共感は、一人じゃないと思えます。

恥の始まりは、人との断絶の恐れから始まりますが、恥を共有したり、共感し合うことで、他人とつながりができます。

そのことで、恥は克服できるのです。

ただ、優しい顔をした、悪意の支配者に、当たってしまうこともあると思います。

そこは、想定内で覚悟を決めて、やっていくしかありません。

それくらい恥の克服は、大変な作業なのです。

これからは人と出会う時に、このような物差しを使ってみてはいかがでしょう?




「自分の恥を話せる相手か?」

「恥を使って操作する相手ではないか?」

「共感しあえる相手か?」

などです。


いかがでしょうか。


では、恥をかかされた人が、結局 一番惨めで不幸になるのでしょうか?


私は「ノー」と言いたいです。


恥をかかされた人は、その真実に気づけば、恥をかかす人から離れることができます。


でも、恥をかかせることで支配することを覚えた人は、自分自身がそのことでメリットとか中毒性のものを得ることを覚えたので、そうそう抜け出せるものではないと思います。


失敗体験は依存性は低いですが、成功体験は非常に依存性が高くて、そのやり方を変えられずにいる人が、実に多いこと多いこと。


何度失敗しても、恥を使って人を操作しようとして、最後には誰からも相手にされず、そして最後には半狂乱のようになって世の中を憂うのだと思います。


あなたは、どちらでしょうか?


つまり、恥をかかされているうちは、「人としてマトモ」ってことだと私は思います。


太宰治の「恥」


恥について調べる中で、太宰治の短編小説「恥」がありました。

23歳の女性が小説家である中年の冴えない男性に、手紙を書き実際に会いに行く(心の中では逢いに行ってあげる)というものでした。

なぜ、この女性が自分を恥を感じているかというと、その「冴えない」男性は、実はとても素敵な人物であり、素敵な奥さんもいたとのこと。

そして、彼女が送った手紙についても、小説家の男性は気に掛ける様子もなかったようで、女性の中だけで恋心が勝手に芽生えて、いろんな理想というか都合の良い予想をしていたのでした……。

このような勘違いこそが本当の「恥」であるように思います。

これはまさしく自分のイメージで勝手に作り上げたものが、対象者には全く伝わってないというような「始まってもない」事態こそが「恥」なのでしょう。

だから、誰かが作り上げた「恥」などは、簡易的な偽物なのです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


2021年5月3日月曜日

自己愛人間への対処法


あなたは「自己愛」と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか?

自己愛には健全な自己愛と、不健全な自己愛があるのですが、タイトルの自己愛人間とは後者のことを指します。

こちらのサイトではよく取り上げるのですが、一言で言えば「自己中で冷たい人」のことです。

誰にでもこのような面は、あると言えばある(私はあるっ)のですが、それが社会生活とか日常の人間関係でトラブルを巻き起こしてしまうような人を、自己愛性パーソナリティー(障害)という診断を受けることがあります。

これも性格の一部なのですが、あまりにもこの傾向が強くなると、非常に生きにくくなって、恋愛や結婚などもうまくいかず、子育ても難しいということになります。

今日は、このような自己愛について、すごく詳しく書いた書籍があるので、こちらのご紹介とポイントだけお伝えしたいと思います。




とにかく中身がぎっしりで、読んだ後の満足感はかなりのものです。

今までも、自己愛については色々と取り上げていますが、特にこの書籍の中で、際立ったキーワードがあったので、その説明をしたいと思います。





まず、さっきも出ましたが、不健全というキーワード、続いて、恥、また、母親、そして自己愛のドラマ、連鎖、自己愛のワナ、2歳児、妄想症、100人に一人、といった感じです。

最後にこのような人への対処法をお伝えしたいと思います。

では、早速行きましょう。


1.世代間の「連鎖」

100人に一人、恥


先ほど、「自己中で冷たい人」と言いましたが、このような不健全な自己愛を持つ人の親は、大抵が同じように、自己愛が不健全なのです。

これが連鎖ということなのですが、この性格傾向がなかなか改善されないのは、「本人が認めないから」とも言われます。

米精神医学会では、このような自己愛人間(自己愛パーソナリティー障害)は、100人に一人と言われます。

でも、周囲を見渡すと、実際にはもっと多いと思いませんか?

これは、自己愛人間の特徴として、非常に恥の意識が強く、実はそれを隠すために人を利用したり、バカにすることで必死で自分を守っているからなのです。

つまり、自分を「おかしい」と認めるのは、恥なのです。

だから診断項目への答え方も、「おかしさ」を避ける傾向にあるのです。

そもそも、その恥を認めないために、奇妙な言動をしているので、他人が指摘してもより強く防衛が働いて、爆発的な怒りなどが出てしまうのです。

では、どうしてこんな性格傾向になったのかを考えていきます。

2.「不健全」な自己愛


先ほど自己愛人間は、不健全な自己愛だと言いましたが、それは一体どういうことなのでしょうか。

まずは、健全な自己愛について、簡単に説明します。

健全な自己愛


自分自身の感情を感じることができ、また相手の感情を感じることもできます。

また、夢見る力を持ちながら、現実と幻想を区別できる能力があります。

このような自己愛は、本当の自尊心の上に成り立っています。

これに対して、不健全な自己愛とは何でしょうか?


不健全な自己愛


精神面、情緒面が完全には成長していません。

よく2歳児のままなどと言われます。

また、能力や実績がないのに「素晴らしい人間」だと思い込むところがあります。

でも、それを誰かに指摘されるとさっきも言ったように「恥」の意識が表出して、非常に敏感に強く反応します。

また、自分と他者の区別がつかないので、平気で相手のものをもらおうとしたりします。

そして、この不健全な自己愛を持った理由が、母親との関係が元になっているので、母親または父親も自己愛人間である可能性が高いのです。

そして、この親から離れたとしても、同じような自己愛人間の餌食になりやすい傾向があります。


では、さっきから言っているような「恥」の意識は、どうやって生まれたのでしょうか?

自己愛の傷つき


覚えているかどうかは別として、1歳くらいの時に、子供が母親と楽しいことを共有しようとした時に、拒否されたり無視などをされると、子供の万能感は崩れて「恥」の意識が芽生えます。

これが自己愛の傷つきです。

本来ならそれに気づいて、すぐに母親などがフォローしていれば、なんでもない出来事として終わったはずですが、きっと繰り返し繰り返し同じような拒否や無視を経験したので、傷が深くなったと考えられます。

そして、生涯にわたってこの「恥」を避けようとします。

それが人生の目的のようになってしまうのです。

これが、偽りの自己です。

それが自己愛人間の特徴である、冷たさとか怒り、非難、反抗などという形になって、恥をかかないように必死で守っているのです。

それだけ傷が深いということです。



ところで、ここに風船があります。

これは、子供の頃の万能感とか誇大感だと思ってください。

子供はある程度までは、自信満々です。

しかし、この風船の取りあつかいによって、その後は大きく性格が変化します。

このような万能感とか誇大感は、いつまでもそのままだと、ちょっと勘違いした人になってしまいます。

これを、自己愛人間では特権意識と言ったりしますが、「自分は優遇されて当たり前だ」というような思いを、大人になっても持ち続けてしまいます。

逆に、この風船をバンっとひと思いに潰してしまうと、一気に自信を失ってしまいます。

また、そのあとに放置されたりしたら、ますます「自分は価値がない」というような意識が芽生えます。

理想は、少しづつ空気を抜いていくような、丁寧な取り組みが必要なのです。

この時に、親が逆に怒ったり、無視をしたり、大笑いしてからかったりすると、子供は傷つきます。

この恥の意識をバカにしていると、子供のその後の人生は、暗いものになってしまうのです。

やたらに人の目が気になったり、恥をかきたくない気持ちがつよい人は、このような傷がまだ痛いのだと思います。

このような子供の、上機嫌な状態から、少しの恥を体験して、それを癒すまでのプロセスがうまくいくと、恥の感情を処理する方法がそこで学べます。

これで、現実的な自己感を持つようになります。

それができない子供は「自分が悪い」と結論づけてしまい、その現実があまりにもつらいので、幻想を見て自分を慰めます。

では、このように子供に恥をかかせてしまう母親は、どんなことになっているのでしょうか?


3.「母親」が自己愛人間の場合


さっきから言ってますが、自己愛人間はそれに気づくこともなく、ずっと世代間連鎖をしている可能性があります。

だから、それに気づかない限りは、母親を見れば子供がわかるし、子供を見れば母親がわかるのです。

では、自己愛母親は不健全な自己愛を持ったまま、どうして母親になろうとしたのでしょうか?




これは、「自分のため」と考えられます。

つまり、完璧な母親像を映し出すために、完璧な子供が必要だと思ったということです。

だから、子供は完璧でないと困るのです。

そうしないと、ずっと隠し持っている、恥の意識が出てきてしまいます。

でも、実際に子供が完璧であっても、そうでなくても、実際の子供にはあまり愛情を抱かないのが自己愛人間の特徴です。

子供よりも、「自分が母親になる」という体験が重要なのです。

また、生まれたての赤ちゃんの時は、非常に手間がかかるので、「面倒だ」と思うことも多いようです。

ただ、共生期(2ヶ月から5ヶ月)に入ると、赤ちゃんのまっすぐな眼差しに癒されて、融合(一体化)したい(手放したくない)気持ちが芽生えます。

そして、今度は自分の中に取り入れようとしますが、これが母子の分離を難しくしてしまいます。

まもなく赤ちゃんは、母親以外にも人がいることに気づき、興味を持ち始めますが、自己愛の強い親は、子供を失うことの怖さと怒りを感じるようになります。

ここで、過剰に恥の意識を植え付けて、自立の機会を制限するか、子供を支配しようとします。

これが自己愛のワナです。

ここで成功したやり方は、成人になった子供に対してさえも、同じ方法でワナにかけようとしているはずです。

つまり、自分にとってプラスになることだけを褒めて、自立するようなことを否定するなどして、子供を操るようになります。

こうして、自分と同じような自己愛人間を、育ててしまうのです。


父親が自己愛人間の場合




また、母親ほどではないですが、父親が自己愛人間だった場合、父親は自分のことに夢中なので、母親は子供に頼るなどをしてしまい、子供は生涯にわたって母親から縛り付けられる可能性が高まります。

本来の父親は、母子分離の手助けをするのが正常な役割です。

でも、逆に母子を融合させる手助けを、してしまうようなものです。

このような自己愛の強い親によって、どちらかの子供になります。

1.偽りの成熟を示す子供


これは、良い子などが代表するような、母子逆転のような子供です。

大人になっても、誰かの役に立つことでしか、自分の存在を認められないようになります。


2.特権意識モンスターの子供


大人になっても、根拠のない誇大感があり続け、勘違いしているタイプです。



どちらも自己愛人間であることは確かで、大人になっても自己愛人間に振り回されることになります。


4.老化して「妄想症」に?


妄想症とは、自己愛人間が歳をとって、若さを失い、美しさなどを失うと,
内的に破綻してしまって、このような症状になることが多いそうです。

妄想とは、誰かが自分を襲ってくるような勘違いのことです。

お年寄りの事件などは、この妄想症が多いような気がします。


自己愛人間の一番の弱さは、この加齢だと思ってます。

気持ちは2歳児なのに、鏡に映る姿はどう見ても老婆だったりすると、心の均衡が保てなくなるのでしょう。

だからギリギリ限界まで、若作りする人も多いと思います。

もし、あなたが自己愛人間ならば、親の姿を見ると、自分が何も改善せずに加齢をした姿を、見ることができるでしょう。

その年齢まで、自己愛人間でいられたことも、ある意味「特殊な環境だったからこそ」と言えるかもしれません。

ただ、「老年になって現実を見るのか、若いうちに知っておくのか」と考えると、若いうちに知っておく方が、その後の人生は全く違うものになると思います。


5.自己愛人間への対処法



では、このような自己愛人間にどう対処していけば良いでしょうか?

そもそも論、なのですが、自己愛人間に悩んでいるということは、あなたも同じ自己愛人間であるという気づきが、非常に重要になります。

もし、あなたが健全な自己愛であるなら、すでに自己愛人間を見抜き、関わらないようにしているはずだからです。

だから、自己愛人間に対処しつつ、自分も振り返るという、二重の作業が必要です。

もしかすると、今まで自己愛人間を、「魅力的だ」と思っていたかもしれません。

実は、自己愛人間は、有名人や経営者などに非常に多いのです。

インスタで自撮りなどをしている人は、かなりの確率で自己愛人間です。

でも、あなたが本当に自己愛人間のワナにはまって、自己愛ドラマに巻き込まれるのが嫌なら、これからの方法を試してください。

また、それと同時に自分も同じことをしてないか、振り返ることも重要です。


1.自分を知る


まず、当たり前ですが、親と分離した一人の人間になることが、最初にやることです。

親と融合したままだと、他の自己愛人間からも見抜かれ、同じような扱いを受けるのです。

心理学者のエランゴラムは、このように言います。

情緒的に独立したひとりの人間として、心の平静を保つために必要なのは、相手から挑発された時に「闘争的でない断固たる態度」を取り、「穏やかな無関心」で対応すること

ということです。

闘争的になると、感情的になるので、自己コントロールが難しくなります。

それは、自己愛人間にとって、非常に有利な立場にさせる(コントロールされやすくなる)ことになります。


次に、

2.現実を受け入れる


私の親は、未熟な精神構造の持ち主だ」と自覚することです。

さっきも言いましたが、2歳児だと思うことです。

でも、そこで止まったまま成長しないことを選んだのは、間違いなく本人の意思なので、それをあなたがフォローすることはないのです。

著書ではこのように書いてます。

私がどう努力しても親は変えられない。
私は親が望むような完璧な人間にはなれないし、親を満足させて無条件の愛を勝ち取ることもできない。
親が私を愛せず、敬意も示せないのは、私の人間的な価値とは何の関係もない。


ということです。

きっちりと境界をつけることが大事だとわかります。


次に、

3.境界を設定する


まず、最初に自分が許容できる言動を、整理しておきましょう。

それは逆に、許容できない言動を、自分で決めることです。

そして、自分の身の守り方を知っておくことです。

自分の身の守り方とは、昼しか会わないとか、家を出るとか、それぞれ事情が違うのでなんとも言えないですが、自分でルールを決めるしかありません。

つまり、親の言動をやめさせることを考えるのではなく、親の言動に振り回されない方法を、これからは考えていくのです。

親の言動をやめさせようと考えることこそが、親子が融合した状態で境界がない証拠なのです。


いかがでしょうか。


今まで言ってきたように、自己愛は自分で認めることが何よりも難しいので、あなたがそれに気づいたのであれば、すでに不健全な自己愛から、抜け出している途中なのだと思います。

あとは、自信を持って自己愛のワナや自己愛ドラマに、付き合わされないようにすることです。


また、いくらダメな自己愛人間であっても、その性格を変えようとしたり、一緒になって感情的に争うのは、すでに境界を犯されているのであり、あなたもその境界を積極的に侵しているのかもしれません。


まずは、自己愛人間というフィルターで、人を見るというのが、このような人からの利用とか搾取から、身を守る方法なのかもしれません。

また、これは日本だけでなくアメリカでも自己愛の問題は、大きな問題だと受け止められていることがわかります。

これも、「親業」という仕組みを、いつの間にか親が自分たちの都合が良いように、解釈をして取り入れてしまったようです。

これは、教育にも影響されています。

まさに子供のためではなく「自分のため」に、育て方を捻じ曲げてしまったことがわかります。

この悪影響は、子供のような大人とか、親になりたくない人の増加など、いろんなところで問題化しているように感じます。

以上で、自己愛人間への対処法を終わります。

ありがとうございました。

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