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2019年12月24日火曜日

ヒトリのススメー他人の目が気になるあなたへー

今日は、一人になるのが嫌で、嫌な人と我慢して付き合っている人や、どうしても他人の目が気になる人へ、メッセージを送りたいと思います。 必要な方は、字幕もご利用ください。 あなたは、人と群れていると疲れませんか? では、「はい」と思ったかたへ、また質問です。 なぜ、人と繋がっていようとしているのですか? それは、他人の目が気になるからではないでしょうか。 ・・・続きは動画でどうぞ!


2019年12月16日月曜日

人生のリセット法ー40個の心理チェックー

あなたは、今、何かに苦しんでいるのでしょうか? 仕事、人間関係、家族など、自分の思い通りにならず、ドツボにハマった気持ちになっているかもしれません。 もしくは、あなたがまだ経験がなかったとしても、周囲などで、華やかな成功を収めたあとに、なぜか自らが落ちていくような行為を繰り返して、元の自分や、もっと低い次元に落ち込んで、苦しんでいる人などをみたことはないでしょうか。 そのような人の共通点は、どこかで非現実的な物の見方があって、いわゆるファンタジーの世界にいるのです。 そして、現実では自分の嫌いなことをやりながら、いつかは好きな人や、やりがいが、どこかから舞い降りてくるという期待をしていることです。 ドツボにいるのは、そのファンタジーの中で間違って覚えた思考法を、ずっと繰り返しているから、だと思います。 このようなことを、今回は具体的にお伝えしていきたいと思います。 ・・・続きは動画でどうぞ!

2019年12月9日月曜日

「私っておかしい?」と感じたり、周囲から浮いていると思った時に、聞きたい言葉

今回は、カウンセラーのジャネット・G・ウォイテッツのエーシーに関する言葉をお伝えします。 自信をなくしたとき、自分だけが悪いような気分になった時などに、聞いてください。 ACとは、アダルトチルドレンの略です。 詳しくは、動画がありますので、ご覧ください。



関連動画:ヒトの見分け方ー親密さを求めて 健全な人間関係に欠かせない要素とは? https://youtu.be/4g1JhdhRyJQ

2019年12月2日月曜日

ACの特徴チェックとその解決法とは?あなたが悩んでいるのは、性格ではなく、習慣化された思考法だった。全編

今まで、ACだから仕方がない、とか、生きにくさは変えられないと思っていませんでしたか? これは、自分の性格を変えようとしているから、無理だと思っていたのだと思います。 ACを定義すると、子供時代にアルコール依存症者などの問題のある親や重要な他者に巻き込まれて生きてきた人のことです。 つまり、アルコール依存症者は病気ですが、ACは、巻き込まれただけなので病気ではありません。 ただ、その時に嫌な思いをしたトラウマが、自己否定とか嘘をつくという性格傾向が強くなってしまったのです。 病気ではないので、自分の思考法を変えることで、このような特徴的な思考や言動は減っていくと思います。 今回は、最初にACのチェックと、そして各項目の説明と改善法をお伝えします。 ・・・続きは動画でどうぞ!
抜粋版はこちら https://youtu.be/eoumZl84t0Q

2019年11月25日月曜日

ヒトの見分け方ー親密さを求めて 健全な人間関係に欠かせない要素とは?

親密になるとは、ひとに近づくことですが、誰と親密になるのかを見分け、どうしたら近づけるのか?などと考えたことはあるでしょうか? 今日は、このようなことを、詳しく考えていこうと思います。 内容に、相手に与えなくては与えられない、という意味の表現がありますが、これは、何かを自分が得るために迎合するのとは、意味が違います。 迎合してしまう人ならば、金銭とか時間などを、相手に与えすぎていないか、相手は受け取ってばかりではないか、バランスが悪いのではないか?と、現実的な視点から疑問に感じるのも、不健全な関係に気づくチャンスになると思います。 ・・・続きは動画でどうぞ!

2019年11月9日土曜日

不安をやっつけろー不安に立ち向かうにはー







あなたは、今、不安ですか?

そうならば、どうしたら、不安から逃れられるのか、不安をやっつけられるのか、と悩んだこともあるでしょう。

今日は、そんなかたに聞いてもらいたいと思います。


「人はときに死んでも不幸を手放さない」。


この言葉を聞いて、どう思いますか?

これは、加藤たいぞう先生がよく使う言葉です。

先生は、このようにも言っています。

多くの場合、人は不安に対する対処の仕方を間違えて、人生を終わる。
不安にどう対処するかということが、人間の最大の問題である。

と言うことです。

不安に対する対処を間違えて、と言うのは、不安に立ち向かわずに、逃げる方法ばかりを模索して、人生が終わる、と言うことではないでしょうか。

それほど不安は人間にとって恐ろしいことかもしれません。

カレンホルナイは、人は不安になればなるほど現状にしがみつく、と言います。

とても居心地が悪いし、周りは嫌いな人ばっかりなのに、現状にしがみついてしまいます。

これも、現状から離れたときに、どんな未来が待っているのか、わからないと言う不安ではないでしょうか。

心の病気になってしまうのは、「今がどうにもならなくなっている」と気づいているのに、そんなところにしがみつくから、心の病気になってしまうのです。

このしがみつくと言う行為は、心の病になってしまうことからも、残念ながら、自分を不幸にする努力です。

逆に、嫌な場所から飛び立つと言う行為は、不安は伴いますが、自分を幸せにする努力です。




あなたはどちらの努力を、今、していますか?


ここで、しがみつく人は、どうしてしがみついてしまうのか?と言うと、しがみついた現状から離れ、後ろを振り向くと、「不安」と言う得体のしれない魔物が襲ってくるはず、と思っているからではないでしょうか。

つまり、「不安」と言う得体のしれない魔物に立ち向かうと言う自分が信じられないのではないでしょうか。


たとえば、隣人ともめて殺人事件にまでなってしまう。


入社した途端に嫌な会社だとわかったけど、やめられなくて自殺してしまう。


離婚したくなくて、大嫌いなパートナーと、睨み合いながら暮らしている。


このような選択は、すべて「不安」から逃げるための、選択なのかもしれません。


たとえば、隣人ともめているけど、次の場所へ引っ越すのが、不安。


次の会社に転職できるのかが、不安。


自分の稼ぎでこの先食っていけるかどうか、不安。


もちろん、このような不安は、生命に直結するものですから、不安なのは当たり前です。

でも、不安から逃げると、先ほどの例のように、未来も同じ不幸のままです。




気に入られることで解決をしようとすると?


でも、自分で不安に取り組むことは、あまりに大きな仕事すぎて、取り組めないと感じたことはありませんか?

確かに、やったことのない人にとっては、とんでもないおお仕事のように感じます。

そうなると、誰かにやってもらいたい、と依存しんがむくむくと出てきます。

すると、誰かに気に入られたり、愛されたりすることで、私の代わりに不安を解決して、となります。

そのための、気に入られるための言動が、迎合となります。

では、迎合的なタイプとはどんなタイプでしょうか。

まず一つ目は、従順、何事にも遠慮するタイプ

二つ目は、仕事熱心、真面目、強く優れていようとする。

三つ目は、無理して明るく振る舞う。




いかがでしょうか。

このような言動が、あなたに当てはまるようなら、あなたはどこかで不安との向き合い方を、間違えて反対方向へ向かっているのかもしれません。

今は誰かが自分の代わりに自分の責任をとってくれているかもしれません。

でも、それはいつまでと言う保証はあるでしょうか?

自分の責任を取ってもらう見返りをいつ、求められるかわかりません。

それこそが、「不安」のたねになってしまいます。



小さい頃の体験で、今を生きていないか?


私たちは、小さな頃にトラウマがあったとすると、その記憶はなかなかなくなるものではありません。

ただ、考えてみてください。


あなたは、小さな頃に遊んでいたおもちゃを今でも遊ぼうと思いますか?


小さな頃に相手にして欲しいと願っていた相手と、今でも四六時中一緒にいたいですか?


今は成長し、求めるものも違うと思います。


求めるものも、求める気持ちも、過去のものなのに、なぜかマイナスの感情だけは今のものになっている。

それは、過去を懐かしく思う気持ちかもしれません。

でも、それはもしかすると、不幸を手放さないための手段かもしれません。

なぜ、不幸を手放さないかと言うと、手放すと不安が残るからです。

自分には、何もなくなってしまう、からではないでしょうか。

ここで、加藤たいぞう先生の書籍から抜粋したいと思います。


エーリッヒフロムの考え方である。
それは、周囲の人から気に入られることは、あなたの心の問題を解決しない。
フロムは、第一次的絆を失いながら、第二次的絆を獲得できないでいるときに、人は不安だと言う。
フロムのいう第一次的絆とは、個性化の過程によって、個人が安全に解放される以前に存在する、母親との絆のことである。
これらの絆を第一次的絆と呼ぶ。
母親との一体感のような原始的な絆である。
第一次的絆は、子供に安定感を与える。
この第一次的絆を失ってからは、人は自分で安定を見つけなければならない。
この自分で安定を見つける仕事は、実際の世の中で実績をあげる仕事と同じように大切なことである。
この方向性の違いが、後に心理的な挫折となって現れる。
例えば、憂鬱や無気力や不機嫌やイライラである。
個性化の過程には、二つの側面がある。
一つの側面においては、肉体的にも感情的にも、精神的にも強くなっていく。
他の側面は、孤独の増大である。
個性化が進展することによって、孤独と不安が高まる。
そして、自分の役割や自分の人生の意味を感じられなくなる。
自分の無力さと自分の無意味さの感情が募ってくる。
この問題の解決をしなければならない。
そこで個性を投げ捨てて、孤独とむりょく感から逃げようという衝動が生まれることがある。
それが、服従である。
しかし、服従は子供の不安を増大させて、敵意と反抗を生み出すとフロムはいう。
相手に気に入られることで人生の問題は解決しない。
相手に気に入られても、日常生活における「怯え」は無くならない。
安心するために、気に入られようとすれば、いつも心配していなければならない。
自分を信じられない人は、どんなに気に入られても、心配で心配で仕方ないのである。
それがフロムの言う服従の最大の問題点である。
気持ちの上では、八方ふさがりの状態である。

と言うことです。
いかがでしょうか。




つまり、個性化、もっと簡単に言えば、自分が独り立ちするための勇気がなくて、その上に第二次的絆も得られない。

いろんな問題を、不安と言う一つの袋にまとめて入れて、手をつけられていない、と言うことが、悩んでいると言うことなのかもしれません。

この袋をまず自分で覗くことが、初めの一歩になるのでしょう。





迎合的な自分をやめる練習



迎合的な言動は先程も言いましたが、この通りです。

まず一つ目は、従順、何事にも遠慮する。

二つ目は、仕事熱心、真面目、強く優れていようとする。

三つ目は、無理して明るく振る舞う。

これを、やりやすいところから、やめていくことです。




あなたにとって、どれが辞めやすいですか?

最初からやってないことや、すでに辞めていることがあるかもしれません。

そこで、出てくる問題は、変化に対する不安です。

これが辞められないから、ずっとあなたは仕事熱心で、やりたくないことをして、人の顔色を伺って生きてきたのではないでしょうか。

この先も、従順さや迎合的な態度を続けますか?

変化と比べて、従順さや迎合的な態度のほうが楽ですか?

ここで加藤たいぞう先生の書籍から抜粋したいと思います。

先に述べた三つの言動は、動機を考えると、逃げのエネルギーなのである。
燃え尽きる人は、死にそうになっても頑張っているが、それは元気な子供のエネルギーとは違う。
弱い人は、失恋から逃げるために別の人を恋する。
その人が好きだから恋するのではない。
同じように、今の不安から逃げるために真面目で仕事熱心な人がいる。
その仕事が好きなのではない。
不安な人は、その日から逃げている。
不安な人は、今、から逃げている。
今日を生きるとは、今を生きることだ。
何十年も前の心の傷を通して今を感じることではない。
どんなに今日いちにちが素晴らしくても、何十年も前の心の傷を通して今日を体験すると、それは重苦しいものになってしまう。

と言うことです。

いかがでしょうか。

迎合的な態度をやめられそうですか?





なぜ、不安で何もできないのか?


不安について、色々とお伝えしてきましたが、不安に悩む人の特徴であるとともに、不安が解決できない理由とは、この3つではないでしょうか。




  1. 最高の結果を求めている。
  2. 一気に理想の姿に到達することを求めている。
  3. (自分では無理なので)誰かにやって欲しいと願っている。



これは、挫折しやすい人の特徴ともいえるでしょう。
一言で言うと、理想が高く、完璧主義で、そしてすぐに結果を求めていることがわかります。

だからこそ、途中でつらくなるし、諦めたくもなります。

また、誰かにやって欲しいと願うのであれば、やってくれない人に対してはマイナスの感情も生まれるでしょう。

こうして、不安を抱えつつも、怒りなども一緒にためていくことになります。

つまり、不安とは、消極的に怒っていることかもしれません。

そうならないためには、逆を試すことになります。

それは


  1. 最高の結果でなくて良い。できることで良いと思えること。
  2. 一気に理想に到達しなくて良い。少しづつ小分けにして目標を決め、達成していく。
  3. 誰かにやってもらおうとせず、自分でできる範囲のことをやる。


つまり、自分でできることを、他人を気にせずにやっていく。ことです。


途中でなんども不安になるでしょう。
だからこそ、なんども休憩しながら進むしかありません。
期限はないのですから、ゆっくりでいいのです。
この一生の中で、自分なりに達成したと思えたらいいのではないでしょうか。





不安になったときに考えること


ここでも3つあげたいと思います。


  1. 事実が不安なのではない。と考える。
  2. 他人が同じ経験をしたらどう思うか?と考える。
  3. 自分が最も恐れていることは何か?と考える。


です。詳しくみていきます。

1.事実が不安なのではない

と言うのは、私は不安と言う思考回路が過剰に働いている。と、自覚をすることです。
だから、現状を確認して、冷静になろうと、いつも思い出すようにしましょう。

2.他人が同じ経験をしたらどう思うか?

さっきも言いましたが、不安と言う思考回路が過剰に働いているので、悩みの遺伝子がもともとない人はどう感じるかを、第三者の立場になって、俯瞰するのは、とても大切です。
切羽詰まった時こそ、決断や言動する前には、すぐには応えずに、まずはトイレなどにこもって、この視点を思い出しましょう。

3.自分が最も恐れていることは何か?

あなたが一番恐れている未来の扉の向こうには、何がありますか?
そのことと現状を冷静に比べてみましょう。
どこかで、深夜の妄想のような、現実的でない想像が含まれていると思います。
それを、丁寧に一つづつはずしていきましょう。


いかがでしょうか。

まとめ


不安についてまとめますと、
私たち、特に、心理的に追い込まれてしまう考え方の特徴として、覚えておきたいことがあります。

それは、不安などの自分の前進を邪魔する存在に対しての対処法に問題があったということです。
対処法ということは、その前の考え方にも特徴があります。

どんな特徴かというと、




そして、これができないと判断をすると、すぐに諦めたり、ひきこもったり、誰かを憎むというような、別のマイナスの感情に流れて、終わってしまっていることがほとんどだと思います。

この流れを変えるには、考え方を毎回修正していくことが大事です。

例えば




いかがでしょうか。



一部の若い人がよく「面倒くさい」と、言います。

それは、まさしくこのような問題を前にした時に、「面倒くさい」と、すぐに判断をしてやめる癖がついているように感じます。

そのような「面倒くさい」と、思うには、自分に対する否定的な気持ちを持つに至った歴史が、あるかもしれません。

ただ、その歴史をいくら詳しく紐解いたとしても過去の歴史は実際に体験できないように、今のあなたも「今」を生きることが最重要なのかもしれません。

また、「今」を生きるためには、完璧だったり、スピードだったり、楽に到達することを求めるよりも、下手なりにも「自分」でやってみることで、経験を増やしていくことのほうが大事なのかもしれません。


最後に、シーベリーの言葉を紹介したいと思います。


あなたが心配にとりつかれた人間を演じれば、不安は増すばかりです。



いかがでしょうか。

これは無理に虚勢を張って、周りを怖がらせることが目的なのではありません。
不安を恐れているうちは、不安に負けている証拠です。

「不安よ、来れるもんなら、来てみろ!」と、全ての不安の想像がいっぺんに来たことを想像して、戦うイメージトレーニングをしてみてください。

それが、万が一、実際にきたとしたら、「本当に来た!」と、ちょっと笑えると思います。

以上で、不安をやっつけろ、を終わります。

ありがとうございました。

2019年11月2日土曜日

期待をする病ー操作的期待に従わないということー






今日は期待という病について、お話をしたいと思います。


あなたは、こんなことで悩んでいませんか?


どうしても人間関係がうまくいかない。

努力すればするほど、自分が苦しい。

身近な人になればなるほど、関係が悪化しやすい。

心配してやっているのに、迷惑がられる。


そんな人にぜひ聞いて欲しいと思います。


以前から、よくこのチャンネルにコメントをくれるかたが、このようなコメントをくれました。




人に期待をするな。

亡くなった主人の言葉を思い出しました。



という言葉です。



私は、この言葉が非常に気になり、ずっと考えてきました。

なくなったご主人の遺言のような言葉。
これにはエゴも操作も、きっと全くないのだと思います。

一人の人間が一生を通して学んだ教訓だと思いました。

この愛する人への貴重な言葉を、ぜひ皆さんともシェアしたくて、期待について色々と考えたり、調べたりしてきました。

今までも、依存とか、甘えるなどの言葉を使って、期待については扱ってきました。

でも、依存などの言葉にしてしまうと、その言葉のインパクトが強くて、それを扱いきれずに、最終的に「依存的になるのは、やめよう」というような陳腐な結論で終わっていたような気がします。

ここでは、依存や甘え、などが生まれる前の、期待という気持ちについて考えていきたいと思います。

では、早速いきましょう。



期待とは?



ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。

と、辞書に書いてありました。


あなたは、どんな期待を、どんな人や環境に求めていますか?


愛して欲しいという期待。

何かを与えて欲しいという期待。

親から与えられたいという期待。

恋人から与えられたいという期待。

仲間なら当然くれるはずだという期待。

この期待こそが、悩みの始まりであり、悩みが解決をしない原因でもあります。




周りを見渡すとわかると思いますが、期待の大きい人はストレスが多く、少ない人はストレスは少ないと思います。

なぜ、私たちは、期待が勝手に生まれて、最後には期待に振り回されてしまうのでしょう。

そして、その期待を取り除くにはどうしたら良いのでしょうか。

こちらは、マークダグラスというかたの言葉です。

非現実な期待は、情報の認知に悪影響を及ぼし、ダメージとなる可能性がある。

期待とは、ある将来にどのように見えるか、聞こえるか、匂うか、感じるかという心の表現であり、私たちの知っていることから生まれる。

では、知っていることとは何か。

それは、「外部環境がそれ自体を間違いなくこう表現する」と学んでいることである。

ただし、この間違いないという確信は、その独自の真実の解釈である。
つまり何かを期待しているとは、自分が真実であると信じ込んでいることを将来に投影しているのである。
1分後、1時間後、いちにち後、一週間後、一ヶ月後に、自分が心に描いた通りになるように、外部環境に期待しているのだ。

しかし、この将来への投影には、慎重にならなければならない。
なぜなら、期待はそれほど残念なもの、精神的苦痛を生み出す可能性があるものはないからだ。
ちょうど期待通りのことが起こった時、どのように感じるだろうか。
それは素晴らしいものだろう。

逆を言えば、期待が外れた時はどのように感じるだろうか。
一般的な反応は、精神的苦痛だ。
ここが問題だ。

ということです。

ただ、このように期待をネガティブに捉えていると、そんなことはない。私は期待をされてやる気になった。という人もきっといるでしょう。




それは、ピグマリオン効果といって、その人にとって重要な意味のある他者が、抱く期待によって、その人の能力に変化が生じる現象です。

ただし、この重要な他者との関係に不信感や、支配と従属の関係があれば、たちまちプレッシャーとなり、潰される可能性も出てきます。

先生やコーチなどは、このピグマリオン効果を使って生徒に実力を発揮させようとすることも多いようですが、この使い方を間違える大人も結構いるように感じます。

期待する相手を潰し、そして最終的には自分も信頼を失ってしまう期待とは、いったいどんなものなのでしょうか。

期待する相手を潰すケースで、頭に浮かぶのは、親の期待ではないでしょうか?





ここで、期待とあきらめの心理、という書籍から、一部抜粋したいと思います。

親の期待のありかたとして、親は「我が子のために」と大義を掲げながら、子供への過剰な期待を生み出すことがあり、親の願いや期待は、必ずしも子供の身の丈に合っているとは言えず、親の独りよがりな欲求として子供の心に入り込むことになる、という考え方がある。

さらに、最近の親と子の関係性とそこから発生する期待について、子供の存在意義の変化に注目したものがある。

つまり、子供の存在意義が、親にとっての「投資財」、「生産材」つまり、(子育ての結果、子供が将来、老いた自分たちの面倒を見てくれるであろうという期待)から、「消費財」つまり、子供をいい子に育てることが、親にとっての、名誉またはステイタスであり、子育ての苦労が何らかの見返りとして返ってくることへの期待。へと変化を遂げてきたと述べている。

つまり、子供の存在意義の変化は、親自身が自らの生きがいを喪失し、親としての社会的役割が家庭の内側だけに向けられ、その結果、子供が自己実現の手段になっているのではないか、ということである。

ということです。
いかがでしょうか。


また、その期待を受け止める子供によっても、その後の自己肯定感とか、人間関係に左右していくということです。

つまり、喜んで期待を受け止めるのか、もしくは、嫌われたくない、叱られたくなくて期待を受け止めるのかによって、その後の性格形成は、大きく変わっていく、ということです。

だからこそ、期待をする側、特に影響力のある、親や先生が期待をかける前に、自分について考えないといけないことがあります。

それは、以下の三つです。




  1. 支配性の認知
  2. 援助の等価性
  3. 子供を信頼する


となります。


つまり、支配していることにちゃんと気づいているか?
そして、その援助があっているか?
そして、まずは期待する相手を信頼しているのか?もし、してないなら、まずはそこを考える必要がある、ということです。

つまり、期待されていたほうとしては、親などの大前提としての条件を満たした上で、期待されていたかどうか、を振り返り、全くの個人の独りよがりとして身勝手な期待をされていたのであれば、それは取り合わなくてよかったことかもしれない、ということです。

もちろん、当時はそんなことはできなかったでしょう。

ただ、今でも怯えている人もいるかもしれません。

そんな人もぜひ、いま、冷静に考えてみてください。



期待する人が期待しなくなるまでの4つのプロセス


あなたは期待する側かもしれないし、期待されて押しつぶされている側かもしれません。

どちらにしても、その期待に気がつかないと、いつかは期待されていた人も、誰かに期待をしていくことになります。

特に、期待が通りやすい、上の立場の人は、それが愛であるかのように表現して、とことんまで求めてしまうので、注意が必要です。

また、期待されているほうは、対応は難しいと思いますが、期待の成り立ちについてちゃんと理解することで、うまく対応できるようになることを願っています。

もし、期待の強い人がカウンセリングを受けるとすると、それなりのプロセスがあると思ってください。

つまり、すぐに解決、快方へ向かうわけではないのです。

それを4つに分けてみます。

ここで、期待とあきらめの心理、という書籍から、一部文言を抜粋したいと思います。

4つのプロセスとは、




まずは初めのプロセスは、「期待」でいっぱいの状態です。
これを操作的期待と呼びます。
純粋に大きく育って、というような期待ではなく、自分の代わりに出世して、みたいな身勝手な期待です。

次に、2つ目のプロセスは、期待の鈍化
つまり、自分が持つ期待に対して、行き詰まりを感じて、うまくいかないな、と感じるようになります。

ここでの行き詰まりの定義をお伝えします。

これは、操作的期待の行き詰まりということで、「子供が親の思い通りにならず、親の操作的期待に対し、拒否・拒絶をすることで、親の思いが子供にうまく伝わらなくなること。」です。

この思い通りにならないことに対して、物分かりの良い人なら、「私の期待に何か問題でも?」と内省するかもしれませんが、多くの場合は、原因を相手に求めてしまいます。





つまり、聞き分けのない子供、と判断するとか、言うこと聞かないと恐ろしいことが起きるわよ。と脅す場合もあります。
それでも聞かなければ、先生とかカウンセラーのところへ連れていかれるかもしれません。

アダルトチルドレンは、このような批判や脅しに屈してしまったということになります。

ただ、ここで無視したり、言い返したりしていると、親にも何らかの気づきがあるかもしれない、ということになります。

ただ、それも心の成熟度によって、なかなか理解できない場合も多いと思います。



次に、3つ目のプロセスとしては、あきらめ、です。
つまり、最初の自分の身代わりのような操作的期待をあきらめ、本当にその子が生き生きと成長することを望むようになる、ということです。

もう少し具体的に言えば、

二つ目の行き詰まりを通して、「親の操作的期待が明らかになることで、コントロール可能となり、操作性が弱まり、他方で親が一般的に持っていると考えられる『子供への純粋な思い』が活性化され、増大していく」ということです。

つまり、期待をかける人の自分自身の思いと、期待をかける相手との区別をつけ、心を整理していくことで、私とあなたは違う人間なのね。と気づけば、しつこく期待を迫ることもなくなるということでしょう。


そして、最後は、ありのままを認める。ということです。

もうそこには期待など頭になく、今の目の前のあなたが楽しければそれでいいのだ、と考えられるようになるということです。




このプロセスを見てわかることは、どこかの地点で、行き詰まりを感じないことには、先には進めないということです。

つまり、プレッシャーに悩んでいるこの時間も、決して無駄ではない、ということです。

ただ、あまりに適応力を発揮して、一つ目のような操作的期待にひたすら応えていたとしたらどうなるでしょうか?

きっと、その操作的期待はずっと続くことが想像できます。

だから、期待を受けているほうの対処法として考えられるのは。
まずは、操作的期待かどうかを判断できるようになること、だと思います。

それを言葉で出さなくてもいいと思うのです。

「あ、これは操作的期待なんだな」と、気づくだけでもいいのです。

そうすれば、目の前の人は、操作的期待を持ちやすいから、誘導してしまうような発言は極力控えよう、などと予防ができるようになります。

それでも、相手があきらめずにしつこく操作的期待を押し付けてくるならば、きっと自然と冷たくあしらうようになるでしょう。

それがプロセスの二つ目の、行き詰まりを感じて、さらに、みっつ目のあきらめまで到達するかもしれません。

とにかく、操作的期待に従っていると、その先には進めないということです。

無視してもいいし、言い訳をして離れてもいいのです。

操作的期待に従わない、という決意をしたらいいと思います。

また、あなたが親や先生などで、操作的期待をしていると思うなら、相手を従わせることに、夢中になる前に、なぜ私は操作的期待をしてしまうようになったのか?を必死で自分で考える必要があります。

自分の課題を誰かになすりつけてしまっていないか、考えてみましょう。

いかがでしょうか。




期待に沿おうとする心理



同じ親でも先生でも、言うことを聞く子供もいれば、自由にやっている子供もいます。

それは元々の性格といってしまえばそれまでですが、その心理の違いを考えてみましょう。

操作的な期待をかけられて、「何それ、やりたくない」と答えられるか、言われる通りにやるのか、の違いは、まずは、受け取る方が、期待について理解しているか、いないかが大きく違うと思います。

まさか、操作的期待とは知らなくても、「何かそれは違う」、とか、「あの人に助言されると嫌な気持ちになる」、と気づくことは、このような間違った期待を、はねのけるための最初の一歩です。

今までは操作的期待など知らなかった人も、これからは、これは操作的期待だ、などと気づくことができるようになるでしょう。

知っていてやるのと、知らないでやるのはおお違いです。

そこは大きな一歩がすでに進んでいると思ってください。

そして、次のステップとして、知っていても操作的期待を受け止めてしまうのであれば、自分の中に、迎合的な自分がいないか、もしくは、承認欲求が強いのではないか、などと内省してみることもお勧めします。

いかがでしょうか。





どんな自分がいいのか?を考えます。


操作的な期待から逃れ、自分らしい自分を生きていくにはどうしたら良いのか?について

ここでは考えていきたいと思います。

もし、先ほどのよっつのステップが成功し、今までのやり方に、行き詰まりを感じたならば、お互いの態度は明らかに変わっていくでしょう。

反抗期で散々暴れまわった子供に対応するような、少し冷めたような態度を前にすると思います。

そこまで来たことは、素晴らしいことです。

ただ、慣れていないことから、また昔のような変な期待を掛け合うという、病的なやり取りを懐かしく感じて、元に戻ってしまう危険もあるのが、この時期だと思います。

そこで、あなたが自ら望んで親の操作的な期待に沿わないと決意し、それなりに相手にも伝わって、効果が出てきたとします。

そのさきの生き方は、それぞれが自分で見つけていくのですが、考え方をお伝えしたいと思います。

ここで、期待とあきらめの心理、という書籍から、一部抜粋したいと思います。

特に外的な環境に対しての「親の強い操作的期待」にみずからを合わせていきてきた子供にとっては、まさに「命のねじ曲げ」と言われるような状況にあり、どこかで親の期待に「沿えない」、「沿いたくない」という思いがあるが、それが押し込められたまま、成長してきているのである。

その命のねじ曲げが、親の期待のあきらめという環境の変化により、再び子供が「命ののびやかさ」を取り戻していき、みずからの成長を始める時期であると考えられる。

そこでまず「迎合的な自分」が変わるためには、親の期待に沿わないことを実行することである。
それには、親の期待に対し、「拒絶する能力」が形成されて来ることが大切であり、親の期待を絶対的なものとしてではなく、拒絶したり無視したりできることを、実感として体験していく必要がある。
親の操作的期待を拒絶し、わがままな自分を形成していくことにつながるのである。

この諦めの時期において、子供は本当の自分を少しづつ感じ取れるようになるのであるが、迎合的な自分がなくなれば、自然にその奥から本当の自分が出てくるというものではない

つまり、親の期待に沿って、迎合的にいきてきた自分もまた本当の自分の一部であり、迎合的な自分を生かしながら、それを通して少しでも本当の自分がひの目を見ることができるようになるのであり、迎合的な自分を活用しながら、少しずつ本当の自分が形成されていくのである。


ということです。

いかがでしょうか。

まとめ


まとめますと、誰かから期待をかけられてつらい人は、まずその人の操作的期待に気づくことです。

ただし、相手に気づいてもらう必要はありません。
わからせようとするのは、間違いなく「期待」です。

それを使っている人は、それを当たり前のように使っているのですから、指摘しても気づくことはないからです。

無意識の領域なのです。

そして、自分で操作的期待に気づき、嫌われたくない、認められたいという承認欲求よりも、自分らしく生きることが大事だと自分で思えるならば、その操作的期待を拒否したり、無視をする。

そのことで、相手との関係性に変化が生まれ、冷めた感じ、期待されない寂しさなどを一時的に感じるかもしれませんが、それは慣れ親しんだ負の感情を懐かしく感じているだけなので、ぜひ自分との会話で元に戻らないように工夫してください。


また、誰かを心配しているのに迷惑がられていると思っている人は、まずは自分と向き合ってください。

誰かを変えようとするのは、良くも悪くも、自分の支配下に相手を置いておきたいという心理があるからです。

そこに気づかずに、どうやったら自分の言うことを聞くかに終始すれば、きっとあなたの周りには誰もいなくなるでしょう。


そして、期待する側、期待される側のどちらにも共通して言えることは、お互いに自分が成長するためのチャンスを与えられていると、受け取ることではないでしょうか。

そしてその学びは、自分の代わりに誰かがやるべきなのではなく、自分で取り組むしかないのです。

それは、あなたに期待をかける人も同じです。

今回参考にした、期待とあきらめの心理という書籍は、特に先生や親に読んでもらいたいのですが、視点を変えたら、期待をかけられる側が、相手を知る意味で非常に役立つと思います。

ぜひ、期待に悩んでいるかたは読んでみてください。

そして、最後に大切なコメントをありがとうございました。
この場でお礼を言わせてください。


人に期待をするな。

この言葉によって、多くの人が救われることを願っています。

最後にこの言葉も、覚えておいてください。



「操作的期待に従わない」です。

以上で、期待という病を終わります。

ありがとうございました。


2019年7月28日日曜日

ちょっとお休みします💤

お腹を冷やしたせいか、なかなか体調がすぐれないのでこちらの更新などはちょっとお休みしています😢私としては珍しい💦

復活次第また、更新したいと思いますのでよろしくお願いします。


2019年7月23日火曜日

責任転嫁をされないように気をつけること



責任転嫁とは問題や事故が発生したときに自分に多くの責任があるにも関わらずその責任を認めずに、外部や他人に責任があると主張し、責任を押し付けること


今、メディアでは闇営業をしたと週刊誌で報じられたタレントが、記者会見を開き、いろんなことを話した結果、なぜか(なのか)問題の矛先は変わっていきました。



そして、そのタレントが所属する企業の社長が記者会見を開き、泣きながら謝罪をするという事態になっています。


大の大人が泣きべそをかいているのを見るのは、あまり気分の良いものではありません。


この人たちの間に、一体何が起きたのでしょうか。


その時に、私が感じたのは、シンプルに


責任転嫁

という言葉でした。


もちろん、全てをわかってのことではありません。



ただ、こういうのを子供に見せたらいかんと感じました。

いや、見せてもいいけど、このままの状態で終わったらダメだと思います。


よく、小学校の頃などに、誰かが何かをしたとホームルームで言われて、言われた子が「僕じゃありません。アイツです」みたいだと感じました。


理想では、いろいろ話し合いをしていくうちに、「俺が悪かったです」となって、言いがかりをつけられたほうも、最後は許すというプロセスを通じて、握手をして終わり・・


「だって、人間って弱い生き物だもん!!」

「でもさ、やり直しできるのも人間だ!!」


あーよかった。と言うイメージですが。。。


とは、今回はならなさそうです・・・。


また、恐ろしいことに、そのタレントを取り巻く仲間たちもすごい力を持った人たちですから、テレビなどに出て「あの会社はひどい」とか「社長が変わらなければ、私はやめます」などと言いだし、問題は完全に会社に対する攻撃へ変わったように感じました。


恐ろしいですね。。。


私は、闇営業とか反社などよりも、彼らの「自分を守るためなら、手段は選ばずなんでもしてやる」という意気込みや、それに伴う行動力こそが、私から見たら何よりも暗い「闇」だと感じます。


また、「仲間を守ってやる」という口実で、自分の立場も守ろうとしている、いわゆる保守派の先輩や同期たちが、いまだにテレビなどで大きな顔をしていられる芸能界・・そして、それを当たり前のように容認している、テレビのコメンテーターや企画者、またテレビのこちら側で真に受けている私たちも問題だと感じました。


ビジネスの世界では、昔はそのようなことも多かったと思いますが、今ではそんなことを言うなら、会社を辞めるしかないし、会社にいても良い立場ではいられないでしょう。


だからなのか、この報道を見ていると、平成なのか昭和なのか、明治・大正なのかもっと前の時代に戻ったかのような、時代錯誤のような気分になるのは、私だけでしょうか??


ツイッターでも取り上げましたが、 これはまさに境界をおかされた状態です。








境界をおかしたのは、甘えの強い、依存心があるタレントです。

そして、境界をおかされたのは、所属する企業であり、きっと社長の性格に対する不満とか日頃の感情などが重なった結果でしょう。

まさに境界をおかしまくりですね。


このことからもわかるように、甘えが強いとか依存心が強いのは、性格的なものだと処理してしまいがちですが、問題が大きくなると、ここまでの人やお金が動くことになります。

社長にしても、メンバーの不祥事でアタフタしているところに、そのメンバーから総攻撃されたら、どんな気分でしょうか。


「それと、これとは問題が別だよ」と本音では思っているはずです。



このように、今回はいろんな境界をおかして、とりあえず当該タレントは助かると言う結果で、問題はうやむやになるかもしれませんが、問題の本質は解決はできていないと思います。


この先、リスクマネジメントとして従業員などのメンタル面のチェックなどが重視されれば、当然のごとく「依存心の強さ」は大きなネックになると考えられます。


面接の時に、「あなた依存心が強いのでは?」と言うようなやりとりが、公然と行われるかもしれません。


そして、私たち一般人が依存心の強い人などとのやりとりで、責任転嫁などによって被害など受けないようにできることは、このような依存心の強い人となるべく関わらないようにすることしかありません。


そして、ズルい人と弱い人は表裏一体と言いますが、依存心の強い人を見分けられるようになるには、自分自身のメンタルを強くさせ、ヨチヨチながらも一人で立てるよう自立していくことが一番ではないかと感じました。


つまり、依存心が強いのは、多くの人が当てはまるかもしれませんが、「それなりに」自立しようとしているか、「両手を広げて」依存できる人を探しているかでは、天と地ほどの差が出てくるように思います。



違いは、その心がけだと思います。


実際に依存していないとか、自立しているとかの問題ではないのだと思います。



それにしても、この企業はテレビだけではなく、観光地などを盛り上げたり、裾野はとても広く活躍してくれていると思うので、なんとか汚名返上していただき、これからは既存タレントに依存することなく、新しい人材を育成するなど、正々堂々と企業努力をしてほしいと願っています。





2019年7月21日日曜日

「境界」の作り方


「境界」の作り方














毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。
誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。


今日のセルフトーク

「境界」の作り方

「境界」という言葉を、あなたは良く使うでしょうか?

ウェブで調べると、このように書いてありました。

境界とは、こと物や領域などを分ける境目のこと。ということです。

この境界が曖昧だったり、境目を間違えると、人間関係を含めた社会生活で、いろんな問題が起きるようになります。

では、「なぜ、境界が必要なのか?」を、お伝えします。

境界は、実際には存在するものでもありません。

自分の中にある他者と区別される、境界線だと思ってください。

また、家の塀のように見えるものではないので、自分で守っていかないと、すぐ危険な状態になります。

この、境界のことを、親などの養育者が知らなかったり、曖昧にしてきた場合、その子供たちも当然のように、境界が良く分からない、ということになります。

だからこそ、自分で境界のラインを理解して、知っておく必要があるのです。

以前に、私がアサーティブトレーニングに参加した時のことです。

アサーティブとは、気持ちよく「いいえ」などの、自己主張をすることなのですが、境界が良く分からない人は、どこまでがイエスなのか、ノーなのかが、よく分からないのです。

私もそうでした。

だから、これまではノーが言えなくて悩んでいたのですが、アサーティブトレーニングに参加してからは、やたらと「ノー」を連発してしまい、今までの人間関係を壊しそうになったことがありました。

その時に、わかったことは、「自己主張の前に、まずは、自分の意思に自信を持つことが先だ」ということだったのです。

その、自分の意思に自信を持つためにも、これ以上は来て欲しくない、とかそれは間違っていないと自信を持てるように、自分の「境界」を理解しておくことは必要になります。

特に、養育者が境界を知らない場合、つまり機能不全家族などで育つということは、子供時代に境界を尊重されず、また、物事の限界を教えられなかったことを意味します。

その結果、私たちは境界を設定する方法を、身につけていなかったり、限界を超えて何かにのめり込んだりしてしまいます。

それは、悪い人を悪い人だと判断できなかったり、これ以上やると体に悪いようなこと、例えば嗜好品の大量摂取だったり、仕事の中毒などもそうですが、そのような限界の見極めができなくなることを意味します。

境界とは、あなたを他の人から独立した存在として、区切るための大切なラインです。これは物理的にも心理的にも必要なラインなのです。

心理的なライフラインと言えるかもしれません。これがない人は、人を自分の大切な領域に簡単に入れてしまいます。
例えば、土足で自分の事情に入り込んでくる人を、拒否するどころか、優しい人だと勘違いしてしまいます。

あげくに、ばかにされたり軽んじられて、最後は傷つくのです。

もう、こんな気持ちを味わいたくは、ないですよね。

もし、境界をしっかりつけたいと思ったなら、別の動画をご覧ください。

あなたは、境界を持っていますか?自分で説明できますか?

では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう


自分の境界を知り、堂々と主張するには?






今日も良い一日を♪

2019年7月20日土曜日

インナーアダルトを作る5つの力


インナーアダルトを作る5つの力
















毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。
誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。


今日のセルフトーク

インナーアダルトを作る5つの力

インナーアダルトを作る5つの力は、クラウディア・ブラックさんが書籍で取り上げている力になります。

インナーアダルトとは、文字通り「内なる大人(成人)」のことです。

以前に「コナン式 会話法で大事な場面を乗り越えろ!」という動画で、大人のコナンくんになれば、会話がうまくいくという話をしましたが、これは交流分析の「アダルト」を意味します。


つまり、インナーアダルトを育てることで、あなたは新しい可能性を感じることができるようになるでしょう。

そして、その未知の世界の挑戦を、自分の力でやってみよう!という意欲が出てきます。

何もかも、自分の意思と信念をもとに、判断や自己表現ができるようになります。

今までは、インナーチャイルド。つまり、おどおど、とした子供があなたの全てを担っていたのかもしれません。

恐れや疑いの目で、世の中を見ることしかできなかったかもしれません。

でも、インナーアダルトが育てば、世の中は決して怖いだけではないと、実感できるでしょう。
ところで、クラウディア・ブラックさんは、このインナーアダルトを作るためには、5つの力を育てていく必要があると言っています。

それが、こちらです。

1.自分を認める力
2.コントロールを、ある程度認める力
3.感情を感じる力
4.ニーズを見分ける力
5.限界と境界を設定する力


いかがでしょうか?

それぞれの力を育てるための方法などは、別の動画で紹介しているものもあります。

全てに言えることは、今までは周囲や身近な人間に影響されて生きてきたかもしれません。

影響というよりも、反応です。

そうしろ、とい言われて、はい。と言って、やった。というような感じです。

でも、インナーアダルトをそだてる、つまり日本風にいうと、自立するには、そうしろ、と言われても、納得がいかないならば、私はこうします。と答える。というような感じです。

あなたが、知らず知らずのうちに反応している、人物や日頃やっていることは何ですか?

では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう


コナン式 会話法で大事な場面を乗り越えろ!






今日も良い一日を♪

2019年7月19日金曜日

自分を幸せにできる人になるには?


自分を幸せにできる人になるには?















毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。
誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。


今日のセルフトーク

自分を幸せにできる人になるには?


自分を幸せにできる人になるには、という、抽象的で理想的すぎる言葉を、今は、受け入れられない人もいるでしょう。

今はピンとこなくても、また気になった時に思い出してくれたら良いと思います。

この、自分を幸せにするための行動や選択は、とても地味で日常的なものです。

その地味な行動と決断を、毎日、めげずに、自分の信念に沿うような形で生きていく、という意味です。

つまり、流されるような毎日から、自分の意思に基づいた毎日に、変えていくということです。

そのためには、まず、今までの習慣の間違いを修正したり、やめたりしなくてはならないかもしれません。

特に、良くあるのが、まず「周囲に反応して生きる」という姿勢を直していく、ということです。

反応、というのは、無意識に、もしくは自動的にやっていることです。

誰かに頼まれて何かをやる。とか。

誰かにあの人が嫌いと言われたから、自分も嫌いになった。とか。です。

そこには、自分の意思がありません。もちろん、信念もありません。

このような反応的な行動や選択を、なるべくやめていくことです。

この反応は、なぜ起きるのかというと、自分の中の恐れや自己否定感からくる、自信のなさが原因です。

そこに目を付けて、無理なお願いをしたり、仲間にしようとする人が、近づいてくるのです。

もし、これから、ひとつひとつのことを、自分の判断によって、丁寧に選択して行動すれば、怪しい人は、近づいてこなくなるでしょう。

ずるい人にとっては、いちいち考える人が苦手なのです。

そうした地味な毎日を繰り返した結果、少しづつ自分の判断を信頼できるようになり、自分に優しくできるようになり、自分を許せるようになってくると思います。

自分を愛することは、自分勝手なことではありません。

それよりも、あなたを「自分勝手だ」と言って、コントロールしようとする人を、改めて見つめましょう。

そして、「私は、自分を幸せにしたいから、こうはならない」と、生き方の選択をしていきましょう。

あなたは、自分を幸せにすることをイメージできますか?

では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう。



今日も良い一日を♪

2019年7月18日木曜日

新しいスキルを学ぶには?


新しいスキルを学ぶには?














毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。
誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。


今日のセルフトーク


新しいスキルを学ぶには?


昨日、生きるための基本的なスキルが、12個のうち、どれだけあるか質問をしました。

チェックしてないかたは、概要欄に載せておきますので、ご確認ください。

このようなスキルが、今現在なくて、これから身につけようとするならば、必ず「私には無理だ」というような禁止令が働くと思います。

その禁止令を解いていかないと、いくら前向きな行動をしても、悪いことをしているような気持ちになるなどして、長続きはしないでしょう。

よく例えられますが、アクセルとブレーキが同時に踏まれている状態なのです。

では、なぜ禁止令が働くのか?ということです。

それは、あなたの中で、「痛い思い出」があるからです。

痛い、というと、虐待だと思われるかもしれませんが、それは身体的だけでなく、心の傷も含まれます。

そして、新たに自分で人生を切り開くためには、その痛みを乗り越える必要があるのです。

では、痛みを乗り越える方法とは?

それは、「私は痛いのだ」と認めることです。

もっと具体的なら、もっと良いでしょう。

私は、●さいの時に、このようなことを繰り返し言われて、とても傷ついたので、今でも心が痛いのだ。
のように、です。

これは、誰かに表明するわけではないので、非難される心配はありません。

自分の頭の中で整理するだけです。

その痛い感情は、すごく昔のものです。それをあえて絞り出していくのです。

そして、どんどん現在に近づいていきます。

すると、過去の感情は処理され、現在の感情に近づいていきます。

そうすれば、かなり痛みは減ってくるでしょう。

その繰り返しです。

そして、これからは痛まないための予防もしていきましょう。

その予防とは?

自分が感じた感情は、なるべく新鮮なうちに表現するようにすること、です。

新鮮なうちであれば、相手も「このことで怒っているのか」などと理解しやすいです。

すると、あなたは感情を溜め込まない上に、理解されやすくなります。

つまり、旬のものは早いうちにいただく、ように、旬の感情は早いうちに出していく、ということです。

いかがでしょうか?

まずは、過去の感情を出していく。

そして、現在の感情まできたら、なるべく新鮮なまま、感情を表現していく、です。

大切なのは、一度切りではなく、何度も、何年も続けていくことです。

そうすることで、新しいスキルも、楽しみながら学んでいけるようになるでしょう。

あなたは、過去の痛みから、自分を解放することができそうですか?

では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう。



今日も良い一日を♪

2019年7月17日水曜日

生きるための「基本スキル」がいくつありますか?


生きるための「基本スキル」がいくつありますか?













毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。
誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。


今日のセルフトーク


生きるための「基本スキル」がいくつありますか?


あなたは、これからお伝えする12個のスキルを持っていますか?

これは、生きるために基本的に必要なスキルと言われています。

では、まずはチェックからしてください。

あなたはこのスキルがありますか?

ない場合は、これから身につけることで、さらに生きやすくなると思われます。

1.助けを求める
2.限界をもうける
3.自分の価値や感情、ニーズを知っている
4.質問する
5.問題を解決する
6.話を聞く
7.適切に感情を表現する
8.ノーという
9.自分から行動する
10.交渉する
11.責任をとる
12.遊ぶ

いかがでしょうか?
聞き取れなかった場合は、概要欄に載せておきますので、ご確認ください。

では、このような基本的なスキルがない場合、なぜ、基本的なものが自分に備わっていないのか?と思いませんか?

以前に、「禁止令」という動画をアップしていますが、幼い頃に作った「信念」が大きく関係しています。

それも、どちらかというとネガティブなものです。

その信念、つまり間違った思い込みによって、新しいスキルを学ぶチャンスを逃した、ということになります。

ですから、基本的なスキルがない場合は、自分の力で、阻止しようとする「古い間違った信念」を説得しながら学んでいくことが必要になります。

明日は、新しいスキルの学び方について、お伝えします。

ぜひ、今日いちにち、基本的なスキルと自分について、考えてみてください。

あなたは、基本的なスキルを持っていますか?

では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう。



今日も良い一日を♪

2019年7月16日火曜日

自分の感情に気づくということ


自分の感情に気づくということ












毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。
誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。


今日のセルフトーク


自分の感情に気づくということ


自分の感情は、自分が一番よくわかっている、と思いがちですが、本当にそうでしょうか?


前にも言いましたが、例えば「迷惑おじさん」の感情を、当人は理解していると思いますか?


多分、「世の中は変な人ばかりだ」と思っているはずです。


このように、人間は自分の感情を、見たい部分だけ見ているようなところがあります。


なぜ、そんなことをしているのか?


それは、恐れている感情が、あるからなのです。


例えば、あなたが誰かを強烈に憎んでいたとします。


その感情を出せば、どんなことが起きるだろうと思いますか?


ちょっと想像しただけでも、怖い感じがしますよね?


例えば、相手も自分を憎むようになる、とか、自分が極悪な人間だと思われる、とか、弱いやつだと思われる、とか、でしょうか。


もし、あなたが何もできない子供であるなら、相手にそう思われたら生きていけないかもしれません。


でも、考えてみてください。


「今でも同じでしょうか?」


これを自分に聞いてみてください。


そして、誰かに自分の感情を表現した時、想像した通り、否定的な反応が返ってきたとしたら、このように考えてみてください。


「私は、この人の判断を信じたいのか?」ということです。


自分の判断を信じたくはないでしょうか?


あなたの本当の感情は、とても重要な教えがいっぱい詰まっています。


例えば、憎むという感情だって、決して、憎むべき感情ではありません。


なぜなら、憎むことで、危険な人から距離をおき、あなたが将来傷つくことを避けることができます。


それを否定することは、自分を危険にさらすことになります。


つまり、自分の感情を無視することは、自分を危険にさらすことにもなるのです。


あなたは、自分の感情に気づいていますか?


では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう。




今日も良い一日を♪

2019年7月15日月曜日

コントロールできること、コントロールできないこと


コントロールできること、コントロールできないこと












毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。
誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。


今日のセルフトーク

コントロールできること、コントロールできないこと


コントロールという言葉は、とても解釈が難しいように感じます。


また、ゼロでもまずいし、やりすぎも良くありません。


だから、時と場合によって、適度にコントロールすることが大切になります。


また、コントロールは、うちと外の両面があります。


うちというのは、自分の内面に壁を作るようなことを、内面のコントロールと言います。


また、外は、自分の環境に手を加えることを、外面のコントロールと言います。


また、コントロールは、「そのままではまずい」と思っているからこそ、手を加えるので、問題がある人のほうが、多いとも考えられます。


ありのままではいられない、ということですね。


つまり、幼少期にいかに身勝手な親からコントロールされた、などと思いがちですが、多くの場合、メンバー全員がコントロールをしあっていることに気付くと、解決までの道のりはずっと早くなるでしょう。


だからと言って、コントロールしていたから悪いということではありません。


タイトルのように、コントロールできること、コントロールできないことを見極めて、ある程度受け入れていくことが大事ですし、無理をしてコントロールしなくていいという「気づき」があれば、今よりもぐっと楽になれるはずです。


つまり、コントロールできること、コントロールできないことを見極める、とは、変えられることと、変えられないことを知り、受け入れることです。


例えば、何時に布団に入るのか、ということはコントロールできます。


でも、実際に寝るかどうかはコントロールできません。


また、これから本を読むことはコントロールできます。


でも、ちゃんと理解できるかどうかは、コントロールできません。


もっと本質的なことを考えてみると


自分を変えることはコントロールできます。


でも、他人を変えることはコントロールできません。


こうして考えていくと、肩の力が抜けていくのを感じませんか?


そう、私たちは、コントロールできないことに、いかにとらわれているかを知っておくことが、コントロールを手放すきっかけになります。



あなたは、コントロールを、ある程度手放せそうですか?


では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう。





今日も良い一日を♪

2019年7月14日日曜日

自分を認めるための22の言葉 

自分を認めるための22の言葉 





これから、自分を認めるための22の言葉 をお伝えしていきたいと思います。
もし、あなたが自信を失いそうになったとき、自分を責めそうになったとき、孤独を感じた時などに、繰り返し聞いてみてください。

では、はじめます。




1,私は痛みを感じている。だから、それを癒すためにいろいろなことを試してみる


いかがでしょうか?
あなたは、自分の痛みを癒すための行動に、負い目を感じることはありません。




次は、こちらです。

2.私は過去の怒りや罪悪感を抱えている。だから、癒される必要がある

いかがでしょうか?
あなたは、過去の怒りや罪悪感を抱えたことに責任はありません。だから、癒されて良いのです。



次は、こちらです。

3.過去の痛みから自分を守るための方法で、私は今の自分をさらに痛めつけてしまっている。だから癒される必要がある


いかがでしょうか?
あなたは、過去の痛みから自分を守るために、自分を大切にしてもらえないような人間関係や、嗜好品などの過剰摂取によって、自分を痛めつけていませんか?



次は、こちらです。

4.過去の私には何の力もなかった、けれど今の私は無力ではない


いかがでしょうか?
あなたは、幼いころは何もできませんでした。それは当たり前です。でも、今の自分をみてください。
自分なりに成長したと思いませんか?昔のように無力で、誰かのいいなりではないはずです。



次は、こちらです。

5.この痛みをどうするかは、私の選択に任されている


いかがでしょうか?
以前のあなたは、痛みを持つことに罪悪感を持ったり、痛みなどないフリをしていきてきました。
でも、これからは、この痛みをどうするかは、あなたが選択して良いのです。



次は、こちらです。

6.私は基本的なスキルを学んでこなかった。だから今から学ぶ必要がある


いかがでしょうか?
あなたは、残念ながら生きるための基本的なスキルを教えられてこなかったかもしれません。
でも、あなたは自分の力で情報を手に入れるスキルを持っているようです。
だから、今から学ぶことができるのです。



次は、こちらです。

7.回復とは私という人間を変えることではない。本来の私でないものを演じなくて良い、また、偽りの自分に縛られなくなることだ



いかがでしょうか?
よく、回復していくために、自分の本質を変えようとする人が、たくさんいます。
でも、それは反対です。今まで否定されてきた本来の自分を取り戻すのが、回復の道のりなのです。



次は、こちらです。

8,回復とは、1か10かではなく、2から9までの階段があると学ぶこと


いかがでしょうか?
あなたは、すぐに回復したいと焦っていませんか?回復とは、毎日の継続の繰り返しです。
毎日一段づつ階段を登っていくように、ゆっくりとした気持ちで、挑戦しましょう。
また、何度階段を戻ってもいいのです。




次は、こちらです。

9.私には、新しい方向へと人生を建て直すだけの時間と意味がある


いかがでしょうか?
人生の軌道修正には、年齢制限もオーディションもありません。
自分が生き方を選び、自分で始めることができるのです。



次は、こちらです。

10.自分を愛することを学ぶのは、その分だけ他人を愛さなくなることではない。むしろ自分を愛することで、他人をさらに愛する自由を手にすることができる


いかがでしょうか?
あなたは、自分について取り組むとき、周囲からの軽蔑とか、自分の中で自分を責める気持ちが出てくるかもしれません。
それと戦うことが、「自分を愛すること」の、第一歩だと思ってください。


次は、こちらです。

11.誰かから渡された秘密から自由になる道を、私は選ぶことができる



いかがでしょうか?
あなたは、人には言えない秘密があるでしょうか?また、それを「話すな」と誰かから強制されていますか?
私たちは、誰からも強制されることはないのです。脅しにはくっしないようにしましょう。




次は、こちらです。

12.自分の大切な秘密を、わかち合う安全な方法を、私は見つけることができる


いかがでしょうか?
あなたは、自分の秘密を言わないで自分を守っていませんか?でも、それはとても脆いものです。
本当の強さは、自分の秘密を言えることです。しかも、その秘密を言える人を諦めずに探すことです。



次は、こちらです。

13.自分が演じてきた役割について知ることで、私は新しい生き方への新しい方法を探し当てた


いかがでしょうか?
あなたは、幼い頃から、どんな役割を演じてきましたか?
責任のある子ですか?なだめ役ですか?順応する子ですか?問題じですか?
それは、当時のあなたが必要とされ、あなたも必要だと感じた役割です。



次は、こちらです。

14.私には、もう生きのびるための役割は必要ない


いかがでしょうか?
あなたは、もう、過去の役割がなくても、そのままの自分でいたとしてもそこに居ることができます。
むしろ、そのままの自分を出せる場所を探し、出会いを探し求める旅に出ることができます。




次は、こちらです。

15.私の成長は私自身のためであって、他人を変えるためのものではない


いかがでしょうか?
あなたは、周囲よりきっと意識が高いでしょう。でも、周囲も同じレベルだとは思わない方がいいと思います。また、あなたの知識で他者を変えることはできません。
なぜなら、人が変わるときは、自分で変わろうとした時だけ、なのです。



次は、こちらです。

16.私を傷つけた人に直接向き合うのをやめる選択をしても、私が腰抜けなわけではない


いかがでしょうか?
あなたは、自分を傷つけた人に直接会い、対決することが全てだと思っていませんか?
それは、違います。
なぜなら、再び傷つく可能性も高いですし、あなたが相手を傷つける可能性も高くなります。
世の中の事件は、このような対決から起きることがとても多いことを知っておいてください。
だから、対決の前に、まずはあなたが自分の世界で満足できることを、先に目指してみてはいかがでしょう?



次は、こちらです。

17.親密さとは誰かのそばにいること。親密さとは、拒絶される恐れなしに相手の前でありのままの自分を分かち合えること。それができるというお互いの信頼感があること。


いかがでしょうか?
人生とは、このような信頼を持てる相手を、生涯を通じて探し続け、探せたならばそこにとどまることではないでしょうか。
ただ、そうしなくてはならない、ということではありません。あくまでも、自分の心が向かったほうへ、進むだけです。



次は、こちらです。

18.過去と現在を受け入れることによって、私の心は満たされたものになる


いかがでしょうか?
過去だけに生きるのも違うし、現在だけしか見ないのも不自然です。
過去の傷も含めて「あんなこともあったな」と、受け入れられるようになれば、現在もきっと満たされるでしょう。



次は、こちらです。

19.私はすべての事柄や人などをコントロールして良いというわけではない


いかがでしょうか?
コントロールというのは、上から指図するだけではありません。
何もできないフリをして、やってもらうのもコントロールです。
自分のために人を使うのではなく、自分のために自分をフル回転させるのです。



次は、こちらです。

20.私が自分を受け入れるために、誰かの承認を必要とはしない


いかがでしょうか?
あなたは、自分の回復に取り組む中で、いろんな忠告とか、邪魔を受けるかもしれません。
でも、それはあなたが元のままでいてほしい人たちの意図です。
そう考える人たちも自由ですが、あなたが回復しようとするのも自由なのです。


次は、こちらです。

21.人が私から去ったとしても、それはその人の意思であり、私の価値が揺らぐものではない


いかがでしょうか?
あなたは、あなたが回復のために変化を続ければ、過去のあなたに馴染みのある人たちは、最初は抵抗するでしょうが、それでもあなたの意思が強い場合は、離れていくでしょう。
でも、それは悲しいことではありません。
ぜひ、自分は回復している証だと、胸を張ってください。


最後は、こちらです。

22.人生における選択の責任は、常に私にある。だから、私は、自由でもある


いかがでしょうか?
ここまで聞いてもらったかたなら、自分の自由もそれに伴う責任も、背負う勇気は備わっているはずです。
ぜひ、この大空を堂々と歩んでいってください。
あなたの意思を邪魔する存在は、ないのです。
あるとすれば、それは自分の中にあるのです。


いかがでしょうか?

以上が、自分を認める22個の言葉になります。

では、まとめて22個の言葉だけをご紹介します。

1.私は痛みを感じている。だから、それを癒すためにいろいろなことを試してみる。
2.私は過去の怒りや罪悪感を抱えている。だから、癒される必要がある。
3.過去の痛みから自分を守るための方法で、私は今の自分をさらに痛めつけてしまっている。だから癒される必要がある。
4.過去の私には何の力もなかった、けれど今の私は無力ではない。
5.この痛みをどうするかは、私の選択に任されている。
6.私は基本的なスキルを学んでこなかった。だから今から学ぶ必要がある。
7.回復とは私という人間を変えることではない。本来の私でないものを演じなくて良い、また、偽りの自分に縛られなくなることだ。
8.回復とは、1か10かではなく、2から9までの階段があると学ぶこと。
9.私には、新しい方向へと人生を建て直すだけの時間と意味がある。
10.自分を愛することを学ぶのは、その分だけ他人を愛さなくなることではない。むしろ自分を愛することで、他人をさらに愛する自由を手にすることができる。
11.誰かから渡された秘密から自由になる道を、私は選ぶことができる。
12.自分の大切な秘密を、わかち合う安全な方法を、私は見つけることができる。
13.自分が演じてきた役割について知ることで、私は新しい生き方への新しい方法を探し当てた。
14.私には、もう生きのびるための役割は必要ない。
15.私の成長は私自身のためであって、他人を変えるためのものではない。
16.私を傷つけた人に直接向き合うのをやめる選択をしても、私が腰抜けなわけではない。
17.親密さとは誰かのそばにいること。親密さとは、拒絶される恐れなしに相手の前でありのままの自分を分かち合えること。それができるというお互いの信頼感があること。
18.過去と現在を受け入れることによって、私の心は満たされたものになる。
19.私はすべての事柄や人などをコントロールして良いというわけではない。
20.私が自分を受け入れるために、誰かの承認を必要とはしない。
21.人が私から去ったとしても、それはその人の意思であり、私の価値が揺らぐものではない。
22.人生における選択の責任は、常に私にある。だから、私は、自由でもある。



以上で、自分を認めるための22の言葉を終わります。

ありがとうございました。

生まれ順による家族システム内での役割


生まれ順による家族システム内での役割







毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。

今日のセルフトーク


生まれ順による家族システム内での役割

よく「私は長男だから、責任感が強い」とか、三男坊は甘えん坊とか言いますよね?
これは、あながち間違いではないようです。

ということで、今日は、ボウエンによる、生まれ順による家族システム内での役割をお伝えします。

詳しくは、以前に動画を出しているので、そちらもご覧ください。






私たちは、どこかでグループのリーダーになったりすると、顔つきや行動が変わるように、人間は素晴らしい適応能力を持っています。

その適応能力は、すごいのですが、やりすぎてしまう場合もあるということを、覚えておかないといけません。

やりすぎてしまうというのは、リーダーっぽくなりすぎて、雑談ができなくなってしまったり、責任を負いすぎて病気になってしまうようなことです。
特に、家族の中では、敏感な人ほど、自分はどのような役割を担っていけばいいのか、を、日頃のやりとりとか、それこそ生まれた順番などを元に、決めて、それを守っていこうとします。

ボウエンによれば、最近は日本では少子化のせいもあるのか、それほど生まれ順に左右されないということですが、きっと敏感な人は、無意識の中で、生まれ順とか役割を気にしているはずです。

ということで、生まれた順による、役割をお伝えします。



第一子は、「家族の責任」を担います。
家族の対面とか、後継問題とか、現実的なところに目がいく、重きをおくということです。
交流分析でいうと、「父親役」を担います。


第二子はは、「家族の情緒を守る役割」を担います。
情緒、つまり感情的な部分ですね。誰かが悩んでいたりすると、ほっておけないようなタイプです。
交流分析でいうと、「母親役」を担います。


第三子は、「両親の関係をうまく保つ役割」を担います。
両親の中に入って、夫婦に抜けた部分を補って、三角関係を築くことも多くあるようです。
交流分析でいうと、「わんぱくな子供」を担います。

第四子は、「家族が一つにまとまるための役割」を担います。
個人個人を見るというよりも、全体をみて、不足を補うといった感じでしょうか。
交流分析でいうと、「従順な子供」を担います。



ひとりっ子は、全ての役割を引き受けます。
また、家族というよりも、親の役割に左右されて、役割を決めていくという感じでしょうか。



いかがでしょうか?


もちろん、知らずしらずのうちに、やっていたと気付く程度の役割分担ならいいのですが、苦しくて仕方がないなら、私はすぐにでも、その役割から降りることをお勧めします。


なぜなら、人間には過剰適応してしまう特徴があると知っておいて、過剰ならいったんオフにしないと、いつかはショートしてしまうからです。


あなたは、無理な役割を過剰にこなしていませんか?


では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう。




今日も良い一日を♪

2019年7月13日土曜日

ファンタジーにひたる


ファンタジーにひたる










毎日のセルフトーク


私は、生きて良い人間です。
私は、本当の私でいれば良いのです。
私は、自分の心地良い場所を選び
そこで自由に過ごすことができます。
誰に何を言われようが、私は自分が大好きで
そして1番の理解者で応援者です。

今日のセルフトーク


ファンタジーにひたる


私たちが、過去のトラウマとかおかしなやりとりを繰り返しながら、本来の自分に戻るというか、軌道修正していく中で、本来なら、早くした方がいいとわかっていても、どうしても苦しくなる時があります。

そこで、楽なほうに逃げ込むプロセスを、ファンタジーと呼びます。

ファンタジーとは、非現実的でふわふわとした状態でしょうか。夢のようなものかもしれません。

マラソンでも、あと1キロでゴールだけど、もう一歩も進めない、ということがありますよね?

こんな時に、コースから少し外れたところに、居心地の良さそうなお店があったとします。

そうなると、行きたくなるのが、人情というものですよね。

それが、これはあくまでも例えですが、ファンタジーです。

ただ、マラソンの場合は、コースアウトをすると反則になるかもしれませんが、人生のファンタジーは、反則ではありません。

問題を直視ばかりしていられない時もあるでしょう。

ただ、マラソンの話に戻りますが、いくら居心地の良さそうなお店でも、自分の家には劣るように、いつかはその店から出る時がきます。

きっとそのタイミングが大事なんですね。

ファンタジーは、本当は冷たい人たちを「優しいのだ」と思い込んだりするのもそうですし、つらい状況なのに、「幸せだ」と思い込むのもそうでしょう。

それは、つらく苦しい人生の中で、必要なことなのかもしれません。

ただ、どちらも現実からはかけ離れているので、本来なら気付くはずの危険とか、反省なども気づかずに時間が進んでしまうこともあります。

だから、ファンタジーはあくまでもファンタジーで、短い期間だ、と自分に言い聞かせることです。

そして、ファンタジーにひたっていながらも、どこかで「これは違うのだ」と、気づいていることが大切だと思います。

あなたは、ファンタジーにひたっていませんか?

では、今日もいちにちセルフイメージをあげて行きましょう。



今日も良い一日を♪

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