
あなたは、今、不安ですか?
そうならば、どうしたら、不安から逃れられるのか、不安をやっつけられるのか、と悩んだこともあるでしょう。
今日は、そんなかたに聞いてもらいたいと思います。
「人はときに死んでも不幸を手放さない」。
この言葉を聞いて、どう思いますか?
これは、加藤たいぞう先生がよく使う言葉です。
先生は、このようにも言っています。
多くの場合、人は不安に対する対処の仕方を間違えて、人生を終わる。
不安にどう対処するかということが、人間の最大の問題である。
と言うことです。
不安に対する対処を間違えて、と言うのは、不安に立ち向かわずに、逃げる方法ばかりを模索して、人生が終わる、と言うことではないでしょうか。
それほど不安は人間にとって恐ろしいことかもしれません。
カレンホルナイは、人は不安になればなるほど現状にしがみつく、と言います。
とても居心地が悪いし、周りは嫌いな人ばっかりなのに、現状にしがみついてしまいます。
これも、現状から離れたときに、どんな未来が待っているのか、わからないと言う不安ではないでしょうか。
心の病気になってしまうのは、「今がどうにもならなくなっている」と気づいているのに、そんなところにしがみつくから、心の病気になってしまうのです。
このしがみつくと言う行為は、心の病になってしまうことからも、残念ながら、自分を不幸にする努力です。
逆に、嫌な場所から飛び立つと言う行為は、不安は伴いますが、自分を幸せにする努力です。

あなたはどちらの努力を、今、していますか?
ここで、しがみつく人は、どうしてしがみついてしまうのか?と言うと、しがみついた現状から離れ、後ろを振り向くと、「不安」と言う得体のしれない魔物が襲ってくるはず、と思っているからではないでしょうか。
つまり、「不安」と言う得体のしれない魔物に立ち向かうと言う自分が信じられないのではないでしょうか。
たとえば、隣人ともめて殺人事件にまでなってしまう。
入社した途端に嫌な会社だとわかったけど、やめられなくて自殺してしまう。
離婚したくなくて、大嫌いなパートナーと、睨み合いながら暮らしている。
このような選択は、すべて「不安」から逃げるための、選択なのかもしれません。
たとえば、隣人ともめているけど、次の場所へ引っ越すのが、不安。
次の会社に転職できるのかが、不安。
自分の稼ぎでこの先食っていけるかどうか、不安。
もちろん、このような不安は、生命に直結するものですから、不安なのは当たり前です。
でも、不安から逃げると、先ほどの例のように、未来も同じ不幸のままです。
気に入られることで解決をしようとすると?
でも、自分で不安に取り組むことは、あまりに大きな仕事すぎて、取り組めないと感じたことはありませんか?
確かに、やったことのない人にとっては、とんでもないおお仕事のように感じます。
そうなると、誰かにやってもらいたい、と依存しんがむくむくと出てきます。
すると、誰かに気に入られたり、愛されたりすることで、私の代わりに不安を解決して、となります。
そのための、気に入られるための言動が、迎合となります。
では、迎合的なタイプとはどんなタイプでしょうか。
まず一つ目は、従順、何事にも遠慮するタイプ
二つ目は、仕事熱心、真面目、強く優れていようとする。
三つ目は、無理して明るく振る舞う。

いかがでしょうか。
このような言動が、あなたに当てはまるようなら、あなたはどこかで不安との向き合い方を、間違えて反対方向へ向かっているのかもしれません。
今は誰かが自分の代わりに自分の責任をとってくれているかもしれません。
でも、それはいつまでと言う保証はあるでしょうか?
自分の責任を取ってもらう見返りをいつ、求められるかわかりません。
それこそが、「不安」のたねになってしまいます。
小さい頃の体験で、今を生きていないか?
私たちは、小さな頃にトラウマがあったとすると、その記憶はなかなかなくなるものではありません。
ただ、考えてみてください。
あなたは、小さな頃に遊んでいたおもちゃを今でも遊ぼうと思いますか?
小さな頃に相手にして欲しいと願っていた相手と、今でも四六時中一緒にいたいですか?
今は成長し、求めるものも違うと思います。
求めるものも、求める気持ちも、過去のものなのに、なぜかマイナスの感情だけは今のものになっている。
それは、過去を懐かしく思う気持ちかもしれません。
でも、それはもしかすると、不幸を手放さないための手段かもしれません。
なぜ、不幸を手放さないかと言うと、手放すと不安が残るからです。
自分には、何もなくなってしまう、からではないでしょうか。
ここで、加藤たいぞう先生の書籍から抜粋したいと思います。
エーリッヒフロムの考え方である。
それは、周囲の人から気に入られることは、あなたの心の問題を解決しない。
フロムは、第一次的絆を失いながら、第二次的絆を獲得できないでいるときに、人は不安だと言う。
フロムのいう第一次的絆とは、個性化の過程によって、個人が安全に解放される以前に存在する、母親との絆のことである。
これらの絆を第一次的絆と呼ぶ。
母親との一体感のような原始的な絆である。
第一次的絆は、子供に安定感を与える。
この第一次的絆を失ってからは、人は自分で安定を見つけなければならない。
この自分で安定を見つける仕事は、実際の世の中で実績をあげる仕事と同じように大切なことである。
この方向性の違いが、後に心理的な挫折となって現れる。
例えば、憂鬱や無気力や不機嫌やイライラである。
個性化の過程には、二つの側面がある。
一つの側面においては、肉体的にも感情的にも、精神的にも強くなっていく。
他の側面は、孤独の増大である。
個性化が進展することによって、孤独と不安が高まる。
そして、自分の役割や自分の人生の意味を感じられなくなる。
自分の無力さと自分の無意味さの感情が募ってくる。
この問題の解決をしなければならない。
そこで個性を投げ捨てて、孤独とむりょく感から逃げようという衝動が生まれることがある。
それが、服従である。
しかし、服従は子供の不安を増大させて、敵意と反抗を生み出すとフロムはいう。
相手に気に入られることで人生の問題は解決しない。
相手に気に入られても、日常生活における「怯え」は無くならない。
安心するために、気に入られようとすれば、いつも心配していなければならない。
自分を信じられない人は、どんなに気に入られても、心配で心配で仕方ないのである。
それがフロムの言う服従の最大の問題点である。
気持ちの上では、八方ふさがりの状態である。
と言うことです。
いかがでしょうか。

つまり、個性化、もっと簡単に言えば、自分が独り立ちするための勇気がなくて、その上に第二次的絆も得られない。
いろんな問題を、不安と言う一つの袋にまとめて入れて、手をつけられていない、と言うことが、悩んでいると言うことなのかもしれません。
この袋をまず自分で覗くことが、初めの一歩になるのでしょう。
迎合的な自分をやめる練習
迎合的な言動は先程も言いましたが、この通りです。
まず一つ目は、従順、何事にも遠慮する。
二つ目は、仕事熱心、真面目、強く優れていようとする。
三つ目は、無理して明るく振る舞う。
これを、やりやすいところから、やめていくことです。

あなたにとって、どれが辞めやすいですか?
最初からやってないことや、すでに辞めていることがあるかもしれません。
そこで、出てくる問題は、変化に対する不安です。
これが辞められないから、ずっとあなたは仕事熱心で、やりたくないことをして、人の顔色を伺って生きてきたのではないでしょうか。
この先も、従順さや迎合的な態度を続けますか?
変化と比べて、従順さや迎合的な態度のほうが楽ですか?
ここで加藤たいぞう先生の書籍から抜粋したいと思います。
先に述べた三つの言動は、動機を考えると、逃げのエネルギーなのである。
燃え尽きる人は、死にそうになっても頑張っているが、それは元気な子供のエネルギーとは違う。
弱い人は、失恋から逃げるために別の人を恋する。
その人が好きだから恋するのではない。
同じように、今の不安から逃げるために真面目で仕事熱心な人がいる。
その仕事が好きなのではない。
不安な人は、その日から逃げている。
不安な人は、今、から逃げている。
今日を生きるとは、今を生きることだ。
何十年も前の心の傷を通して今を感じることではない。
どんなに今日いちにちが素晴らしくても、何十年も前の心の傷を通して今日を体験すると、それは重苦しいものになってしまう。
と言うことです。
いかがでしょうか。
迎合的な態度をやめられそうですか?
なぜ、不安で何もできないのか?
不安について、色々とお伝えしてきましたが、不安に悩む人の特徴であるとともに、不安が解決できない理由とは、この3つではないでしょうか。
- 最高の結果を求めている。
- 一気に理想の姿に到達することを求めている。
- (自分では無理なので)誰かにやって欲しいと願っている。
これは、挫折しやすい人の特徴ともいえるでしょう。
一言で言うと、理想が高く、完璧主義で、そしてすぐに結果を求めていることがわかります。
だからこそ、途中でつらくなるし、諦めたくもなります。
また、誰かにやって欲しいと願うのであれば、やってくれない人に対してはマイナスの感情も生まれるでしょう。
こうして、不安を抱えつつも、怒りなども一緒にためていくことになります。
つまり、不安とは、消極的に怒っていることかもしれません。
そうならないためには、逆を試すことになります。
それは
- 最高の結果でなくて良い。できることで良いと思えること。
- 一気に理想に到達しなくて良い。少しづつ小分けにして目標を決め、達成していく。
- 誰かにやってもらおうとせず、自分でできる範囲のことをやる。
つまり、自分でできることを、他人を気にせずにやっていく。ことです。
途中でなんども不安になるでしょう。
だからこそ、なんども休憩しながら進むしかありません。
期限はないのですから、ゆっくりでいいのです。
この一生の中で、自分なりに達成したと思えたらいいのではないでしょうか。
不安になったときに考えること
ここでも3つあげたいと思います。
- 事実が不安なのではない。と考える。
- 他人が同じ経験をしたらどう思うか?と考える。
- 自分が最も恐れていることは何か?と考える。
です。詳しくみていきます。
1.事実が不安なのではない
と言うのは、私は不安と言う思考回路が過剰に働いている。と、自覚をすることです。だから、現状を確認して、冷静になろうと、いつも思い出すようにしましょう。
2.他人が同じ経験をしたらどう思うか?
さっきも言いましたが、不安と言う思考回路が過剰に働いているので、悩みの遺伝子がもともとない人はどう感じるかを、第三者の立場になって、俯瞰するのは、とても大切です。切羽詰まった時こそ、決断や言動する前には、すぐには応えずに、まずはトイレなどにこもって、この視点を思い出しましょう。
3.自分が最も恐れていることは何か?
あなたが一番恐れている未来の扉の向こうには、何がありますか?そのことと現状を冷静に比べてみましょう。
どこかで、深夜の妄想のような、現実的でない想像が含まれていると思います。
それを、丁寧に一つづつはずしていきましょう。
いかがでしょうか。
まとめ
不安についてまとめますと、
私たち、特に、心理的に追い込まれてしまう考え方の特徴として、覚えておきたいことがあります。
それは、不安などの自分の前進を邪魔する存在に対しての対処法に問題があったということです。
対処法ということは、その前の考え方にも特徴があります。
どんな特徴かというと、

そして、これができないと判断をすると、すぐに諦めたり、ひきこもったり、誰かを憎むというような、別のマイナスの感情に流れて、終わってしまっていることがほとんどだと思います。
この流れを変えるには、考え方を毎回修正していくことが大事です。
例えば

いかがでしょうか。

一部の若い人がよく「面倒くさい」と、言います。
それは、まさしくこのような問題を前にした時に、「面倒くさい」と、すぐに判断をしてやめる癖がついているように感じます。
そのような「面倒くさい」と、思うには、自分に対する否定的な気持ちを持つに至った歴史が、あるかもしれません。
ただ、その歴史をいくら詳しく紐解いたとしても過去の歴史は実際に体験できないように、今のあなたも「今」を生きることが最重要なのかもしれません。
また、「今」を生きるためには、完璧だったり、スピードだったり、楽に到達することを求めるよりも、下手なりにも「自分」でやってみることで、経験を増やしていくことのほうが大事なのかもしれません。
最後に、シーベリーの言葉を紹介したいと思います。
あなたが心配にとりつかれた人間を演じれば、不安は増すばかりです。

いかがでしょうか。
これは無理に虚勢を張って、周りを怖がらせることが目的なのではありません。
不安を恐れているうちは、不安に負けている証拠です。
「不安よ、来れるもんなら、来てみろ!」と、全ての不安の想像がいっぺんに来たことを想像して、戦うイメージトレーニングをしてみてください。
それが、万が一、実際にきたとしたら、「本当に来た!」と、ちょっと笑えると思います。
以上で、不安をやっつけろ、を終わります。
ありがとうございました。