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2021年3月25日木曜日

「実は知らない」3つの絶望


 

あなたは、絶望してますか?

あまり、絶望などという言葉は使わないかもしれませんが、でも、生きていたら何回かは絶望を味わうことは決して珍しくないと思います。

今日は、キェルケゴールの「死に至る病」から、彼のエキスを入れながら、3つの絶望について説明していきます。

きっと、絶望の淵にいる人は「なーんだ」と思って、今まで絶望したことがない人は「え?」と思うかもしれません。


ということで、まずはキェルケゴールについて、簡単に説明します。

もし詳しく知りたいかたは、ウィキペディアとか彼の著書などをご覧ください。



キェルケゴールについて



彼自身がまさに、生涯「絶望」に向き合った人ではないかと思います。

42歳で倒れて急死するまで、結婚はせず10代の時に知り合った女性に思いを残したまま、生涯を終えたと書いてあります。

この「死に至る病」などの彼の書籍は、主にキリスト教を広めるために、書いたと言われてますが、幼い時にはキリスト教に背を向けた時期もあったようです。

孤独と葛藤……このような言葉がピッタリくるような気がします。

このような孤高の人に、心奪われるファンは多いように感じます。

私も詳しくはないので、専門書などで確認してください。


絶望について


絶望と言われて、どんなイメージが湧くでしょうか?

困窮、病気、悲惨、不運、災厄、苦痛、悲哀、落胆……などが思い浮かびませんか?

でも、これらはキェルケゴールは、絶望、つまり死に至る病ではないと言います。

このような出来事もしくは、それによって起こる感情は、あくまでも「きっかけ」であって、本来は「自分自身」をめぐって絶望している、ということです。

これは、どういうことでしょうか。

たとえば、リストラにあって絶望している人がいるとします。

でも、リストラは単なるきっかけであって、それ以前からその人はすでに「絶望」している。ということです。

もし、リストラに合わないとしても、職場の人間関係とか家族の問題などで絶望していたかもしれません。

つまり、そのきっかけに注目してこだわり続けることは、本来の絶望から目をそらすだけのことになってしまいます。

このことを、キェルケゴールは「人生の浪費」と呼んでいます。


そこではなく、本当の絶望、もしくは問題に向き合うことが大事だということです。

では、本当の問題とは何でしょうか?

それは、自分の問題です。

うまく本質に入ることができたら「自分というものがないこと」にたどり着くことになると思います。


つまり、何かをめぐって絶望しているうちは、本来的な絶望ではないと言われます。

このようなことは私たちの生活で、本当によくあることです。

「あの人が問題で……」

「あの人が私を絶望に陥れた!」などです。

その気持ちはわかるけど、本当に絶望から出たいなら、自分以外のことに執着するのは、彼のいう人生の浪費になってしまいます。


また、キェルケゴールはこのようにも言ってます。


絶望とは長所である


絶望できるのは、「人間は精神である」という無限の高さ、崇高さの印であるということです。

また、(ちゃんと)絶望することができる人は、無限の長所であるということです。

この(ちゃんと)を付け加えたのには理由があって、実は ちゃんと絶望しないままいきている人がとても多いということなのです。

つまり、ちゃんと絶望すれば人生の軌道修正なり、新たな可能性が見えるのに、それを避け続けるからこそ「死にたくても死ねない」ほど、つらくなっていくという意味でもあります。



このような意味も含めて、キェルケゴールは絶望を3つに分けました。


絶望とは、精神における自己における病であり3つの姿をとる

ということです。

これが、キェルケゴールの伝える重要な部分です。

1.【絶望して】自己を持っていることを意識してないこと
2.【絶望して】自分自身であろうとしないこと
3.【絶望して】自分自身であろうとすること

これは、どれも絶望がちゃんとできなくて、苦しんでいる状態、と言えるかもしれません。

でも、それに自分が気がついて、どう取り組むかが重要です。

では、上の3つを説明します。


1.【絶望して】自己を持っていることを意識してないこと

これを、別の言い方として「非本来的な絶望」または「無精神的な絶望」と言われてます。

つまり、絶望にすら 気づいてない人です。

これは以前に「消えたい」という動画でも言いましたが、そこでいう「普通の人」のことです。

キェルケゴールの言葉でいうと、「絶望を絶望と知らずにいる絶望」という難しい表現をしてます。

これは、たとえばマスコミの情報に踊らされたり、立場や肩書きに弱い人などが当てはまるかもしれません。

自分では「絶望などしたことない」と言う人がいますが、「これこそが絶望」ということです。

でも、世の中で胸を張って生きているのは、この人たちです。

自分自身もなく、信じるものもないという中で、感覚的なもの(快・不快)を重視して生きていきます。お食事などの目の前の快楽が大事なのです。

そして、知性や精神に取り組む勇気がないので、知性や精神に取り組む人を恐れながらも、それがバレないように知性のある人や、精神性の高い人をバカにしたりして軽視します。

また、一人じゃ怖いからまとまって孤高の人を攻撃します。

キェルケゴールはこのような生きかたを、「人生をやりすごす生き方」だと言います。

このような人は、何か絶望を体験しても、そこから自分を導くものがないので、絶望など意味がないということになります。


2.【絶望して】自分自身であろうとしないこと


これは、絶望した結果「こんな私だから、失敗したのだ」というような結論を出して、絶望から這い出るために「自分と違う自分」になることで、生きなおそうとすることです。

これを「弱さの絶望」と言って、絶望を機に「献身」とか「迎合」などによって、1番の人たちの仲間入りをする……ということだと思います。

つまり、退行してしまうということです。

こちらは、受身的・女性的な絶望への対処法と言われます。



3.【絶望して】自分自身であろうとすること


それに対して、次は絶望した結果「なんとしてでも自分を守る」と言って反抗するような対処です。

こちらは、行動的・男性的な絶望への対処法で、引きこもりなども当てはまりそうです。

この3つの絶望の中では、より自分に近いところにいるのですが、その「こだわり」によっては、非常に苦しい場面でもあります。

ここでは2つのタイプに分かれます。

行動的な自己


こちらは、「自分を支配しようとする、どんな力も認めない!」という姿勢です。

「自分は神である」というような、錯覚があるかもしれません。

これは、空中で剣を振り回すようなもので、その力はなんの影響力もなく、根底にあるのは「無(自分がない)」という状態です。



受動的な自己


こちらは、自分に向き合おうとするとき、「根本的な欠陥」に出くわしてしまいます。

これこそが、本来の問題であり、取り組むことなのでしょうが……

どうしても認められずに、その問題を遠ざけてしまいます。

結果的に、自分に向き合うことはなくそれよりも、救ってくれそうな人を恐れて「救いを求めるくらいなら、今のままで良い」と心を閉ざします。

この根底には、自由を放棄するという「屈辱」を避けたい気持ちがあるのです。


では、このような絶望の状態から、抜け出せる方法はあるのでしょうか?





絶望から抜け出すには?



それは、「反省」です。



でも一般的に言われている「反省」ではないと思います。

何らかの有用な知見を期待して、自分がしてきた行動や発言に関して、振り返ること。一般的には、振り返ったあと、それについて何らかの評価を下すこと、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること。

こちらは、ウィキペディアに書いてある反省の意味です。

一般的に反省というのは、今までやってきたことをダメだったと結論づけて、今までやってきたことに反対をしてきた、身近な人の言うなりになる。

と言うような意味合いが、日本では多くあると思います。


でも、これは違うと思ってます。

それは、反省という名の「従属」もしくは「奴隷」です。

主に3つの絶望の1番の人に従属したり、奴隷になるのです。

嫌じゃないですか?

せっかく絶望までたどり着き、つらい思いをして原点に戻ってしまうのです。


キェルケゴールの言葉でいうと、反省とは「何かが媒介を通して、別の何かにたどり着くこと」と言われます。

「媒体を……」というのは、まさしく「絶望」ではないでしょうか。

たとえば、「あれ?何か思い違いをしてたかな?」などと思うことはないでしょうか?

自分らしくもないことを、誰かに認められるために、やってきたりとか……

それって「自分」じゃないですよね。

それに気づくことが「反省」の入り口で、自分が今までやってきたことについて、「本当にやりたかったことなのか?」などを、改めて検討し直すことだと思います。

それこそが、自分に向き合うということであって、それはさっき言ったように「誰かのいう通りになる」ではないです。

それは、さっき言った3つの絶望の、2番目の絶望した後に、自分ではない他の何かになろうとすることです。

それは、絶望から立ち直ったわけではなく、違う自分としての生き方がスタートしただけで、それは絶望の中なのです。


また、最初に伝えた3つの絶望を出します。

1.【絶望して】自己を持っていることを意識してないこと
2.【絶望して】自分自身であろうとしないこと
3.【絶望して】自分自身であろうとすること

この1番はどうでしょうか?

あなたが日頃、目の前にいる多くの人が、このタイプではないでしょうか?

このタイプは、まず このまま一生を過ごすことになると思います。

ですから、気づいてもない人に、「あなたは、絶望に気づいていませんね」などと、教えてあげる必要はないのです。

このような人は、思い悩むことも少なく(ということは「自己」ではないのですが)その分、一見 安泰で幸せな生活を送れるというメリットもあるのです。

ただ、どこかでまた絶望は巡ってきます……

注意したいのは、悩む人は、このような1番のタイプの忠告などを、いかに適当に交わしたり 感情的に振り回されたりしないようにするかが重要なのです。

また、差別されたりすることに対する「耐性」をいかにつけるかが、今後の人生を左右すると思います。

これに屈すると、せっかく絶望したのに、このような人たちの仲間に入って、身を縮めて生きることになります。

それに対して、絶望を通して、自分を反省した人は、それについて苦しみもがき、自暴自棄になったりすることもあります。

ただ、それこそが「自分に向き合う」ということであり、「自分はどのように生きるのか」という目標というか、指針もしくは信念のようなものを、作るきっかけになると思います。

これこそが絶望から立ち直り、「自分」「自己」を見つけることです。

つまりは、絶望という経験がないと、この反省という行為の中で「自分」「自己」を見つけることができないということにもなります。



自己を取り戻すには?


先ほど、絶望から蘇るには「反省」が必要だと言いました。

では、その反省の中で、自己を取り戻すために、本来の自分自身になるにはどうしたら良いのでしょうか?

これは、正直いうと終わりのない旅のようなもので、ずっと発展途上であり それが終わるといくら若くても、魂レベルでの衰退となってしまいます。


(空想的でなく)想像力を強めていく


私たち人間は、何をモチベーション(やる気)にして、感情を奮い立たせたり、意思を持ったりするのでしょうか。

それは、まさに「想像力」です。

でも、ここで多くの人が勘違いしがちなのは、「空想」です。

空想と創造の違いは何でしょうか?

それは、「具体的であるかどうか」です。

よく、若い人がやみくもに「自分はすごい人になる」と行動したりします。

また、老人が自分が若かった頃の自慢話をすることがあります。

これは、両方とも「空想」です。

理由は、さっきも言ったように、具体的でないことが特徴です。

この空想は、現実の自分からどんどん離れてしまいます。

このように、自己を失う時は、空想の中にやみくもに入って、自己を失う場合と、もう一つあります。

それは、「他者」によって自分の自己を、騙し取られることです。

この「他者」は、自分を絶望するような人間ではないと確信している人や、今いったように「空想」の世界で生きている人です。

この人らによって、絶望している人を自分の世界に引きづり込むということです。

まずは、このような自己を遠ざける状況にいないか、確認をしてみましょう。

つまり、絶望から救い出せるものは、具体的な想像力からくる「可能性」を見つけていくことです。

可能性こそが、絶望の解毒剤だとキルケゴールは言います。

そして、その可能性を信じることです。

つまり、自分を信じる、自分の未来を信じるということではないでしょうか。

これはさっき言ったような、空想を信じることとは意味が違うことを、理解しておくことが大事です。

つまり、ちゃんと絶望ができる人は、失敗したことや成功しなかったことを、嘆くのではなく、本来の自分自身になれなかったことを反省することなのです。

この岐路の中で、本来の自分自身にならずに、身近な人に、自分を騙し取られることを、「よくなった」とか「立ち直った」と勘違いしている人は、多いように感じます。



絶望とは希望である


まさしく絶望とは希望です。


ピンチはチャンスという言葉がありますが、私自身もちゃんとチャンスにしてこれなかったという反省もあります。

また、絶望をいくら経験しても、そのあとに「他の自分に成る」ことで安易に解決に急いでしまったり、ただ反抗的になって社会などに喧嘩を仕掛けても、何の意味もないことがわかりました。

最後には、「自分のところ」に戻り、本当の自分のドアをノックすることこそが、反省であり自分と向き合うことだと思いました。

以上で3つの絶望を終わります。

ありがとうございました。


2021年3月22日月曜日

愛着障害関連のオススメな書籍

愛着障害の特徴

これを知らないと愛着障害の本を買っても意味がないので、特徴だけお伝えします。
これは、下でご紹介している岡田先生の「ADHDの正体」からの抜粋です。


1.過剰な気遣いや顔色に敏感な傾向

2.親に、甘えられず、本心が言えない

3.習癖化した攻撃性や、怒りの感情。

4.わざと困らせる行動や、本心とは異なる、素直でない反応

5.自己破壊的行動や、自分を過度におとしめ、傷つける行動

6.対人不信感

7.低い自尊感情や、否定的な自己像

8.過剰な自己顕示的行動

9.自分の感情や、自分が存在することに対する、現実感の乏しさ

10.解離症状(記憶や意識が飛ぶ症状)


もし、当てはまりそうで興味があるかたは、私のオススメの先生の本になります↓

高橋和巳先生の書籍


まずは、こちらはすごくオススメです。

高橋和巳先生です。

現象学という哲学の分野にも精通されていて、「真実を見る目」に絶大なる信頼を置いてます。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

「母と子」という病 (ちくま新書) [ 高橋 和巳 ]
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こちらの内容を、要約した動画はこれです。




子は親を救うために病になる





こちらの動画が、「子は親を救うために病になる」の要約です




岡田尊司先生の書籍


とにかく岡田先生の本は、いっぱいあります。

また、どの本でも中心に通ったものは同じなので、失敗はないと思います。

先生の信念は、発達障害とかパーソナリティー障害の多くは、遺伝とか脳の一部破損などと言われているけど、「それって本当?」というところからの出発です。

これは、いわゆる大人の「母親のせいにするのはやめましょう〜」という流れに、意見をしているのだと思います。

いくら遺伝が原因でも、環境や養育が全く関係ないと決めること自体がおかしく、事実を歪曲していると思います。


最近出た本で、すごく気に入っているのは……

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

ADHDの正体 その診断は正しいのか [ 岡田 尊司 ]
価格:1485円(税込、送料無料) (2021/3/22時点)


まさしく、今まで言えなかったことを「ついに」言ったような書籍です。

つまり、ADHDとは遺伝であり脳の異常などと言われているけど、本当は薬品会社が自分のとこの商品を売りたいから、マーケティングしてうまく言っただけでしょう?という内容です。

世の中のイカサマに興味がある人は、ぜひ読んでみてください。

一応、動画でも簡単に触れてます。





また、自己愛障害という観点で、幼児期のつまづきを見たい場合は……


自己愛についての動画もあるので、また再生リストからみてください。
自己愛動画の再生リスト


また、愛着障害に特化したものも多数あります……


愛着についての動画もあるので、また再生リストからみてください。
愛着動画の再生リスト

また、普段活字を読み慣れてないかたは、漫画もあります。



簡単ですが、ご紹介させてもらいました。


2021年3月16日火曜日

自己愛性と 境界性の違いと意外な共通点【パーソナリティー障害】




あなたは 自分を特別だと思いますか?


もしくは 自分なんて なんの価値もないと 思いますか?



今日は このような特徴を持つ パーソナリティー障害の 自己愛性と 境界性について 違いと共通点を 考えていきたいと思います。




今日は このような流れで 進みたいと思います。


まずは パーソナリティー障害について 簡単に説明します。


次に あなたが自己愛性と 境界性の どちらに当てはまるか 当てはまらないかを 診断します。


次に 二つの違いと共通点について お伝えします。


また 自己愛性と 境界性から見る 母親と子供の関係性を 考えたいと思います。


では 早速いきましょう。


 

パーソナリティー障害について


まずは パーソナリティー障害について 簡単に説明します。


パーソナリティーというだけあって 性格のことです。


でも それが病的になってくると 社会生活が おくりにくくなります。


このようなことで 悩む人を パーソナリティー障害と 診断されることがあります。


例えば このようなタイプです。


・愛を貪る人は 境界性パーソナリティー障害と呼ばれます。

・賞賛だけが欲しい人は 自己愛性パーソナリティー障害と呼ばれます。

・主人公を演じる人は 演技性パーソナリティー障害と呼ばれます。

・悪を生きがいにする人は 反社会性パーソナリティー障害と呼ばれます。

・誰も信じられない人は 妄想性パーソナリティー障害と呼ばれます。

・頭の中で生きている人は 失調型パーソナリティー障害と呼ばれます。

・誰とも親密になれない人は シゾイドパーソナリティー障害と呼ばれます。

・傷つきを恐れる人は 回避性パーソナリティー障害と呼ばれます。

・一人では生きていけない人は 依存性パーソナリティー障害と呼ばれます。

・義務感のつよすぎる人は 強迫性パーソナリティー障害と呼ばれます。


こうしてみると 一人の人間でも いくつか当てはまるような感じがします。


また 今日はその中でも 上の二つの 境界性と 自己愛性について 取り上げたいと思います。


自己愛性と 境界性の診断


次に 自己愛性と 境界性の診断です。


こちらは 岡田尊司先生の 「パーソナリティー障害」から 引用してます。


その他の診断などをしたい場合は こちらの書籍で診断してください。 


自己愛性の診断

では まずは自己愛性の診断です。


過去 数年間を振り返りながら 当てはまるものを選んでください。


5個以上当てはまるようなら 該当するかもしれません。


1. 自分には 世間の人が気がついてない 才能や優れた点があると思う。

2. 大成功をして有名になったり 理想の恋人と 出会うことを 夢見ている。

3.自分は人と違ったところがあり 特別な人間だと思う。

4. 周囲からの賞賛が 何よりも励みになる。

5. 多少の無理でも 自分の望むことは 大抵聞いてもらえることが 多かった。

6. 欲しいものを手に入れるためなら 他の人を利用したり うまく言いくるめるくらいの 自信はある。

7. 自分勝手で 思いやりがないところがある。

8. 友人や知り合いの 幸せを見ると 内心 妬ましくなることがある。

9. 態度が大きいとか プライドが高いと思われている。



いかがでしょうか。


境界性の診断


次は 境界性の診断です。


1. 大切な人に 捨てられるのでないかと 不安になって 必死にしがみついたり そうさせまいとして 相手を困らせたことがある。

2. 相手を理想的な人だと思ったり ひどく幻滅したりの 落差が激しいほうだ。

3. 自分が本当はどんな人間なのか わからなくなることがある。

4. 衝動的に 危険なことや よくないことを やってしまうことがある。

5. 自殺しようとしたり そうすると言って 周囲を困らせたことがある。

6. いちにちのうちでも 気分が両極端に 変わることがある。

7. いつも心の何処かに 空虚な感じがある。

8. 些細なことでも 思い通りにならないと 激しい怒りに とらわれることがある。

9. 思い込みに囚われたり 記憶が飛ぶことがある。


いかがでしょうか。


どちらが多かったかを 覚えておいてください。

 


自己愛性と 境界性の特徴の違い


では 次に 自己愛性と 境界性を知るために まず 特徴の違いで 対比してみます。


自己愛性と 境界性の違い の1



自己愛性の特徴は 自分へのこだわりです。


先ほど 診断項目にあったように 自分は特別という感覚が とても強いです。


これは 子供時代の万能感が つよく残っているからだと思われます。



次に 境界性の特徴は 


親へのこだわりです。


これは 過去 親から感じた 見捨てられ不安があり 何かきっかけとなる 出来事が起きるたびに 見捨てられ不安が出てきて 混乱します。


例えば 恋愛などでも 相手の愛を しつこく確認したり 別れ話に混乱してしまうなどは 見捨てられ不安から くるものが多いです。



自己愛性と 境界性の違い の2

このような問題が 発生した時期です。




自己愛性の場合は 生まれてからすぐ そして1歳半くらいまでに 母親との愛着を育むことに 失敗をした可能性があります。


親も同じく自己愛性だったり 性格的に 不安定な面を持っている可能性が高く スキンシップが足りなかったりして 赤ちゃん当時に 大きな不安を 感じた可能性があります。


また 境界性の場合は もう少しあとになります。


自己愛のように 愛着を育てるまではできたけど 今度は 分離の時に失敗をした可能性があります。


これは 4歳くらいまでに うまくいかなかった可能性があります。


理由としては 親があまりにも唐突に 分離してしまった場合です。


こうされると 子供は戸惑い 心に傷ができます。


また 逆にいつまでも手放さないで 支配しようとした場合です。


こうなると 今度は分離することに 罪悪感を覚えてしまいます。



自己愛性と 境界性の違い の3


自分のとらえかたの違いです。





自己愛性の場合は 自分はすごいという 誇大自己と そうでなければ なんの意味もないという 無能自己の2つしかありません。


つまり そのままの自分とか 等身大の自分がないのです。


よく ありのままの自分がわからない と言われますが それは これが理由かもしれません。


また 境界性の自分のとらえかたは 親が認める良い自分親が嫌がる悪い自分の 2つしかありません。


つまり 本当の自分が欠落しています。



自己愛性と 境界性の違い の4


それぞれの症状が よくならない理由です。


自己愛性の場合は 自分を大きく見せることで 自分を保っているので それが保てる限りは それを続けようとします。


自己愛のかたの悩みは 主に この 自分が保てなくなった時に どうしたら元に戻れるかを 悩みます。


過去の栄光にすがる 若さを諦められない などです。


これは 等身大の自分に戻ることを 拒否するための行為なので これを防衛と言って 問題を解決させない原因です。


また 境界性の場合は 親を理想化することで 真実を見ずに 自分を保っているので その夢から覚めないように 努力します。


つまり 心のどこかではわかっていても 真実を見ることを拒否しています。


このような場面になると 防衛が出てきます。


例えば 頭が真っ白になったり 混乱したりして 本当の自分から 遠ざけるようにします。


いかがでしょうか。



なんとなく この違いが見えてきたように 思えませんか?


自己愛性と境界性の共通点


また この二つの共通点は 何でしょうか?


それは 自己愛のゆがみです。

どちらも 極めて幼い時期に 母親との関係で うまくいかなくなって その理由を「 自分のせいだ」と結論づけたのだと思います。


自己愛性の人が 自信たっぷりなのは 自信をなくさないように 頑張っているだけで 自分は価値がないと思っているからこそ 大きく見せる必要が あったのです。


自己愛性と 境界性から見る 母親と子供の関係性


自己愛性も 境界性も 自己愛のゆがみなど いろんな問題がありますが このような問題が解決しない理由として 先ほど 防衛と言いました。


この防衛は どのような働きを しているのでしょうか。


ちなみに 防衛は 解決を邪魔する力です。


解決とは 自己愛性は 等身大の自分を受け入れることであり 境界性は 本当の自分に戻ることです。


なぜ そんなに邪魔を しているのでしょうか。


これは メラニー・クラインの  抑うつポジションという図です。



難しそうな言葉が並んでますが 一番うえの 妄想・分裂ポジション というところが いわゆる症状が出ている機能不全の状態です。


ここは 現実を見ないで 非現実にしがみついている状態です。


だから 周囲から理解されずに 生きづらいとも言えます。


機能不全家族などでは 家族が この状態でいることで 均衡を保っているので 支配者は ここから出そうとしません。


また メンバーも真実を知ることは 恐ろしいと思い込んで ここから 出る勇気が出ません。


もし 頑張って ここから出ると  抑うつポジションに 向かいます。


これは 真実を見て 自分に向き合うので 苦しいけれども その先には 問題が解決していく可能性があります。


しかし 多くの人は この抑うつを避けたいので なかなかここへは行かずに ずっと上の妄想・分裂ポジションで そこにいるための努力を 繰り返します。


ただ それが通用しなくなると 挫折などをして  必然的に抑うつに入ることもあります。


だからこそ 失業とか離婚などの 人々が恐れる事態は 生きかたを変えられる 人生の中で 数少ないチャンスなのです。


もし、自分で気付けて防衛を突破できたなら、いくらでも解決できるのですが、人間の防衛はすざましい力があります。


そして  抑うつを受け止めて 自分を少しづつ取り戻せると 過去の 親から期待される自分と さよならしたり また その過去の自分も 否定せずに受け入れることで 本当の自分 等身大の自分に 戻っていきます。


いかがでしょうか。


このような道のりをするのも 過去の愛着 分離の課題を 失敗したままで いるからです。


しかし このような場面においても まだ それを邪魔する存在がいるなら それは 血も涙もない 確信犯としか 言えません。


このようなことから これは私の考えなのですが 自己愛性と境界性の 特殊な関係が あるような気がしてます。


さっきも言いましたが 自己愛性は母親との 愛着を 育てられなかった人です。


また 境界性は 母子の分離に失敗した人です。


ただ 境界性は 多くの場合 30代半ばには 症状がなくなると言われます。


なぜ なくなるのでしょうか。


私は 境界性の人は 結婚などをして 子供を産むと この役割が終わって 次の役割になるからだと思います。

これは、一見成長したように感じますが、それが間違いだとしたら「偽りの自己」「自己否定をしたままの自分」のまま、親になってしまいます。

……考えたら、ほとんどの人が自分の問題を解決しないまま、親になります。

すると、どうなるでしょうか?


親やその上の世代の問題は、未解決のまま子供へ受け継がれるか、その尻拭いなども任される危険があります。


この図をご覧ください。


境界性の子供が持つ、自己否定などを持ったまま結婚して子供を産むとどうなるかです。

表面的には、子供を持つことで社会的な評価は上がるので「自信を持つ」ようになります。

でも、それは表面的なものであり、実際には自己否定をしたままです。

その自己否定を埋めるために、今度は子供に活躍してもらう必要があります。

これが世代間のトラウマが引き継がれた瞬間かもしれません。



つまり 境界性は 親へのこだわりがあったけど 、子供を産んだら 子供へのこだわりに移行する という構図です。


ただ このような場合 子供を産んだ親は 自分の問題は いまだに解決していません。


つまり 自己否定の強いままで、強力な武器を得たような 感じになります。


つまり 万能感のようなものを 得たということです。


この万能感は 自己愛性が持つものなので 、むしろ 退行してしまったのかもしれません。


そして 自己愛の持つ特徴を 身につけていきます。


例えば 表面的な自信のようなものです。


自己愛の人は 自分のためなら 平気で人を利用しますから 子供を利用して 自分の自己否定の部分を 補おうとします。


そして それを子供が拒否したとしても 絶対的な地位から 支配を続けます。


これによって 弱者である子供は どんどん病んでいきます。


そして 自己愛や境界性となっていくのだと思います。


いかがでしょうか。



今日は このような話をしました。


まずは パーソナリティー障害についてです。


それぞれの特徴が 病的になった時 また 本人が いきづらさを感じた時に このような障害となります。


次に 自己愛性と 境界性の違い です。


自己愛性の違いの一つは 自分へのこだわりで 境界性は 親へのこだわりです。

自己愛性の違いの二つ目は 生まれてからすぐ そして1歳半くらいまでに 愛着を育むことに 失敗をした可能性があります。

境界性は 4歳までの母子の分離に 失敗した可能性があります。


自己愛性の違いの三つ目は 自分はすごいという誇大自己と そうでなければ なんの意味もないと思う 無能自己の2つで 等身大の自分が 欠けています。


境界性は 親から見た 良い自分と悪い自分で 本当の自分が欠けています。


自己愛性の違いの四つ目は よくならない理由として 自分をすごく見せることを やめられない という点です。


境界性は 真実を見ることを 拒否してしまい 親などの理想化をやめられない という点です。


また 自己愛と境界性の 共通点は 母親との関係の失敗と 自己愛のゆがみです。


最後に 自己愛性と 境界性から見る 母親と子供の関係性を考えました。


 抑うつポジションという図を見ましたが このように いきづらいひとは この妄想 分裂ポジションに いたくはないけど 出るのが怖い もしくは 出ようとすると 誰かが邪魔をする という問題があります。


それだけ つよく教えられてきたものです。


もし あなたが 生きるか死ぬかの分岐点にいるなら この妄想 分裂ポジションから 出るチャンスだと捉えてください。


いかがでしょうか。


以前に 視聴者のかたで まさにこの妄想 分裂ポジションから 出るチャンスを生かした人がいました。


コロナの影響で 25年働いた水商売から リストラされたかたです。


すでに 45歳ということでした。


私は そのかたは 本気で自分の問題を 解決しようとしていると 感じたので 陰ながら応援していました。


すると 一気にこちらのチャンネルの動画のほとんどを見て 、警備の仕事を見つけて 旅立っていきました。


たぶん 2ヶ月くらいの間の出来事でした。まさに風のように去って行きました。


このかたは 一人で生きるためには 仕事が必要であると知り また 年齢からも 水商売では難しいと悟り 大きな決断をしました。


まさに、悩みの沼から抜け出し、現実的な問題への対処へすぐに向かったということです。

先ほどの図で言う 一気に抑うつポジションにたどり着き そして 本当の自分 等身大の自分を 受け止めたように感じました。


このかたは 特別だと思うかもしれませんが 、人はこのように「待った無し」のところまでくると 人は変われると 実感しました。


これは どんなカウンセリングよりも 効き目があると思います。


また このような自己愛性の人や 境界性の人は 魅力的な人がとても多く このつらい道のりを乗り越えたら このような経験がない人よりも さらに魅力的に 輝く可能性があると思います。


以上で 終わります。ありがとうございました。


2021年3月10日水曜日

コントロール癖をやめる方法

コントロール癖とは



あなたは、同僚や恋人などに対して、知らず知らずのうちにコントロールすることはありませんか?


コントロールというと、「あれやれ!これやれ!」「これはダメ!」などを想像するかもしれませんが、それだけではありません。


弱々しく病気のように振舞って「大丈夫ですか?」と声をかけられるのを待つのも、コントロールです。



このように、自分の思った結果を導き出すための何らかの他人への関わりのことを、ここではコントロールと呼びます。


なぜ、こんなことをするのかわかりますか?


もし、わからないならばかなり昔に覚えた習性だと思います。


このようなコントロール癖は、対人関係で非常に問題になりやすいです。


なぜなら、人はコントロールされたくないからです。


もし、あなたがコントロール癖があるなら、その理由を知って一度リセットしてみてはいかがでしょうか。




うつなどの親に育てられた子供の特徴


突然ですが、あなたの親はすごく厳しくなかったですか?


または、うつのような症状があって……つまり、自分のことで精一杯で子供が親の面倒を見るような環境ではなかったですか?


もし、このような親中心の家族であった場合、子供は子供らしく振る舞うことを許されないので、サバイバー症候群になりやすいと言われます。


サバイバー症候群とは、アンシェフィールド という作家の「悲哀の蜘蛛の巣」から引用したものです。


その特徴としては、以下の通りです。


👉サバイバー症候群

1.親密さへの不信感

2.完璧主義への懸命な努力

3.完璧主義によるコントロール

4.あくことなき承認欲求

5.こけおどしの自信を見透かされるのではないかという恐れ


いかがでしょうか。

このように、すでに幼少期から、非常に大きなハンディーキャップを背負うことになります。


この中にもあるように、3番の完璧主義によるコントロールとあるように、「ちゃんとしないといけない」とか「私がしっかりしないと」という思いが、コントロールにつながっているということです。



「あるがままの自分」などと言われますが、それとは正反対の「必死に努力しなければ生きられない自分」だったことがわかります。


このような状況下で、子供は元々の性格とか親などの関わりによって、2種類のタイプに分かれていくと言われます。



良い子か反抗か


子供は母親に褒められたり、認めてもらおうと頑張るものですが、母親などがうつの場合、自分のことで精一杯で、子供に気が回らないことが多くなります。


そんな時に、2種類の反応が起きると言われます。


良い子タイプ

1.もっともっと努力をして、母親に言われるよりもさらに先回りして要望を叶えようとする

この場合は、大人になるにつれてさらにその腕を磨き、周囲から「とてもよく気の利く人」と言われるような大人になることが多いです。


でも、当然ながら疲れるはずです。


どこかで限界がきて挫折を味わう人もいるでしょう。


また、「あるがままの自分がわからない」と真剣に悩む人も、このタイプです。


自分を捨てて、親の気にいることばかりを考えて生きてきたので、そのままで良いと言われてもどう力を抜いて良いかわからなくなります。


それが悩みになることもあります。


また、希望通りに認められてもそれを信じられないという、悲しい習性もあります。

それは、幼い頃に受けた、親などの気まぐれな対応に慣れているせいです。


反抗タイプ

2.努力しても認められない落胆とか傷つくことを味わうことがないように、その努力を諦める


このタイプは、親や周囲に対して敵対的な態度をとります。


また、このような態度に対して、うつなどの親はその行動だけを見て罰を与えやすく、本当の気持ちを理解してもらえない子供はさらに反抗的になり、親の持っている懲罰的な態度も身につけてしまいます。





両者に共通する傾向


良い子タイプも反抗タイプも、共通するのは「誰かをコントロール」しようとするところです。

もちろん対応の方法は違いますが、自分を助けてくれた人や思い通りになる存在を見つけると、コントロールしようとします。


良い子タイプは、世話焼きをすることで相手の気持ちとか時間をコントロールしようとします。


反抗タイプは、いじめたり敵意をあらわにして攻撃したりします。


どちらも相手にとっては良い気持ちにはなれません。


世話焼きは、子供扱いされたような気分になるし、「見返りが目的かーー」となるでしょう。

また、敵意を出されて、気分が良い人はいないはずです。


このようにコントロールは、相手が成熟した大人であればあるほど嫌われます。


こちら、引用になります。


相手をコントロールしようとする傾向は、適応上生じた特殊能力だともいえる。

しかも、そうした能力が4歳から6歳という早い段階で芽生えることは、驚くべきことである。

子供は、意識的にそれを身につけたというよりも、生き延びていくためのやむを得ない必要から、本能的にそうする術を体得したと言えるだろう。

懲罰的なコントロールの起源は親自身にあり、親が懲罰的な脅しをかけて子供をコントロールしようとしたことを、子供も模倣して行うようになった、初歩的な社会的学習の結果だと言える。

それが3歳という早期から認められることも別段不思議でない。

シックマザーより


つまり、相手をコントロールする癖は、元々の性格というよりも幼い頃に生き延びるために、また脆くも崩れそうな家庭を守るための手段だったということです。


また、あまりにも昔のことなので、すでに今ではその記憶すらなく、残っているのは「どうしてもコントロールをしようとしてしまう自分」だと思います。


いかがでしょうか。


もし、コントロール癖がある人がそれをしなくなるということは、人格が180度くらい変化するようなものです。


多分ですが、今付き合いのある人も、多少なりともコントロール癖はあると思います。


でも、あなたが変化することで、うまくいかなくなる可能性もあります。


ただ、そのことによってこれから付き合う人たちは、変化していくと思います。


具体的にどうやって、コントロール癖をやめるのか?ですが……




コントロール癖をやめる方法


1.(コントロールしようとしていることに)気づく

2.行動(コントロールのための)を起こさない

3.コントロールしようとしていることを自分でやる


まずは、自分で気づくようになることですね。


幼い頃からの習性なので、気づくのも難しいとは思います。


ただ、この癖をなくすことは、人生が変わることを意味すると思います。


その気になったら挑戦してみてください。

ありがとうございました。

2021年3月8日月曜日

あなたは本当にADHDですか?

 


動画でもご覧ください。


あなたは、ADHDですか?

こんな質問がすんなり受け止められるほど、ADHDという言葉は、日本中・・いいえ世界中で大ブームになっています。

有名人でも結構多くの方が、「自分はADHDだ」と言われている方は多いです。

私はちょっと理由があって、これまで一度もADHDについては、お伝えしなかったのですが、リクエストもありましたので、今回ブログに書いてみます。

ただ、私には何の権威性もありません。

なので、今回は、すごく似た考えをお持ちの精神科医の岡田尊司先生の書籍から抜粋し、私の考えも途中で入れながら説明します。

もし興味を持ってもらえたら、ぜひ先生の本で詳しく読んでみてください。

今回は、似ていると言われる愛着障害と対比させながら説明していきます。

では、早速行きましょう。


ADHDと愛着障害の違い



では、ADHDと愛着障害の違いについて、まとめます。



1. ADHDと愛着障害の要因の違い



まず、大きく違うと思うところは、症状の要因です。

👉ADHDの要因


遺伝が7〜8割と言われます。

また脳の異常なども言われます。

この2つの関連性のなさを覚えておいてください・・・。

👉愛着障害の要因


養育者との関わりが影響していると言われます。





2. ADHDと愛着障害の特徴の違い

👉ADHDの特徴


多動・衝動性・不注意を特徴とする障害と言われます。
また、先天的な脳の発達のトラブルによって起きると言われます。
発達障害の一つです。
ちなみに、それ以外の発達障害は・・・

発達障害の種類
  • 注意欠如・多動症(ADHD)
  • 自閉スペクトラム症(ASD)
  • 学習障害(LD)
  • 知的障害
  • 発達性協調運動障害
  • 言語障害、コミュニケーション障害
ADHDの正体より

このようになります。

👉愛着障害の特徴


それに対して愛着障害は・・・


虐待やネグレクトなどの養育要因によるもので、愛着形成に破綻をきたし、対人関係の障害、身体的、情緒的、社会的発達に問題が生じる
ADHDの正体より

ということですが、愛着障害という診断が下されることは、非常に少ないそうです。

つまり、虐待の事実でもない限り、発達障害と診断されるそうです。

岡田先生は「死に至る病」という書籍を書いておられますが、そのくらい愛着障害は深刻な面があるのに、医師としても診断しにくい事情があるようです。

何やらきな臭いですね・・・。




3. ADHDと愛着障害の歴史の違い


この二つの障害がどうやって生まれたかを、比較してみます。

👉ADHDの歴史


本来なら、遺伝や器質の異常によって起きているので、
ずっと昔からあるはずですが、ずっと気づかれなかったのでしょうか?

ADHDとしての最初の動きは、1902年のイギリスの小児科医ジョージ・フレデリック・スティルによるものが、最初だとされています。

このかたは、多動というよりもどちらかというと、犯罪性のある暴力などの症状を、主に取り上げていました。

しかしそれから数十年後、1957年に児童精神科医のモーリス・ラウファーらが、今の多動、衝動性障害という概念を、中心軸にして発表しました。

これは、今でもそうですが、落ち着きがないくて集中できないという、一般の人にも該当するような症状が中心概念となったのです。

「片付けが苦手」

「不注意やミスが多い」

「集中力が低下」

はい、私もすべて当てはまります・・・。このように、根拠が薄ーーーいのです。


またその理由として、当時の学校や社会からの要請を反映したものだったということです。

これは、学校で落ちこぼれだったり、挙動が怪しい人を普通の子供と区別するために、新たに多動症という名前をつけて「障害」にしたということです。

そうすれば、学校でも奇妙な行動をする生徒を、医者に誘導することができます。

このようにして、ADHDは誕生したようです。

・・・・・やややや闇ぃ・・・。


👉愛着障害の歴史


愛着という現象に着目して、それを展開していったのはイギリスの精神科医であるジョン・ボゥルビィです。

最初は、「母性愛剥奪」として捉えられていましたが、母親を奪われるというネガティブな方向がダメだったのか、途中で母と子の結びつきとして「愛着」という言葉を使うようになります。

よかったら関連記事になりますので、こちらの記事もご覧ください。





4. ADHDと愛着障害の発症時期の違い



どちらも幼少期になりますが、要因の違いがあるのであらわれ方が変わります。

👉ADHDの発症時期


遺伝と脳の器質が原因ということなので、早い時期に症状などが発症することになります。

また「大人のADHD」は、もともとは存在しませんでした。

つまり、大人になればほぼみんな治るという見立てでした。

遺伝とか脳の形状が、大人になると変わるのでしょうか???

「大人のADHD」は、この幼少期から発症して、治っていない人なので、大人になってからADHDになることはあり得ないということです。

しかし、ニュージランドのコホート研究による38年の追跡調査によると、幼少期にADHDの症状が見られたのは3人だけだったのに対して、その人たちが12歳になった時に、ADHDが61人に増えていたという研究結果があります。

これはADHDの定義である「幼少期に発症」というものと、違った結果になっています。

この論文の著者は、このように述べています。

「このデータは、成人のADHDが、児童のADHDとは同じものではないことを示している」
ということです。

つまり、大人になってからのADHDは、「そもそもADHDではない」ということになります。

👉愛着障害の発症時期


生まれてから1歳半くらいまでに、親との間で愛着を育てられないと、その後も不安定な愛着しか、築けなくなると言われます。

これが、対人関係でうまくいかないとか、おどおどした態度などになって、周囲が「おかしい」と気づいた時に、症状とか障害として認知されます。

だいたい4歳くらいから症状が出てきますが、愛着を育てられない親の場合は、その変化に気づくことがなかったり、子供の不調を逆に「ダメだやつだ」などと責めたりします。

それこそが、愛着障害が育つ環境とも言えます。

だから、他の人たちが見つけてあげないと、放置されている人も多いと思います。




5. ADHDと愛着障害の違いを例えると

歯の治療に例えるなら・・・

👉ADHDの場合


歯が痛いので、痛み止めを飲んでしのぐようなものです。
つまり、投薬だけではなおらないということです。

👉愛着障害の場合


歯の治療を行うことになります。




6. ADHDと愛着障害の治療法の違い


👉ADHDの治療法


投薬になります。

抗ADHD薬です。これは、一時的に集中力がアップすると言われます。

つまり、多動を抑えて集中できるので、大人しくなるという効果があります。

ただし、薬には副作用があるので、不調を訴える人も多いそうです。

また、「薬が効かない」と途中でやめる人も多いそうです。

あなたの周りに、ADHDの薬を服用して、症状が良くなった人を見聞きしたことがありますか?

これは、どちらかというと本人よりも周りの人間が助かる効果の方が、大きいように思います。

「大人しくなってくれて良かった・・・」

また、この抗ADHD薬は、以前は大人には服用できないという決まりがありました。

でも、当時の子供が大人になって、依存症のようになると、その薬がないとつらいのか、今では大人でも、なんなら老人でも服用されている人はいるようです。

気分が落ち込み気味の人が服用すると、余計に落ち込んでしまいそうですね。


👉愛着障害の治療法


こちらはカウンセリングとか、グループワーク、トレーニング、などです。





7. ADHDと愛着障害の本当の問題の違い


私が思っているそれぞれの障害の肝となるところは・・・

👉ADHDの本当の問題



そろそろお気づきだと思いますが・・・



利害」だと思います。

誕生したのもまずは「薬」が先でした。

また、その製薬会社が非常にうまくこのADHDを普及させるのに成功したのです。

ざっくりというと・・・

まずは「多動症」という言葉を、世の中に投げかけ・・・

        ⬇️「何?ADHD?ざわざわ」

多動症には「薬が効くらしい」と世の中に広め・・・

        ⬇️「それ欲しい!」

医者につなぐために、学校やカウンセラーに営業し・・・

        ⬇️「すぐに良くなりますよ」

大ブームとなってADHDと薬が量産された・・・


ということではないでしょうか。

このように、すべて、利害が絡んでいるように思います。


👉愛着障害の本当の問題


本当の問題は、「敵意」だと思います。

世代間の確執からくる人間に対する不信感が、敵意となって、対人関係に影を落とします。

ドイツのケルン大学の研究では、このように述べられています。

母親が未解決な傷を引きずることと、子供のADHDの症状が出ることが、結びついている。

つまり、100歩譲って、その子供がADHDだとしても、その原因は遺伝や器質だけではなく、母親のメンタルも影響しているということではないでしょうか。


ただ、「だから犯人はお前だ」ということではないと思います。

多分、母親の愛着も不安定なままである可能性があります。

ということは、その父母との関係性も、愛着の問題があったということです。

つまり、まとめると・・・


母と祖父母の不安定な関係があり・・・

        ⬇️

その問題は解決せずに、母親の不安定な愛着スタイルが誕生し・・・

        ⬇️

その子供も母親との関係で不安定な愛着スタイルとなり・・・

        ⬇️

ADHD(もしくは擬似ADHD)のリスクを抱えることになった(もしくは愛着障害)


※擬似ADHDとは、本当はADHDではないけど、そう誤診されたということです。

自分で勘違いすることもあると思います。

つまり、愛着障害をADHDと診断するようなものです。





8. ADHDと愛着障害の共通点



では、今までは違いでしたが、ADHDと愛着障害の共通点は何でしょうか?

すごくシンプルに考えていくと、生きにくさではないでしょうか?

その生きにくさを、正直に感じられないし、感じたとしても悪いことだと思ってしまう・・。

だから、理由が必要になる。それで「ADHDだから」「愛着障害だから」となる・・。

そうしないと生きにくさを感じる自分が許せないのでしょう。

そして、どんどん「症状名」の迷路に入り込んで、「どっちかな?」とそれで悩むというループなのかもしれません。

視野狭窄という感じがします。

そんなループから出て、そのまま「生きにくいなーやだなー」で良いように思います。



ただそんなカオスとか混沌とした状態を良いことに、遺伝要因のADHDと、環境要因の愛着障害に分かれた結果、利害が一致した医師やマスコミは「ADHD推し」となって、医師の太鼓判を支えにマスコミが大きく広めて、一大ブームとなったということではないでしょうか。

・・・ま、そういうことですね。社会の成り立ちというものは。ワクチンも同じくで。

そしてつらさを感じている人が、お金を払って薬漬けになるなんて、やってられないですね。




「ADHDの遺伝説」の本当の意味


今までいってきたように、どうも


「ADHDの遺伝説」は怪しい・・・

というのが、 著者の本音であり私も賛同するところです。

遺伝説というか、そもそもADHDの特徴に薬がいるのかが疑問です。

なぜ無理に遺伝としたかというと、子供の不調の原因が、環境要因もしくは養育に問題があるとなると、先生も親も追い詰められるからではないでしょうか。

だから、遺伝説・器質の障害が必要だった???

まさか、そんなことをするはずが・・・

そして、薬で治るということは、製薬会社も助かるということです。

つまり、今回の記事で一番伝えたいのは、別にADHDと自称するのは全然構わないですが、「薬はやめとけ」ということですね。

多動というのも、実は機敏な動きができるということを、反対に捉えただけかもしれません。

それって、その人の個性だと思うんですよね。

気にすることもなければ、矯正する必要もないはず。

もちろん、本当に多動症の人は見たことがありますが、イライラした犬がぐるぐると同じところを動き回るような動きで、一般生活を送るのが難しいくらいの症状のことです。

その人のような症状を、本来「多動症」というのであって、ホリエモンさん(ADHDだと言われているはず)のような人は「大活躍して、忙しく飛び回っている」というだけではないでしょうか。


つまり、ADHDと自分で思っている場合もそうですが、診断されたとしても、この四つの可能性があることを、覚えておいてください。

1.本物の発達障害(2割以下・・岡田先生)

2.1番の発達障害が養育、環境要因によって悪化している

3.主に愛着障害だが、擬似ADHDを生じている

4.養育以外の原因で、擬似ADHDを生じている(トラウマ等)

つまり、1番以外は、発達障害とは違う可能性が高いかも・・ということです。

岡田先生は、本物の発達障害は、2割以下ではないかと推測されています。

擬似ADHDは、本来はADHDでないのに誤診されたということです。

また、なぜ3番のように愛着障害と擬似ADHDの判別が難しいかというと、似た症状があるからです。

愛着障害の中でも、回避型ではない方の「とらわれ型」、「脱抑制型愛着障害」とも言いますが、この症状とADHDが似ていて見分けがつきにくいようです。

脱抑制型愛着障害とは、やけに馴れ馴れしくしたり、誰にでも抱きつくような人です。

このような人は、時に魅力的にも映りますが、その反面、怒ったりするとバーっと思いのままに衝動的に行動したり、自分が注目されないと、大声をあげたり、ホラを吹いて注目されようとしたりします。

この辺の言動が、ADHDだと自分で思ったり、診断されることもあるということです。

この違いを見極める方法は、子供時代に虐待とかモラハラ等の記憶があり、それが他者からの観察などからも、事実であることが認められる場合などが、愛着障害の証明になります。


症状を予防するには?


今回は、ADHDと愛着障害を比較することで、実際には愛着障害なのに、大ブームに巻き込まれてADHDと信じてしまうことの恐ろしさをお伝えしたいと思いました。

また、自分でそう思っているだけなら良いですが、薬などを飲むのは、どうかなと思います。

どちらにしても、薬は多動を抑えることになるので、どんどん自分らしさから遠のいていくと思います。

また、このような子供の不調を、すぐに抑え込むことを考えるのではなく、その子が言葉に出せないSOSを発信しているのだということを、汲み取る大人がいると救われます。

そんな時に、「こんなに育ててやったのに、お前は」などという言葉が出るなら、それは子供を敵対視していることに、気づくことです。

それこそが、子供が不調になっている原因です。

すぐにはうまくいかなくても、「敵意」が出たら、さっと引っ込める。それだけで、子供は生きる気力を少しは取り戻すと思います。

愛着障害の人がいるなら、母も子もその祖父母たちも、愛着障害の可能性があります。

これが、世代間に渡ったトラウマです。

お互いに睨み合うことに大切な時間を使うのでなく、お互いが自分に向き合って、今までの人生を客観視して、おさらいすることから始めましょう。

とりあえず、「解散」してそれぞれのハウスに戻りましょう!!

以上で、あなたは本当にADHDですか?を終わります。

ありがとうございました。


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