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2021年4月30日金曜日

生きる道の選び方ータオ心理学ー

 


今日は、タオ心理学についてお伝えしたいと思います。


こちらの著者は、ジーン・シノダ・ボーレンといって日系アメリカ人の女性です。

大学時代にユング心理学に出会って、ユングの共時性(シンクロニシティ)なども同じように探求してきた人です。


また、タイトルのタオ心理学の「タオ」とは、中国語で「道」という意味があります。

「これからどうやって生きていこうか」などと考えている人に、良い道を見つける手がかりになったら良いと思います。

ちなみに物理学者のピートによるシンクロニシティの解釈は、こちらにあります。



どっちにしても、間違い無いのは私自身がシンクロニシティに興味を持っているということです。

でも、何かとスピリチュアルで片付けられるのが、どうも気に入らなくて、証明をしたいのだと思います。


時代は変化している



今日アップした動画で、「偽りの自分でいるのは、あなたが資本主義社会や環境にあってないから」というようなことをお伝えしました。


そして、間違いなく時代は移り変わるとも言いました。

これは、昔からダイジョウ部にお付き合いくださっているかたは、聞き慣れているかもしれませんが、私はずっとこの資本主義は終わると思っています。

今は末期状態だとも思ってます。


こちらは、さっきの動画で出した図です。

お金とかものが主体の資本主義から、今はまさにネットなどの情報などが主体となった知識主義に移行していると思いますが、やたらネットでのハッキングなどが横行していて、かなりヤバーい状況だと思っています。


そこで大きなトラブルなりがあって、世界的にシャットダウンするのか何かで、知識主義が終わりを遂げるように思います。

そして、しばらく不動の時間……つまり「無」の時間があり、どうにか生き残った人が「これからどう生きようか?ネットは使えないし、お金も何もない……」というようなシンプルな問いに答えを見つけ出すのが、感性主義の始まりではないかと思っています。

まさしくすごい時代を生きていると思ってます。

この感性時代に必要となってくるのが、ユング心理学であり、シンクロニシティだと私は思ってます。

では、ここからはタオ心理学から、大切なポイントをお伝えしていきます。


感性とは



私たちが、今まさに考えていることは、合理的思考でしょうか?それとも、自分の内なる感性(直感)からくるものでしょうか。

ここで、区別しないといけないのは、適当に「あれやろう」とか「これ嫌!」というような気分と、感性は違います。

よく、合理的思考の人は感性でものを言う人を批判するのに、勝手とか気分屋などと言いますが、これは違うのだと自分で認識してないと、そのような人に流されてしまいます。

感性(直感)とは、動物のカンとか女性のカンなどと言われますが、そっちに近いと思います。

それと気分はどう違うのか、これは「本気度」だと私は思います。

つまり、本気であればあるほど、自分を間違った道に行かないように、カン(直感)が働くのです。

さっき、女性のカンと言いましたが、これからの感性の時代はまさに女性の時代かもしれません。

あ、でも今の女性の政治家のような、女の顔をした男のような合理主義とは違います。

これは、男性にも言えることで、今まで横柄に偉そうにしていた人が、全く通用しなくなるということでもあります。

このように、資本主義社会の中で、優勢だった合理的思考は時代の変化とともに、影を潜めると思ってます。

それに対して、感性の時代はどうでしょうか?

右脳的、女性的、イメージ、全体として受け止める、受容的、反省的……などが挙げられます。

なぜ、合理的思考から直感的になるのか?

俳句の研究者であった R・H・ブライスはこのように言います。

知性はあることの一部を一部として理解するだけで、それを全体としてとらえることはできない。
それは、神がいない時にだけ何事かを理解するにすぎない。

ということです。

つまり、知性は一部を理解しているだけで、感性は全体をとらえること、つまり、知性だけでは未完成だということだから、衰退していくということではないでしょうか。

そして、この全体を受け止めるには、受け止める能力が必要であり、それがないと「ただの偶然」で終わってしまうのです。

それは、偶然の一致などを「意味がある」と解釈しようとし、それを自分なりに深めていくことで自分の道を指し示すということです。

このような時も、合理主義者による「意味がない」などの妨害に、ビクともしないメンタルが必要になってきます。

メンタルというより、強い意志とか使命感があれば、気にならなくなると思います。

このような偶然の意味ある一致を、共時的(シンクロスティック)と呼ぶのに対して、単に同時に起きていること……例えば、「時計が10時を指している」などは、同時的(シンクロナス)と分けています。


共時性


また、このような偶然の意味ある一致は、3つに分けると言います。

① 心の内容(思考や感情)と外で起きる出来事の一致

これは、自分が思っていたことが、偶然目の前で起きるなどです。


② 夢や目標が、遠くで起きている出来事と一致


例えば、死んだ人が突然脳裏に上がり、後でその時に死んだと聞かされるなどです。

③ あることをイメージして、将来的にそれが実際に起きること


例えば、生まれてくる子供がすでにどんな子かわかっている、などです。


これもさっき「能力が必要」と言いましたが、ただ単に物事を受け止めるのではなく、常に「意味がある」と思って受け止めるかどうかが、すごく重要です。

でも、「この人が運命の人だ」などと惚れ込むのは、期待が大きすぎることによる空想の場合が多いので、そこはきっちりと分けておくことが大切です。

つまり、今までの資本主義、合理主義などは、客観的な事実に基づくものであり、共時性、感覚主義は、自分の主観的な経験によって、それぞれ違う意味を帯びているので、経験や解釈の違いによって、同じ道があるはずがなく、道はいくらでもわかれていくのだと思います。


 

こちらの記事で、私たちは中身、つまり遺伝や育ちが同じでも、違う人生を歩むように、それを入れる容器のようなものを、作り変えることはできると言いました。


この容器をユングは「元型」と言いました。

日本では「人の器」と言う表現を使うことがありますが、それに似ているように思います。

人生にはさまざまな似通った出来事が起きるが、それと同じだけの多くの「元型」がある。

その無限の繰り返しが、われわれの心的構造にこれらの経験を刻みつけたのである。

タオ心理学

つまり、この容器を変えるには、共時性などをもとにした「意味のある経験」を繰り返すことで、その人の容器……つまり人格とか「このような人間だ」というものが、変化していくということです。

この経験は、 それぞれの人にとって非常に重要な経験である必要があります。

例えば、「子供を産んで人生が変わった」なども、人間としての容器(母親の器)が変わったということではないでしょうか。

また、「あるセミナーに行って、雷に打たれたような気分になった」というような経験をする人もいます。

これも、その瞬間に何かの共時性があり、それを本人が認識したことで、この元型が大きく変容したということではないでしょうか。

私は、このような人を見かけると「この人は本気だ」とか「ちょっと狂気を帯びている(悪い意味ではなく)」というような、何かが乗り移ったかのような印象を受けます。

あなたも、このような有名人とか周りの人などを、たまに見かけることはないでしょうか?

ぜひ、あなたも雷に打たれるような経験をしてみてください。

そのためにはいろんなことに関心を持つことですね。



出会いについて


恋愛の出会いなども、この共時性が働く場合があります。

多くの場合は、子孫を残すための欲求を、共時性だと勘違いするものですが、もし本当の出会いを求めているなら、この共時性を意識すると良いです。

タオは道のことだと言いましたが、まさに、共時性は人々が(偶然のように)一緒になる道を作り出します。

ユングによると

二つの人格の出会いは、二つの化学物質が接触するようなものである。

もし、そこに何らかの反応がおこれば、両者は共に変容する。


ただ、あなたの親などが非常に厳しくあなたを批判したり、評価してきたなら、あなたは人に対する不信感が強く、とてもじゃないけど人など愛せないと思うでしょう。

タオ心理学にも、同じような生育歴を持つ人が、どうやってこのトラウマを乗り超えたかの記述をご紹介します。

これは、著者のジーン・シノダ・ボーレンが、女性が苦手な男性をカウンセリングした時の様子です。


彼の抑うつ感と「自分は無価値だ」という感情は、内面の否定的態度と関係がありました。

彼のたましいの中には、強い力を持った「メス」が巣食っていて、彼をバカにし、彼がなんと無価値な存在であるか、何とつまらないか、何とばかなことばかりしているかということを、きつく厭味たっぷりに語りかけていたのです。

 

ここで、ジーン・シノダ・ボーレンは、このような想像をしました。

ある風刺画を思い出したのです。その絵は、顔を隠した人物からこのような言葉を投げつけられて、すくんでいる男を描いたものでした。

やがてこの男は立ち上がって抵抗し、とうとう相手をやっつけます。すると相手は覆面を脱いでこう言うのです。

「お前ときたら、自分の母親に向かって何てことを言うのだね?」

……つまり、その恐怖の対象は母親であったと言うことに気づきます。


この人は、肯定できる女性像と内的な関係を結ぶことを、必要としていたのです。

この「誰か」は、彼が人から受け入れられず、落ち込んで気分でいるときに、その機会をとらえて彼をやっつけたり、侮ったりするような態度はとらず、逆に彼を勇気づけ、支えてくれることができるのです。

自分自身を育てていくそう言う努力が、彼の内面生活で身につくまで、経験する必要があったのです。


この経験こそが、自分の「元型」であり、またそれに気づかないと、(母親への)不信感を持ったまま女性に出会い、さらに女性に対する不信感を強くさせるような経験を積み重ねていくことになります。

トラウマ退治法



このように、トラウマの経験が自分の道を閉ざしてしまいそうになった時、どうしたら良いでしょうか?

これは、人にもよりますが、このような方法でトラウマを退治すると効果がある人がいます。

それは、さきほどの男性のように、母親が自分に「無価値だ」と言うようなことを言い出したとします。

これは、実際に母親がいなくても同じです。

その時に、これはイメージの世界ですが、自分を今の10倍くらいの怪人だと思ってください。

すると、この意地悪ばあさんは、どんな感じでしょうか?

怪人からするととっても小さいので、下で何を言っているかも聞こえないし、あなたをペンペンたたいたとしても、痛くないはずです。

そうしたら、その小さな意地悪ばあさんをつまんで、道の横に置いてあなたは、その先を進むようにしてください。


聖なる干渉


さっきも言ったように、単なる幻想とか空想、都合の良い解釈などをせずに「このように臨む」とかなり本気で人生に関わっていくと、自分が決めた選択とか決心に対して自然と、誠実さと希望を持てるようになります。

また、今までただ受け身で消極的で「叱られない」ための努力をしてきたような人は、違う努力……つまり、勇気を出して人と関わってみたり、傷つくと言う可能性があったとしても、近づいて理解しよう、共感しようと言う気持ちがあれば、思いもよらない解決法が自然と浮かんできたり、偶然な出会いなどを、キャッチできるようになると言うことです。

この時も、あなたの価値を認めようとしない存在は、さっとかわしたり、巨人化してアリを見るように眺めるなどをして、対応してください。


どの道を選ぶべきか?



では、人生の旅の途中で道に迷った時、どの道を選べば良いでしょうか?

作家のカルロス・カスタネダは、師匠のヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンから、このような質問を受けました。

「この道は、こころを持っているか?」

と言うことです。

つまり、人生の選択は合理的思考によって導かれるものではなく、直感(動物のカンのような)を使うことだと言うことです。

つまり、本気で自分が決めたことなのか?と言うことではないでしょうか。

「あの人にこう言われたから」と言う道は、こころを持ってないと言うことです。

これは、恋愛も仕事も同じです。

また、この道を選ぶ時に、

恐れや野心(欲望)から道を選ばないこと

とも述べています。

これは、私たちがよくやってしまう過ちだと感じました。

恐れを持って道を決めようとすると、安全のための選択しかしなくなります。

つまり、「過ちを犯す」という危険を避けることで、批判を受けないことだけが、人生の目的になってしまいます。

また、野心(欲望)から道を選ぶと、常に他人との関係に興味を持ってしまうことになります。

例えば、仕事もろくにしないで、常に派閥争いをするような人がいると思います。

このような人は、野心に取り憑かれて、人に勝つとか負けるなどばかりを考え、周りの人を伺ってばかりいるので、仕事が手につかないのです。

つまり、恐れや野心(欲望)を持っているときは、こころは役に立っていないのです。

その結果、自らの人生を呪うような道に、自然と導かれるようになります。


道を間違えたら?


ただ、そうは言っても周囲の人は、以前と同じなので、常にあなたをもとに戻そうとします。

その場合は、以前にやった「タオ」を歩むための手順を思い出して、再度同じことを繰り返していくことです。

できたら、定期的に瞑想などをして「不動の時間」つまり自分の原点に戻るような習慣をつけて、周りからの悪影響を受けないようにします。



最後に、ロロメイの言葉をお伝えして終わりにしたいと思います。

選択と献身によって、私たちが自分自身を創造していく潜在的可能性を備えている。

選択によって、またはそれらの選択に対して献身することによって、はじめてまったき人間(完成された人間)になるのである。

人びとは、日々にくりかえす多くの決断によって、価値と尊厳とを獲得するのである。

献身とは、さっきも言ったように「本気で接する」ことではないかと思いました。

これは、相手に対しても……自分に対しても……仕事も……何気ない行為もです。

恐れや野心などに気を取られて、邪道を選ぶのではなく、本来の道を選ぶために本気になること また選んだことにはこころを込めて取り組むことが、生きる道を選ぶ上で、一番重要であると思いました。

2021年4月28日水曜日

言葉を変えると人生が変わるという魔法



あなたは、「私には価値がない」などと独り言を言うことはありますか?

じ、実はそれは非常に危険な行為なのです。

逆に言うと、「私には価値がある」と言葉を変えるだけで、人生が変わっていくかもしれません。

今日は、そのところを詳しくお伝えしたいと思います。



所得格差の原因は?


私には縁のない話ですが、コロナショックの中で、数千万単位の海外の高級車の予約がなかなか取れないそうです。

逆に言うと、コロナショックで生活が大きく変化したり、雇用先が潰れてしまったりする人もいると思います。

同じような状況下にも関わらず、なぜ私たちは所得がこんなにも違うのでしょうか?

考えてみたらおかしな話です。

これは、どこの国でも問題化しているそうで、アメリカではこの問題について調べるために、ホワイトハウスから、ある調査機関に、所得格差の原因を調べてもらったそうです。

その原因って何だと思いますか?


調査機関によれば、「子供の頃の親の養育態度に違いがあった」と言うことです。

低所得者の人の多くは、親などから感情的に叱られて育った人が多いそうです。

このようなことの積み重ねによって、親の気分や要望に従い、またそれを先取りしようと、常に親のご機嫌を伺うような性格傾向になります。

こうなると、自分で何かを決めることが難しくなります。

また、高所得者の多くは、親などから理性的・共感的に育てられた傾向が強いそうです。

例えば、ゲームが欲しいと言った時に、感情的に「だめだ!」と言われ続けてきた場合と、冷静に「なぜ、そのゲームが欲しいの?」などと理解しようと聞いてくれてきたかの違いです。

共感的に聞いてもらった場合は、自分の思いを大切にできるようになります。

例えば、ゲームが欲しいと言う自分の欲求などを信じられるようになり、そのあとも何かを決める時に「自分の基準」で決めることができるようになります。


また、このような高所得者の特徴として、「どのようなことに関心があるか?」と言う質問に対して、このような違いが出てきたそうです。


これは、2015年の日本経済新聞のアンケートですが……

低所得者は、年金と消費税が主な関心事。

中所得者は、年金と消費税、それに加えて、安保法案、大企業の不祥事、政府の不祥事などです。

それに対して、高所得者は、大きく雰囲気が違います。

1位が健康づくりで、2位が旅行、3位が孫と遊ぶこと、でした。

このアンケートでは、目的は違うかもしれませんが、面白いことがわかります。

それは、中所得者は「誰かとか何かの不祥事」について大きな関心があると言うことです。

当然ですが、中所得者が人口の大半を占めていると考えると、これは興味のあることです。

つまり、マスコミとかテレビなどがなぜあれほど不祥事を取り上げるのか、それはターゲットが中所得者だからだと思います。

つまり、悪いことをした人や常識に従わない人を、ボコボコにしてスッキリすると言う特徴があるのです。

これは、相当ストレスが溜まっているように思います。

それに対して高所得者は、自分の正しさを理解してもらおうと言う気がないので、他者のことも判断しようとせずに、自分のことを主に考えていることがわかります。


私たちが印籠のように扱う「常識」は、実は大多数の中所得者の大好物であり、それに従う限りは、最高でも中所得者ということになります。

でも、私たちはこれが世の中の全てだと勘違いして、それに従わないといけないような気分になっているのです。


言葉の大切さ

あなたは「自分には価値がない」などと言っている原因が、少しわかってきたと思います。

このような言葉を選択することで、私たちは自然に「自分は価値がない」という結果に向かって進んでいるのです。

ところで、中世のヨーロッパでは「魔女狩り」が行われていたそうです。

これは、魔法使いを野に放つと、世の中の秩序が壊れて、乗っ取られてしまうという危機感を感じて、このような人を捕まえて処罰したという話です。

恐ろしい話ですが、これこそが先ほど言ったような、常識を軸にして生きる人が、それ以外の生き方を認めず、罪人として処罰したという、恐ろしい過去ではないでしょうか。

このような動きに対して、フロイトはこの魔女狩りの魔女は、一体何者なんだ?と興味を持ちました。

その結果、このような言葉を残したそうです。

言葉と魔法は全く同一のものである

ということです。

つまり、魔法使いとは「言葉の使い方を知っている人」ということになります。

「思考は現実化する」という有名な言葉がありますが、言葉を操ることができる人は、状況などを変える力があるということだと思います。

反対に、「私には価値がない」というようなネガティブな言葉も、魔法になって叶えてしまうのです。


では、「私には価値がない」という言葉を、どうやって現実化していくのでしょうか?


①価値がないという信念を作る

「私には価値がないから、結果を出してはいけない。そのためには何もしないほうが無難だ」と思うようになります。

②価値がつかない努力をする

「結果を出さないためには、無駄な知識を取り入れて、頑張っているフリでもしてやり過ごそう」と思うようになります。

③価値がないという発信をする

「どうやっても私はダメなんだ」というような、価値がない発信をするようになります。

④価値がないことを立証する環境に入る

「ダメな人間だからろくな会社には入れない」「ダメな女だからろくな男には巡り会えない」と好きでもない仕事に就こうとしたり、ダメな異性と付き合ったりするようになります。


いかがでしょうか。

逆に言えば、ポジティブな信念などを作ると、その言葉によって、良い結果や環境などにたどり着くことが、できるということになります。


価値がある人間だと思える思考パターン


最初に「親の養育態度」という話をしましたが、このような幼少期から始まった思考パターンを続けていると、どうしてもうまくいかないケースが、出てくると思います。

でも、自分でも当たり前すぎて気がつかないことが多いです。

これからいくつか質問をするので、どっちか確認してみてください。



①あなたの行動のきっかけは「どっち?」

例えば、仕事を選ぶときに「貧乏になりたくない」とか「人間関係でもめたくない」というような、否定的な理由がきっかけになりますか?

それとも、「お金が欲しい」とか「仲間が欲しい」などの、肯定的な理由がきっかけになりますか?

前者は「問題回避型」と言って、問題を避けるというきっかけから行動が始まります。

後者は、「目的志向型」と言って、「結果を手に入れる」とか「目標を現実化する」というきっかけから行動が始まります。

②あなたの喜びの基準は「どっち?」

あなたが心の底から「嬉しい」と感じるのは、他者から褒められたときでしょうか?

または、自分の中での「よくやったぞ」というような確信からくるものでしょうか?

前者は「他者基準」と言って、自分のやっていることがうまくいっているかどうかを、他者からの評価できめます。

後者は、「自分基準」と言って、自分のやっていることがうまくいっているかどうかを、自分の判断できめます。

逆にうまくいかない場合も、「何か意味があってうまくいかないのだ 」と考えます。

 


③あなたの行動の基準は「どっち?」

あなたが入った会社とか、人生の大切なことを決めるとき、誰が決めたのでしょうか?

あなたの中で「やるべきだ」とか「やらなきゃ」という言葉が浮かんできますか?

それとも「やろう」「やりたい」という言葉が浮かんできますか?


前者は「義務型」と言って、誰かとか常識などに従って、やることを決めます。これは脳にコルチゾールという物質が分泌されて「苦悩」になります。

後者は、「欲求型」と言って、自分のやりたいことを基準にして行動を選択します。これは脳にドーパミンとセロトニンという物質が分泌されて元気になってきます。うつ病の人の薬はこのドーパミンとセロトニンです。

 


④あなたのやりたいことの条件は「どっち?」

あなたがやりたいことを始めるのは、どっちの場合でしょうか?

あなたの中で「条件が揃ったら行動しよう」と思いますか?

それとも「条件が揃えるところから行動しよう」と思いますか?

前者は「結果期待型」と言って、条件が揃わないと行動できない状態、つまり待ちの状態が多く、環境によってできるかできないかが分かれます。

後者は、「結果行動型」と言って、条件を揃えていくところから行動するので、すぐに行動することができます。

 


⑤あなたの生きる目的は「どっち?」

「死なないことが目的」か「本当の自分として生きることが目的」かです。


前者は「生存欲求」と言って、生き残るための手段とか、安全の確保、死を避けるための行為と言った、サバイバルのような行動をすることです。

後者は、「目的欲求」と言って、死なないための行動……回避欲求ではなく、目的に向けて生きるというものです。


いかがでしょうか。


まとめ


私は、一般の常識人よりも悩んでいる人の方が資質が高いと思ってます。

でも、最初に「育ち」の問題を挙げましたが、他者基準などが身についているので、他者の意見を鵜呑みにしてしまいます。

他者といえば、さっきも言ったように「不祥事好き」の悪い人や浮いている人を、ボコボコにしたいという欲求のある人ですから、その指摘や言葉を鵜呑みにするのは、実は危険なのです。

このような危険な行為も「常識」という言葉でコーティングすれば説得力が生まれるから怖いのです。

また、その印籠のような「常識」も、実は一定の層だけが信仰しているものであり、それは守らなければならないものではなかったのです。

先日「暗黙のルール」という記事を書きましたが、まさに暗黙のルールは、その人が目指す生き方とかモデルにした人たちによって違いが出てくるのだと思います。



育ちや遺伝は、その人の重要な要素ではあります。

でも、今回お伝えしたような言葉による魔法によって、中身は同じでもその容器を作り直すことができると言われます。


同じ飲み物(育ちや遺伝)を入れるにしても、容器を変えることで「私はこういう人間だ」という入れ物を作ることができるということです。

あなたは、この容器を親譲りのままで、この後も生きますか?

それとも、言葉の魔法で作り直してみますか?

以上で、言葉を変えると人生が変わるという魔法、を終わります。

ありがとうございました。

2021年4月27日火曜日

人間が生きるための「暗黙のルール」





あなたは、よりよく生きるための自分のルールがありますか?


もし、あなたが「生きにくい」「人間関係がうまくいかない」などの悩みがあるなら


今日のルールを追加してみることを検討してみてください。


今日は、岡田尊司先生の書籍から、ポイントだけをお伝えしますが、とても良い本で久しぶりに感動して泣いたほどなので、よかったら読んでみてください。


では、早速生きましょう。




生きるための暗黙のルール その1


人は関心を共有する者を仲間だと認める


もし、あなたが誰かとなかよくなろうとしているのに、相手が乗り気でなかったり冷たくされた場合などは、このことを思い出してください。


「自分のことばかり、わかってもらおうとしてなかったか?」


「実は、相手のことなど何の関心もなかったのではないか?」などです。


試しに、今 苦手だと思っている人を思い浮かべてみてください。



その人が、今 何に関心を持っているかわかりますか?


きっと、あまり知らないと思います。


このような「相手が何に関心を持っているか」という視点は、実はとても大事なことなのです。


ただ、その問題をあなたが解決してあげるとかそういうことではなく、相手が関心を持つことに関心を持つことから関係は始まるということを、知っておくことです。

これこそが暗黙のルールなのです。

逆にいうと、これ以上なかよくしたくない人には、関心を持たなくて良いのです。


自己愛が枯渇してしまうと、それを求める気持ちがつよくなりすぎて、自分の自己愛を充たすことばかりに夢中になります。


でも、相手も実は自己愛があって、それを「満たしたい」と思っているということです。


では、次にいきましょう。


生きるための暗黙のルール その2

 

見捨てられたものほど、認められたがっている


あなたは、「見捨てられた」という思いがありますか?


そうならば理解できると思います。


見捨てられたと思っている人ほど、実は認められたがっています。


これは、欠如しているものを満たそうとする欲求です。

欠如欲求は非常に強くなりがちで、自分でコントロールするのが難しくなります。


また、このような場合、二つのタイプに別れると思います。


一つは、「見捨てられた経験を忘れるほどに愛されたい」と願い、誰かに求めるタイプです。

また、もう一つのタイプは、「自分は愛などいらない」と辞退するタイプです。


ぜひ、どちらのタイプも今の自分を認めながら、「本当は認められたがっている」という部分を肯定的に受け止めてください。


そうしないと、認められたい気持ちがそこでブレーキをかけてしまうので一向に前に進まないのです。

辞退するタイプも、実はいらないと言いつつそこに縛られているのです。

でも、ただ「欲しい、欲しい、認めて欲しい」ではなく、先ほどの1番のルールで言ったように、相手にも「関心を持って欲しい」という気持ちがあることを、そこで思い出してください。

また、このような見捨てられた人が認められた時、そこには大きな力が生まれます。


「拾ってもらった」という感謝の気持ちであったり、今まで使うことなく温存していたパワーが発揮されるのです。


このように暗黙のルールでは、人から忘れ去られたようなことや人などは、実は大きな価値が眠っていると解釈するのです。


つまり、困った人を見捨てずに助けるのは、暗黙のルールなのです。


それを受け取るのも暗黙のルールなのです。


今まで、人からの恩をことわるだけだった人は、ぜひ考え直してみてください。


では、次にいきましょう。

生きるための暗黙のルール その3

 

自分が求めているものをはっきりさせないと、求めているものは手に入らない


あなたは、自分が求めているものを、「欲しい〜」と大きな声で言えますか?


もし、「好き勝手なことを言うな」と言うような教育を受けてきたなら、難しいかも知れません。


でも、今になって、「あなたは何を考えているのか、さっぱりわからない」


とか、「何が好きなのか何が楽しいのか、はっきりしないやつだ」などと言われているかも知れないですね。


このような、「自分はあとで良いです」とか、「自分のことは、ほうっておいてください」などの対応は、一見、謙虚でやさしい感じがしますが、実は周囲は混乱してしまうのです。


なぜなら、あなたの遠慮によって自分ばかりが満足してしまうのは、このような暗黙のルールに反するからです。


この時点で、あなたから離れる人もいるでしょう。


相手は、「この人は暗黙のルールをしらない人だ」と思ったかも知れません。


このように、欲しいもの 欲しくないものを はっきりさせることで、自分も周囲も幸せにします。


例えば、ずっと片思いをされている人に対して、早いうちにことわっておけばもっと早く相手が幸せになった、と言うようなことです。


遠慮をすることなど、この世の中にはほとんどないのです。


では、次にいきましょう。


生きるための暗黙のルール その4

 


間違った相手と交渉してはいけない


よく昔話などで、旅の途中で泊めてもらうときに、優しいおじいさんとケチなおじいさんなどが出てきます。


このような時に、自分で優しいおじいさんを見極めることができるかどうかが重要です。


「家が立派だから……」などと言うだけの理由で交渉する相手を選ぶと、ケチなおじいさんに当たってしまうかも知れません。


では、次にいきましょう。



生きるための暗黙のルール その5

 

相手の安全を脅かすものは、激しい攻撃を受ける


あなたは、会社の人とか身近な人などに、突然激しい攻撃を受けてうろたえたことはないでしょうか。


これも、暗黙のルールを使うと理由がわかるかも知れません。


さっきも言ったように、人間はほとんどの人が自己愛に傷があります。


だから、「これ以上、傷つけられたくない」と思っていきてます。


本当なら、何かを決めたり相手を決める時に、「どれだけ優秀なのか」などを基準にしたら良いけど、人間はそれほど完璧な生き物ではないので、「自分を傷つけない人」を優先して選びます。

これこそが、暗黙のルールなのです。

これが間違っていると、あなたがいくら正論を叫んだところで、その声は虚しく響くだけで、相手の安全を脅かすと判断されたら、ルール上そこにはいられなくなるのです。


もし、それが納得いかなければ、同じような価値観の仲間を新たに探すしかないのです。


相手の縄張りの中では、相手を最大限尊重しなければならない。


これを犯した場合、激しい攻撃に合うことは覚悟しておく必要があります。


では、次にいきましょう。


生きるための暗黙のルール その6


逃げ道を用意しておかなければならない


誰かとなかよくなりそうな時、または、恋愛などでうまくいきかけた時など、ついつい焦ってしまいます。


でも、少しでも抵抗を感じた時は強引に進まずに、一度立ち止まることです。


これは、喧嘩をする時も同じです。

逃げられないほど追い詰めてしまう人は、暗黙のルールを知らない人です。

どんな場合にも、お互いが傷つかないことを優先して行動します。


つまり、どうしても手に入れるものではなく、ダメなら次に行くくらいの気持ちで常にいることです。


では、次にいきましょう。

生きるための暗黙のルール その7

 

自分を肯定されたければ、相手も肯定しなければならない


これは、暗黙のルールの5番で言ったこととほぼ同じです。


私たちが、これから生きるために必要なことは、うまく生きると言うような小手先のテクニックではなく、自分にとって大切なものや人を見つけることです。


今まで得られなかった安心感、自分はここに居て良いと言う資格、ダメな自分を認め、不完全な相手のことも認められる関係。


それは、どれだけ美しいとか、お金があるなどではないのです。


では、最後になります。

生きるための暗黙のルール その8

 

真っ白な気持ちで向かい合えば、相手の気持ちも真っ白になる


私たちは、過去の経験から、この先のことを予測します。


つまり、過去に傷ついた経験などがあれば、「きっとこの先も傷つく」と予想します。


そして、少しでも傷つきそうなことを見つけると、「やっぱり」と思ってしまいます。


これは、傷つくことに囚われている状態です。

自分で呪文をかけて、それを当てているのです。

すぐには難しいけどできたら「過去の人間関係とこれからの人間関係は違う」と思ってください。


もしかすると、また、同じように傷つくかも知れませんが、それでも、また次も心を真っ白にして誰かと向き合えば、いつかは過去の傷を忘れるような、出会いなどがあるかも知れません。

いかがでしょうか。



暗黙のルールとは、


1.人は関心を共有する者を、仲間だと認める。

2.見捨てられたものほど、認められたがっている。

3.自分が求めているものをはっきりさせないと、求めているものは手に入らない。

4.間違った相手と交渉してはいけない。

5.相手の安全を脅かすものは、激しい攻撃を受ける。

6.逃げ道を用意しておかなければならない。

7.自分を肯定されたければ、相手も肯定しなければならない。

8.真っ白な気持ちで向かい合えば、相手の気持ちも真っ白になる。


このような暗黙のルールは、昔話などによく出てきます。

つまり、子供が大人になる前に学ぶべきことでした。

しかし、このようなことを教えるどころか、全く逆のことをする親や自分のことしか考えずに、家族を敵のように思っている人もいます。


そんな中で育つと、暗黙のルールなど知らないまま、社会などに飛び立つことになります。


そして、出会う人  出会う人に ルール違反の罰を与えられたり、仲間に入れてもらえないなどという目にあいます。


その理由は、「暗黙のルールを知らなかったから」と思えば、少しは納得がいくと思います。


少なくとも、自己愛の傷というものを理解して、自分も相手も傷つけないことです。



今日からできる小さな習慣


では、今日からできる小さな習慣を二つお伝えします。


1.食事の前に手を合わせること


最初は形式だけでも良いので、目の前に食事があることに無条件に感謝をします。


2.良いところを探す習慣をつける


また、どんな嫌なことにも、必ず一つは良いことがあると思うことです。


どんなに意地悪な人でも「反面教師になる」などの良い点を必死で探してください。


そうすれば、迷惑なことなどを学びのチャンスに変えていくことができます。


これは、ただ我慢するのとまったく違います。


私も少し前から、暗黙のルールをやっていますが、良い行いが増えるというよりか、今までいかに無駄で嫌われるようなことを、努力してきたかがわかるようになりました。


目立つことはしなくても、周囲の反応などは目に見える形で変化するようになります。


以上で、人間が生きるための「暗黙のルール」を終わります。


ありがとうございました。


2021年4月21日水曜日

幸福を恐怖に感じて拒否してしまう理由

 




あなたは、自分が本当にしたいと思っていることなのに、なぜか失敗したりするような行動をしてしまい、あとで反省するというような繰り返しをしてないでしょうか。

もしかすると、うつ症状とか強迫行動なども、原因はこれかもしれません。

本来は、「私はうつだからこのような症状が出る」と考えます。

でも、実はタイトルのような「幸福」とか「成長」を邪魔するために、奇妙な行動として、うつ症状とか強迫行動などが出現していると、逆に考えると妙に納得できませんか?

このように、実はこっそりとあなたを幸せにしないように働いている、謎の正体について考えたいと思います。


人間の謎



私たちにはおかしな特徴がいつくもあります。

先ほども言ったように、なぜか失敗してしまうとか、大切な時に限って……というのは、きっと無意識からの指令だと思います。

無意識とは、自分でも意識されてない領域ですが、ここには自分の本心とかが隠れています。

ただ、本心だけではうまく生きていけないと思って、意識では人に合わせたりして生きてます。

ただ、このギャップが大きくなると、人間は生きづらくなります。

当然ですよね。同じ人間なのに、思っていることとやっていることが、全く違うのですから。

それでは、本心に従いさえすれば良いのかというと、それもそんなに単純ではなくて、本心にもいろんな勘違いが含まれています。

例えば、長い期間繰り返されたことによって、その人の本心が書き換えられるような感じです。

後天的に学んだ生き方というような感じです。

これが、司令塔となって意識さえもを動かすということが起きます。

これが、自分でも意識してない失敗とか、幸せを避けるような行為です。


つまり、幸福を否定するプロセスとしては……

①「幸せ」と感じそうになる

②幸せを意識に上げないように、強い力が働く

③不調とか発作などが起きる


この3番が、私たちの悩んでいる症状だとすると、そこばかりに光を当てても、症状は良くならないとも考えられます。

例えば、手洗いとか家を出るときのチェックが強迫的な人は、結構いると思います。

多くの人は、「その症状をやわらげるには?」と考えますが、その理由がこのような「幸せ」や「成長」を拒否するものであれば、いくら強迫行為を止めようとしても中身は何も変わってないから、また症状は出るはずなのです。


つまり、人によって違いますが、このような流れだと思います。


①「幸福な事柄が起きる」と無意識下で認識する

      🔽 幸せへの否定具合によって

受け入れるのか、拒絶するのかを決める

  🔽                                    🔽

③喜ぶ          症状とか異常行動に出る

                            🔽

「私は幸せだ」と認識する 「私は不幸だ」と認識する(でも実は自分がコントロールしている)


このような心の動きになっていると、考えられます。


無意識の拒否をやめるには




では、幸せを避ける思考とか行動を止めるには、どうしたら良いでしょうか?

できたら、先ほどの幸せを認識しそうになったところで、逃げたい気持ちをなんとかなだめて「受け取る」勇気を持つことです。

もちろん受け取るからには、そのあとに、今までとは違う「周囲からの嫉妬」とか「支配者からの支配」などによって、面倒なことも起きると思います。

この嫉妬や支配に対する恐怖こそが、人を病気にまでさせるほどの力があったのではないでしょうか。

つまり、嫉妬や支配に立ち向かうよりも、病気や異常行動によって、不幸を選んできたのです。

動画で言ったように、反省とはこのように自分を責めることではありません。

ただ、ただ、今までの自分を振り返ることです。

「あー私はこれほどまでに、嫉妬が怖かったんだ」

「支配者にどう言われるか、どんな邪魔をされるかを考えると、何もしない方が良いと思っていたな」

などなど……

今までの反省は、支配者に従わなかったことによる、罰でした。

それは支配者の都合であり、あなたには何のメリットもなかったはずです。

でも、本当の反省は「自分が自分らしく生きてるか」を内省することです。

それには「自分はこうしたい」「こう生きたい」という気持ちを大切にすることなのです。

支配者の中には、自分の寂しさを満たす存在として、人を利用することもあります。

そのためには、自分の元から離れる可能性のある 対象者との関わりを、「全て絶ってしまえ!」とまで思う人もいます。

子供が付き合っている人を、全て「ダメだ」と却下する親などは、当てはまります。

これも、実は親自身も幸福を拒否する思考や行為をしているのです。

だって、こんな理不尽な扱いを真に受ける人は、そうそういないからです。

大抵は、愛想をつかして、奇妙な行動に出る親よりも 恋人の元に行くでしょう。

それは、自分を大切にすると言うことです。

それでもうまくいっていたのは、その人の言うことを聞く存在があったからではないでしょうか。

ここに、不均衡が生まれます。

自分がしている不幸になるための思考や行動が、相手を成長させない(変化させない)という成功をもたらした……ということです。

その成功体験に、酔いしれて 夢中になっているのかもしれません。

どっちにしても、これはいつかは崩れるグラグラの土台なのです。


まとめ



このように、生き方を変えることで、周囲や支配者からの反対、拒否はあると思います。

結局一般的な人は、どんな立場になったとしても、自分が誰よりも一番大事で、自分よりも幸せそうな人がいると「許せない」と感じるのかもしれません。

もしかすると、今まではそれを先回りして、自分が真っ先に幸せを拒否して、攻撃されないように防衛していたのかもしれません。


その思考や行動が、果たして自分を成長させたのか、または、それが自分にとっての本当の喜びなのかを考えると すぐに「違う」と言う答えが出るような気がします。


結局、自分の課題は誰かにやってもらうことはできないように、他者の課題もその人がやるしかないのです。

それは、死ぬ直前であってもです。

もし、それが無理なら来世に持ち越すしかないはずです。


ぜひ、幸せを選ぶならば、その選択による痛みを むしろ積極的に受け入れてください。

2021年4月19日月曜日

シンクロニシティ 〜なぜ、導かれる人と努力しても何も起きない人がいるのか?〜


 

今回は、固体物理学と量子論の基礎の研究を行ってきた作家であるF・D・ピートという方が書いた「シンクロニシティ」から、なぜ人は変わりたいと思っているのに変わることができないで、苦しむのかについての答えを求めていきたいと思います。

私は、この書籍を読んで、まさに「シンクロニシティを受け止めることができるかどうか」にかかっていると思いました。

でも、今回お伝えする内容は、決してスピリチュアルなものではなく、いろんな方法でシンクロニシティについて、研究された結果だと思います。

それを、私なりに要約していきたいと思います。

もちろん、専門書などを読める方は、ぜひ書籍(シンクロニシティ ピート)を読んでみてください。



シンクロニシティとは?

この言葉は、よく使うかな?まぁ、占いとかする人などは、好きなのではないでしょうか。

偶然の一致とか、全く違う場所とか、違う年代で起きたことに共通点を見つけるようなものです。

それが、あっているのかどうかは別として、「そこに意味を見出す」ことは、私たちが生きる上で非常に重要だと思います。

ユングはカウンセリングの時に、よくこのシンクロを取り上げていたそうです。

クライエントが語る中に出てくる「ちょっと異質なこと」について取り上げて、そのことと心の関連を考えていくのです。

でも、昔から人間の多くは「原因があって結果がある」という因果律を好みます。

だから、シンクロのような「偶然の一致」は眉唾なのです。

今の時代でも、「シンクロはスピリチュアルだ」と片付ける人は多いと思います。

ただ反対に盲信するのは、現実から逃避する目的になるので意味が違ってきます。


でも、このようなユングのシンクロ論に共感したのが、物理学者のパウリでした。

パウリは自らが病んでしまってカウンセリングを受けることになって、このシンクロを実際に味わうことになりました。


ちなみに余談ですが、ある日 彼が入院した部屋が「137」で、彼は「ここで死ぬ」と直感したそうです。なぜなら「137」というナンバーは彼にとって非常に重要なものだったからです。そして、実際にそこで亡くなったそうです。


このようにユングにパウリの物理学が合わさることで、非常に説得力が出てきます。

例えば、因果律でいうと、「りんごはそれを望もうが望むまいが、木から落ちる」という考えかたです。

それに対して、シンクロは、

こころの内的プロセスを映す鏡としてふるまい、内的な変化の外的な発現をする

と説明します。

つまり、いろんな現象として起きることや、偶然街で見かけた看板に、自分の思いが反映されていたように、自分でも自覚することが難しい内的な変化を、外的な出来事によって、自覚することができるようになるということです。

これができたら、あまり自分に敏感でない人も、外部で起きることなどを観察することで、自分の内的な変化とか、「どうなりたいか」などを知ることができるようになるということです。

ピートはこのようにも述べています。

シンクロは、しばしば変換の時期に結びついている。

例えば、誕生や死、恋愛や心理療法や集中した創造的な仕事や、転職に至るまで、まるでそういった内的な構造の作り変えが外的な共鳴を生み出すか、あるいは心的エネルギーの爆発が、外の物理的世界へと伝えられていくかのように


つまり、これは決して神秘的なものではなく、まさに就職とか恋愛相手の選別にも、シンクロは有効であるということなのです。

これがないと、自分の判断に頼ることになりますが、その思考や感情の多くは、親などから受け継いだものであり、それに従うことは今までの先祖から受け継いだ固定的な思考(ルールや世間体)を、使っていく……ということになります。



シンクロができるには?


そうはいっても、シンクロはある日突然 生まれるものではないと思います。

先ほど、内的な変化が外的なものを通じて、教えてくれるという話をしましたが、どんな状況で、私たちの内的な変化は起きるのでしょうか。

私はよく「ピンチこそチャンス」と言いますが、まさにこれです。

それは、平凡で幸せな時には、内的な変化はなかなか起きにくいということでもあります。

別に幸せなのだから、現状を変えない努力はしても、変える努力はなおさらしないということです。

これも、普段から言ってますが、トラウマ持ちなどが強いのは、このピンチの状態を常に作っているからです。

ただ、平凡で幸せな時代には、トラウマ持ちのような緊張感を持ちながらいきている人は、なんか浮いて見えると思います。

でも、ある危機的な状況など(災害とかパンデミックなど)になると、この強さを発揮することになります。2020年はまさにそれを実感した年でした。


では、私たちはどうやってこの混沌から覚醒へと変化していくのでしょうか?


ベナールの不安定性



動画では、鍋の水が沸騰するまでの状態を、例に出しました。

鍋の水が沸騰した状態を、覚醒した状態だとします。

それに対して、水が温まっていく状態(循環している状態)を、混沌、もしくは悩んでいる状態としました。

このような物理的な変化が起きて、物質が水から気体に変化していくような変換を起こすことこそ、「人間が変わる」という一大事業なのです。

これを、ピートは非秩序から秩序の状態になる。と説明してます。

この秩序というのは、今まで親とか先祖などから受け継いだ「秩序」とは全く違います。

既成の秩序を終わらせ 👉 ゼロになり混沌とし 👉 新しい秩序が生まれる(爆発的に)

こんな感じです。

このような経験を何ども積み重ねることで、そっちこそが本物だと確信するようになります。

そして、周囲からのガヤもあまり気にならなくなってきます。

また、環境を変えたほうが良いと思う人もいるでしょう。

このようにして、私たちの価値観は変化して、広がったり捨てたりしながら、自分オリジナルのものになっていくのです。





創造性について


私たちは、よく創造力などという言葉を使いますが、どういう意味なのでしょうか?

ウィキペディアには、面白い説明がありました。


創造(そうぞう)とは、新しいものを産み出すこと。創作や発明、あるいは新しい考え方など、オリジナリティの強いものに対し使うことが多い。 創造力を育むには「退屈な時間」が重要と指摘されている。


ほぅ……まさに退屈な時間は重要だと思います。

なんか、いろんなことがわかった上であえてサラッとこのようなことを、言っている感じがします。

私たちは、何かを作ることが「創造」だと思っていますが、これはともすると「何かを制作さえすれば創造性がアップする」というような誤解を招いてしまいます。

そうなると、私たちは身近な情報とか、どこかで拾ってきた知識などを使って、何かを作り出そうとします。

これって、前にも書きましたが、既存の価値観の中なんです。

料理などでも、何かを見ながら作るのは既存の価値観の中のことです。

でも、本当の想像力というのは、まさに退屈な時間……ピートは不動の時間という言葉を使ってますが、既存の価値観などを捨て去った後に、ゼロから作り出す(見つける) 自分の内側から出てくる力(価値観、信念、思考、感情など)のことを言います。

そのためには、いったん既存の価値観に疑問を持ち、捨てるというプロセスが必要になります。

これを「自己の死」とピートは言ってますが、それによって初めて「今まで機械的に使われてきた慣習やルールなどからくる自分の考えを捨てる」ということになります。

捨てることによって、真の自己、真の秩序というのが生まれます。

もちろん、既存のものを再度取り入れることもあるでしょう。

新たに取り入れることも、多いはずです。

そして、それをどんどん広げていくのです。

それが創造性ということになります。

でも、多くの人はまったくそんなことに気がつかないか、気がついたとしても、無意味だと思うのではないでしょうか?

また、周囲の反対などによって、従来の価値観に収まる努力を始めたりするようになります。

これが、元の木阿弥ですね。

でも、このような周囲の働きを「更生させた」とか「あの時、止めてなかったら大変なことになっていた」などとよく語られます。

でも実は、その行為こそが「既存の死を止める」または「自己殺し」……ではないでしょうか。

ただ、動画でも言いましたが、このような鍛造用金型のようなルールとか価値観、文化などは、すでにかなり昔に作られたものであり、まともな人であれば、もうそれは時代に合ってないことがわかります。

これは、公立の学校に行くと50年前くらいに戻ったように感じるのは、今言ったことと同じ理由です。

それ自体に無理があり、亀裂や異物が入り込んでいるのです。

そして、今か今かと鍛造用金型が、その役割を終えて崩壊して朽ち果てていくのが、わかっているのに、それを使い続けようと必死で守っている力が、いまだに強いように感じます。

でも、このようなグラグラしながらも均衡を保っていたものが、ガラガラと崩れるのは、以外にもまったく関係のないところから、亀裂が入るようにも思えます。


このことを説明するために、自己触媒的(オートカタリティック)を説明します。



自己触媒的(オートカタリティック)


自己触媒的とは、一連の奇妙な化学反応のことです。

これは、工場などのラインなどを想像したら良いと思います。

流れてくる作業物が、作業員の手によって順番に処理されている限り、乱れることなくその流れは続きます。

でも、ある人が異常に不器用だったりして、その流れが止まると一気に今まで当たり前のように流れていたラインが、ストップしてしまいます。

これは、街の成り立ちでもそうです。

私たちは当たり前のように、ゴミを出しますが、それをきっちりと回収してもらうからこそ、綺麗な街で暮らせます。

でも、例えばストライキなどによって、ゴミの回収が滞ると、一気にゴミの山になって、町中がゴミくさくなってしまいます。

それがさらにエスカレートすると、いろんなサービスが止まり、都市は死にはじめて、最後には立派なビルなども崩れていく……ということになってしまうのです。

つまり、人が変わるという話から、だいぶそれましたが、私たちが「変われない」「人生を変えられない」などと悩んでも、なかなか動けないのは、ある種の均衡状態が保たれているからとも言えるのです。

でも、それが止まってしまったとき、新しいパターンとか生き方とかが、見える形で出現してくるということです。

これこそが「ピンチはチャンス」の意味です。


まとめ


あなたは、周囲からどんな評価を受けているでしょうか?

また、その周囲の人は、どんな生き方をしているのでしょうか?

既存の生き方を継続するタイプ、または、自分の生き方を模索するタイプ、などです。

今まで、前者の生き方は、非常に説得力がありました。

大企業に勤めていれば……子供さえできれば……などです。

でも、その基本的な価値観が 何かによって崩れ去るとき、私たちは何を考え、どう生きていくのか、をゼロから考えていかないといけなくなります。

その中には、狼狽して動けなくなる人もいっぱい出てくるように思います。

昨年から起こりつつあることは、今までの「当たり前」を大きく打ち砕くものでしたが、それは「もうおしまい」でなく、これからも続いていくようです。

これは、個人の問題というよりも、社会そして世界の変化から、私たちの価値観も変えていかないといけなくなりそうです。

政府なども腰抜けのお手上げ状態で、利己主義に走っています。

今の表面的なリーダーシップさえも、利己主義を満たすことがなくなって ついに機能しなくなれば、もう頼るのは自分だけということになると、私は思っています。

ただ、ここまでずっといってきたように、昔からの慣習などを一度壊すことによって、無の時間の後でしか新しい価値観や思考などが生まれないように、既存のシステムが壊れることは、今後のためには 必要不可欠なことであるように感じずにはいられません。

まさにピンチこそチャンスとなり得るのです。

さてはて……

以上で、シンクロについての話を終わります。ありがとうございました。

2021年4月17日土曜日

辛い過去を乗り越えて幸せを得るには?

 


あなたには、辛い過去があるでしょうか?

まぁ、生きていれば辛い過去の一つや二つ……あると思います。

それを、思い出さずにいるかいないかの違いかもしれません。

また、「少し気づくのが遅すぎた」と悔やんでいる人も結構いるように感じます。

今回は、このような辛い過去をどう受け止めて、これからどう対応していけば良いかを考えていきたいと思います。

先日、罪悪感という動画でハイデガー(哲学者)の言葉を引用しました。

人生は有限

このような内容です。

残念ながら、死ぬことをまぬがれた人は今のところおらず、間違いなく誰もが死を迎えます。

そう思うことで、ハイデガーは勇気を出すことをオススメしてます。

確かに死には向かっているけど、日頃はそのことを考えず無限に時間があるように、勘違いをしているかもしれません。

だからこそ「明日でいいか」とか「今年は無理」などと、先延ばしにして、気づいたら「もう遅い」という後悔がないようにしたいですね。




あなたが傷ついた理由とは?



ところで、ちょっと質問をしたいと思います。

あなたの辛い過去についてちょっと回想してください。

どうしてあなたが傷つくことになってしまったのか、理由はわかりますか?

今回は、この「理由」というのがなんども出てきます。

この理由って、実はすごく大切なんです。

私たちに起きること、私たちが傷ついたこと、全て理由があるのです。

これを、あまり考えずにきた、もしくは考えるとつらかったのではないでしょうか?

ぜひ、タイミングを見て、先ほどの質問についてじっくり考えてみてください。

ただし、これは自分を責めるための質問ではありません。

また、誰かを責めるための質問でもありません。

正確に理由を思い出すことが重要なのです。

理由がわかれば、これから先同じような傷つきをしないようにできる可能性が高まります。


自分に起きたこと


例えば、視聴者さんのコメントを参考にさせてもらいます。

就職が決まり家から出ることになったけど、それを両親や兄弟が知り気を悪くして「家族会議」が行われたそうです。

そこで取り囲まれてひどいことを言われて、最後には「私が悪かった」というようなことを言ってしまい後悔している……というような内容でした。


きっと視聴者さんは、直接そう言われたかは別として、「自分が悪い」と言わされたのだと思います。

このようないじめのような場面を、冷静に振り返るのは、非常に難しいです。

でも、このかたのように、「私が悪かった」というようなことを言ってしまい……というように自分を責めるような形で、記憶に残ってしまうと、トラウマになりやすいです。

もしかすると、このかたの家では常に視聴者さんが「悪者」のような扱いを受けてきたのではないかと思います。

そうすることで、かろうじて均衡を保つという機能不全な家族なのかもしれません。

だから、最後の最後までこの方を悪者扱いして、「私が悪かった」とまでいう羽目になった。というのが正確なところではないでしょうか?

その時、どんな気持ちだったでしょうか。

周りは敵だらけ、誰も自分を守ってくれないし、鬼のような顔をしてこちらをみている。

考えただけで恐ろしいですよね。

ぜひ、ここまで思い出して欲しいのです。

そして、そんな自分にどんな声をかけてあげたいですか?

私なら

「よく耐えた自分!」

「そりゃ家出るわ」

「わかる!」

このような気持ちが本音ではないでしょうか。

これが、自分の感情を大事にするということです。

ここで、いつもの自己犠牲的な思考が働くと、「やっぱり失敗した」とか「言わされてしまった」というような後悔がつよく残ってしまいます。


自己犠牲を止めるには?


自己犠牲って、「嫌なことを我慢」している状態です。

多くの場合、良い悪いなどの二極化といったり、二分化と言ったりしますが、このように「どっちか」という思考が強い親などに育てられた人に多いです。


また、その基準が

自分の感情 < 思考(世間体 ルール べき など)


自分の感情よりも、ルールなどを重視するので、当然嫌なこともやることになります。

それこそが、自己犠牲です。

親などの支配者にとって、これが一番楽な支配の方法なので、それに従う人を「可愛い」と思い、従わない人や自分がある人を、「可愛くない」と判断します。

先ほどの視聴者さんは、後者ではないでしょうか。

それでも、最後までこのご家族は、その人の気持ちよりも思考を重んじて、支配を続けたということです。

いや〜本当に大変なことでした。想像しただけで身の毛がよだつような感じがします。


ただ、今の自己犠牲的な考えのままだと、職場などでも同じような人を吸い寄せてしまう危険があります。

だから、これから自己犠牲をやめていく必要があります。

そのためには、先ほどの


自分の感情  思考(世間体 ルール べき など)

ではなく

自分の感情  思考(世間体 ルール べき など)

こうしていく必要があります。


簡単にいいますが、自己犠牲で生き延びてきた人には、至難の技とも言えます。

では、自分の感情を大事にするとは、どういうことでしょうか?


自分の感情を大事にする


あなたは、初対面の人が目の前に現れた時、どんなことを考えますか?

「どこどこに勤めているなになにさんか……」とか「この人なんか苦手……」とか「気が合いそう」などいろいろでしょう。

特に、2つ目と3つ目のような、気があうとか、苦手などの直感は実はすごく大事です。

でも、前者のようなどこに勤めているかなどを重視する人は、いつのまにか直感が鈍くなっている可能性があります。

そうなると、ちょっとだけ苦手だと思っても、それをすぐさま「ダメだ」と否定してうまく適応しようと勤めます。

よく「自分の気持ちがわからない」と悩んでいるかたは、このような思考を繰り返してきたからではないでしょうか。

今、まさに思考と言いましたが、まさに感情ではなく思考を重視する生き方です。

きっと思考を重視したほうが、周り方のウケは良いと思います。

それだけ思考で生きている人が多いのです。

思考を重視する生き方は、一般常識やルール、世間体、その土地の文化、慣習などから、考え方とか行動を決めるという方法です。

ただ、これがあまりにもつよくなってしまうと、感情が置き去りになってしまいます。

すると本当は嫌なのに、周囲の望むような行動が多くなる、つまり、自分の感情をないがしろにしてしまい、結果的に自分を大事にしていないということになってしまいます。

また、最初は「世間体とか嫌だ」と思いながらも仕方なく従っていたことが、それに慣れきってくると、今度はその嫌だった部分に、執着とか依存をしてしまいます。

これが独特の「こだわり」になって、あなた自身が世間体などに反することを毛嫌いしたり、世間体など気にせずに気ままにいきている人が、許せなくなってきたりします。


また、先日「自分を守るための方法」でも言いましたが、このような生き方をしていると、ルール違反者を探すような感じですから、常に他者を見張っているような状態です。



このようないきかたを「他人軸」といって、「あの人はこうしたからダメだ」というように常に他者のことが気になります。

その意味するもっと重要な点は、自分のことがおろそかになってしまうことです。

つまり、自分に起こっていることを、正確に把握ができなくなってきます。

例えば、ルールに従ってはいるけど、実は犯罪者だったというケースなどは、他人軸の思考の人からすると「ルールに従っている人だからOK」ということになります。

でも、自分の気持ちを大事にする人から見たら「なんかあの人変だ……」という気づきがあるかもしれません。

 このように本質を見逃してしまうので、問題が起きやすくなるのも事実なのです。

よく、ニュースなどで、犯罪を起こした人のことを、近所の人が「まさかあの人が……」などと言いますが、これはちゃんとその人となりを見ていなかったから、このような勘違いが起きているのだと思います。

つまり、自分の気持ちを理解して、それを信じられるということは、世間やルールというフィルターを通してしか、人や起こっていることを理解できない人よりも、ずっと安全だということです。

ここまで聞いて、あなたはこのような疑問が湧いてきませんか?

「自分の気持ちはわかったけど、自分の気持ちを大事にしてたら勝手だと言われて、無視されるかも?」などです。

確かに、今まで自己犠牲で生きてきたのですから、そう思うのは仕方ありません。

でも、そのようにあなたを仕向けてきたのは、あなたの支配者だったのです。

もし、今後はこのような人と仲良くしたくないなら、なおさら自分の気持ちを大事にして、ルールなどの信者である支配者から、嫌われた方が良いのです。

もし、上司がそんな人なら?

その場合は仕方がないので、漫画の遠くを見るような目で上司をみてください。

ただ、これだけは覚えておいてください。

「他人はわかってくれない」ということです。

そもそも、他人はわかってくれるという考えを、いますぐに捨てる必要があります。


これは人を避けろとかそういう意味ではありません。

他人が自分のことを100パーセントわかってくれるなど、ありえないのです。

なぜなら、あなたの人生や生活を、100パーセント知っているはずがないからです。

これを願うと、当然ながら願いは叶わないので、苦しみが生まれます。

でも、一人だけあなたの人生や生活を、100パーセント知っている人がいます。

それは、誰でしょうか?

まさしく自分……なのです。

だからこそ、自分だけは自分の気持ちを理解して、味方になってあげることです。

でも、そうならば、つらい過去を負わせた相手に、そのことを言っても仕方がない、と思うかもしれません。

いえ、そういうタイミングがあって、あなたが伝えたいなら、別に言っても構わないと思います。

でも、さっきも言ったように、いくら細かく伝えたとしても、相手からの最上のお返事とか理解は期待しない方が良いです。

これは、この先もそうですが、相手に理解してもらおうとすると、さっきも言いましたが、常に他人を意識して、時には自己犠牲をしてまでも、良く思われたくなります。

その生き方こそが、つらい現実を作っていることに、気づくことが大事なのです。

いかがでしょうか。

自己犠牲を止めること。

自分の気持ちを大事にすること。

人生を変えるならば、これを意識してください。

そして、それをよく思わない人は、支配の関係で犠牲になった人だと思ってください。

そうすれば、このような支配など関係のない人が、見えてくるようになります。


これからやっていくこと


最後に、これからやっていくことを、簡単にまとめます。

1.自分を守る方法を知ること

2.自分を愛する方法を知ること

3.幸せになるための努力を始めること

このようになります。


1.自分を守る方法を知ること


こちらの記事でも言いましたが、あなたを傷つける人を分析して、距離を保つことなどを意識してください。

そして、できたら初対面でも気づけるように、自分の気持ちや直感を大事にして、頼りにして信じることです。


2.自分を愛する方法を知ること

自分に起きたこと、またどうして傷ついたのかなどの「理由」を極めてください。

自己犠牲的な解釈が入ってないか?

昔の犠牲者としての思考が入ってないか?など

そして、自分の気持ちを理解して、積極的に励ましたり癒したりするのです。


3.幸せになるための努力を始めること

他者から理解されるための努力は、今日でおしまいです。

だって、他人はあなたを100パーセント理解できないからです。

100パーセント理解できるのは、自分だけです。


いかがでしょうか。

考えてみたら、つらい過去と言いましたが、そのつらさは、現在にもつながっていることがわかりました。

つまり、現在の自分を幸せにしてあげられたら、過去の自分も救ってあげることができるのです。


以上で、終わります。ありがとうございました。

2021年4月12日月曜日

傲慢な人から傷つけられないために

 


あなたは、誰かから傷つけられて困っていませんか?

そんなことは日常茶飯事ですでに諦めている人も多いでしょう。

今日は、そのような悔しい思いをしている方が、少しでも強くなれる方法を、お伝えしたいと思います。


傲慢な人の解体新書


ところで、あなたを傷つける人ってどんなメンタルをしていると思いますか?

まずは「敵を知る」という意味で、今回は詳しく見ていきましょう。

きっと、他人を傷つけずにはいられない傲慢な人は、いつも他人が気になっている人です。

なぜ、他人が気になるのでしょうか?

本来なら、他人よりも自分が気になるはずです。




そうです。どこかでこのような人は、ゆがんでいるのです。

何がゆがんでいるかというと、このような人は、自分の価値とか快楽などを、「他者との関係」の中で満たそうとするのです。

そうすることで、自分には向き合うことをせずに、楽に自己価値観とか満足感を得ることができるからです。

そのために自分より劣る人とか、ツッコミどころがありそうな人を、常に「キョロキョロ」と探しています。

よく「危険な人を見分けるコツを教えて」と聞かれますが、私はこのキョロキョロしている人に注意するようにといつも言ってます。

このような人は、自分を軸に生きておらず、常に関わってくれそうな人を探している、他人軸のジプシーです。

よく、他者がいないと成立できないような人を「共依存」と言いますが、まさにそのようなタイプです。

考えてみたら、おせっかいなおばちゃんとか、ルールに厳しいおじちゃんなどが多くないですか?

このような人は、ある意味「心が不自由な人」だと思います。




何が不自由かというと、自由というものを否定し、避け続けた人生だったから心が不自由なまま生きているのだと思います。

自由とは、自分に由(よ)って立つという意味があります。

つまり、自由を選べる人は自分に頼れる人、つまり、自分を信頼できる人なのです。

「私はこれをやりたい」と思えば、それをやるためには、自分を信じてやっていくしかないのです。

でも、その思考がなければ、「誰かの言う通りにやるしか方法がない」と信じているはずです。

このような人は、この自由の本当の意味を学ぶ機会がなかったはずですし、自分でも見いだすことができなかった人でしょう。

きっと、子供時代などに大人の強い力の元で、「こうすべき」と諭されて、何も言い返せずに我慢することを覚えると、それが当たり前になります。

でもこれは、我慢して大人のやり方に合わせているだけなので、「自分を大切にする」とか「自由を求める」などは、ほとんど学んでこなかったはずです。

ただ、どこかで反発心が出てくることもあるでしょうが、そんな時は罪悪感を出してこられて「我慢、我慢」で生きてきたはずです。

罪悪感についてはこちらの動画がオススメ🔽


無事に大人になれば、それで「おしまい」というわけではなく、どこかで溜め込んだ感情とか、自分の欲望などは、消化されないまま残っています。

その抑えた思いが強ければ強いほど、怒りとか恨みなどの感情が、熟成されているはずです。

でも、幼少期から押さえ込んだ感情を、どのように出したら良いのかわかりません。

そもそも「感情を出すってどんなこと?」というレベルのものだと思います。

それくらい感情が固まってしまっているのです。


だから自分の感情が認識できずに、この怒りの元は一体何??……と考えると、「あの人が原因だ!」と他人を勝手にターゲットにして攻めていくのです。

このような遊びを楽しいと感じ、勝ったことで快感を覚えているのですから、誰も幸せにしない虚しい遊びなのです。

また、このような人がアカの他人と争って(負かして)勝ったとしても、それは自分の感情をごまかすためのものであり、本来的な満足とはほど遠いのです。

本来的な満足とは、「認めて欲しい」とか「ありのままの自分を受け入れて欲しい」とか「否定されたくない」などの、今まで押さえ込んだ欲求でしょう。

だからすぐに「勝った」という快楽は薄まってしまうので、すぐにまた怒りの矛先を探す必要があるのです。


すでに負けている?



また、このような勝ち負けにこだわる人は、すでに負けているのです。

なぜなら、本当に幸せな人が、近くの人を見つけて「勝ってやろう」とは思わないはずだからです。

考えてみたら、そうですよね?

つまり、すでに負けた気でいるからこそ、「次は勝ってやろう」と思うのです。

このことからもわかるように、勝った負けたと騒いでいる人は、すでに人生の悪循環のループにはまっていて、関わる人ほとんど全てを傷つけて、最後は自分も自滅するというパターンをやめることができず、誰からも指摘すらされない状態なのです。

それでも仕事とか関係性によって、近くにいる必要がある人たちは……それも問題なのですが、自分ではない他に注意がいくことを願い、あなたに矛先が向けば「ホッ」として束の間の安心感を得るというのが実情ではないでしょうか。



仕返しのゲームに巻き込まれないために


先ほど、人生の悪循環と言いました。

このように他人を傷つけて快楽を得ているような人を、「人生の悪循環に陥っているな」と、理解して受け入れるのは、全く違うと私は思ってます。

いくらそんなことをしても、このような人は自分で自分に向き合わない限りは、親切にした人さえも傷つけてしまいます。

ただ、そんな人も、自分に向き合うことがあるとすれば、さっきも書きましたが「自滅」した時だけがチャンスです。

つまり、あなたにできるのは、その相手を悲しいゲームで勝たせないか、もしくは自滅してもらうことで自分に向き合う機会を与えてあげることだけです。


例えば、何かのゲームの大会でも、参加者がいないと大会すらできなくなります。

このようになれば、その人もあなたもこのような意味のないゲームに参加しなくて良くなります。

そのためには、まずは間違ってもあなたはゲームの土俵には上がらないことです。

相手は、この生き方をずっと続けてきていますので、非常にうまく乗せてくると思います。

それに素早く気づいて、戦わないことです。

そのためにはどうしたらよいでしょうか。


まずは、このような争いによって、優越感を得たりする人のことを「それはその人の人生であり、私は関係ない」と自覚することです。

つまり……「どうぞご勝手に。それでは私は失礼します」と言う感じです。

それでも、あなたの肩を掴んで、無理やりゲームに引き戻そうとする人もいるでしょう。

そんな時は、どうしたら良いでしょうか?




まず、自分の中で「私は争いなど必要としない」と言う自覚が必要です。

そうすれば、相手の引っ掛け技にハマることもないはずです。

例えば、言葉での応答例を考えるなら

「は??」

「どう言う意味ですか?」

「具体的には?」

「そう言われると、嫌な気持ちになります」

このように、しっかりと向き合って堂々と応答すると、相手はあなたを「苦手なタイプ」と思うはずです。

このようにしっかりと向き合う人は、苦手なのです。

なぜなら、自分自身が自分と向き合ってないからです。

弱みをつかまれる危機感を感じるからでしょう。また、はっきり指摘されたら怖いとも思うはずです。

この繰り返しを続けるのです。

こうして、このような傲慢な人から「苦手」意識を持ってもらうことで、標的になりにくくなります。

相手にもよりますが、一時的な優越感を得て快感が欲しかったのに、それを得ることができずに不満を爆発させるかもしれません。

また、他の人に食ってかかるかもしれません。

……まさにそれが自滅です。

それをどう生かすかは、本人の心次第です。

相手がどんな人生を歩むのか、それも自由なのです。

それ以上は、関わらないこと。これも大事です。


曖昧な境界に気づくには


このような傲慢な人が、どうやってターゲットを選ぶのか気になります。

先ほど、自分より劣る人とか、優越感を感じられそうな人と言いましたが、それだけではないようです。

「多少変なことを言っても、それを真に受けてしまう相手かどうか」と言うのを重視している気がします。

それは、まさしく境界の問題です。




敷地で例えると、「少しくらい入っても何も言わないだろう」と思える相手かどうかです。

この辺を、甘くみられてしまったかもしれません。

この境界をきっちりしていくには、どうしたら良いでしょうか?

誰に対してもそうですが、特に危険な人や敵対している相手などとは、「責任の範囲」をはっきりさせることが、境界をはっきりさせることにつながると思います。

責任とは

人や団体が、なすべき務めとして、自身に引き受けなければならないもの

と辞書に書いてありました。

つまり、相手からせめられたことや、批判などを「これは相手の問題だ」と自覚して、引き受けないと言う選択をすることができるようになることが、責任の範囲を決められる人だと思います。

これができないと、いつのまにか相手の責任まで負わされて、嫌なことまで付き合わされると言うことになってしまいます。

このような一連の流れを「相手に傷つけられた」と、多くの人は、まとめて言っているのかもしれません。

つまり、このように理不尽に傷つけられるような出来事があった時、このように考えてみてください。



私が私の責任で、私の自由を取り戻すために、このような出来事が起きているのだ。試されているのだ。

と言うようにです。

これが、他人軸ではなく、自分軸になった証拠でもあります。

ここで、どう反応するのか、堂々とはっきりと責任の範囲を示すことができるのかです。

今までやってこなかった人は、それをやってみるチャンスでもあるのです。


お悩み相談でありがちなのは


このようなサイトなので、よく相談を受けます。

その時に、「どうしたら良いですか?」などと無防備に聞いてくる人などは、危険だと感じます。

なぜなら、今まで言ってきたような、傲慢で支配的な人からすると、格好のターゲットになるからです。

このように、傷つくことをしていることに、気づいてない人が結構多いのも、問題です。

例えば、先ほどの会話を続けると……

相談者:「どうしたら良いですか?」

応答者:「そんなこともわからないの?バカねッ私の言う通りにこうしなさい。」

はい。すでに不自由になりました。

すでに支配と従属関係になっています。

そうならないためには、自分がどれだけ無防備であるかに気づくことです。

それには、信頼できる人なのか、このように心が不自由でそのはけ口だけを探している人なのかを、見分ける目は必要です。

まずは、キョロキョロしている人には気をつけてください。


最後に


心が不自由な人は、自由を選択する人を、非常に嫌います。

それは、羨望という感情が込められていると思ってます。

羨望とは、 ウィキペディアにこう書いてありました。

羨望とは、自らの持たない優れた特質、業績、財産などを他者が持つときに起こる、それらへの渇望、ないしは対象がそれらを失うことへの願望である。

 

羨望は他者が自分が持たない望ましい物品を持つときに、自己肯定感の低下という感情的な苦痛として現れる場合がある。

いかがでしょうか。

羨望の眼差し」という表現がありますが、それは決してただただ尊敬しているのではなく、「くそーっ」「地獄へ落ちろ!」というような負の感情が含まれます。


また、物はお金で買えるとしても、自由はお金では買えません。

つまり、心が不自由な人は、嫌なことを良いことだと思い込み、ずっとやってきた結果、自由を選び、進んでいこうとする人を羨望して、やめさせようとするという心の働きを、どうしても止めることができない状態なのだと考えます。

これは、いわゆる良い子が、その生き方を考えたり、悩んだりすることなく、良い年齢になった末路……と言えるようにも思えます。

このような生き方を、あなたは真似しようと思いますか?

それとも、自己責任のもとで自由を選びますか?

以上で、「傲慢な人から傷つけられないために」を終わります。ありがとうございました。


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