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2021年4月12日月曜日

傲慢な人から傷つけられないために

 


あなたは、誰かから傷つけられて困っていませんか?

そんなことは日常茶飯事ですでに諦めている人も多いでしょう。

今日は、そのような悔しい思いをしている方が、少しでも強くなれる方法を、お伝えしたいと思います。


傲慢な人の解体新書


ところで、あなたを傷つける人ってどんなメンタルをしていると思いますか?

まずは「敵を知る」という意味で、今回は詳しく見ていきましょう。

きっと、他人を傷つけずにはいられない傲慢な人は、いつも他人が気になっている人です。

なぜ、他人が気になるのでしょうか?

本来なら、他人よりも自分が気になるはずです。




そうです。どこかでこのような人は、ゆがんでいるのです。

何がゆがんでいるかというと、このような人は、自分の価値とか快楽などを、「他者との関係」の中で満たそうとするのです。

そうすることで、自分には向き合うことをせずに、楽に自己価値観とか満足感を得ることができるからです。

そのために自分より劣る人とか、ツッコミどころがありそうな人を、常に「キョロキョロ」と探しています。

よく「危険な人を見分けるコツを教えて」と聞かれますが、私はこのキョロキョロしている人に注意するようにといつも言ってます。

このような人は、自分を軸に生きておらず、常に関わってくれそうな人を探している、他人軸のジプシーです。

よく、他者がいないと成立できないような人を「共依存」と言いますが、まさにそのようなタイプです。

考えてみたら、おせっかいなおばちゃんとか、ルールに厳しいおじちゃんなどが多くないですか?

このような人は、ある意味「心が不自由な人」だと思います。




何が不自由かというと、自由というものを否定し、避け続けた人生だったから心が不自由なまま生きているのだと思います。

自由とは、自分に由(よ)って立つという意味があります。

つまり、自由を選べる人は自分に頼れる人、つまり、自分を信頼できる人なのです。

「私はこれをやりたい」と思えば、それをやるためには、自分を信じてやっていくしかないのです。

でも、その思考がなければ、「誰かの言う通りにやるしか方法がない」と信じているはずです。

このような人は、この自由の本当の意味を学ぶ機会がなかったはずですし、自分でも見いだすことができなかった人でしょう。

きっと、子供時代などに大人の強い力の元で、「こうすべき」と諭されて、何も言い返せずに我慢することを覚えると、それが当たり前になります。

でもこれは、我慢して大人のやり方に合わせているだけなので、「自分を大切にする」とか「自由を求める」などは、ほとんど学んでこなかったはずです。

ただ、どこかで反発心が出てくることもあるでしょうが、そんな時は罪悪感を出してこられて「我慢、我慢」で生きてきたはずです。

罪悪感についてはこちらの動画がオススメ🔽


無事に大人になれば、それで「おしまい」というわけではなく、どこかで溜め込んだ感情とか、自分の欲望などは、消化されないまま残っています。

その抑えた思いが強ければ強いほど、怒りとか恨みなどの感情が、熟成されているはずです。

でも、幼少期から押さえ込んだ感情を、どのように出したら良いのかわかりません。

そもそも「感情を出すってどんなこと?」というレベルのものだと思います。

それくらい感情が固まってしまっているのです。


だから自分の感情が認識できずに、この怒りの元は一体何??……と考えると、「あの人が原因だ!」と他人を勝手にターゲットにして攻めていくのです。

このような遊びを楽しいと感じ、勝ったことで快感を覚えているのですから、誰も幸せにしない虚しい遊びなのです。

また、このような人がアカの他人と争って(負かして)勝ったとしても、それは自分の感情をごまかすためのものであり、本来的な満足とはほど遠いのです。

本来的な満足とは、「認めて欲しい」とか「ありのままの自分を受け入れて欲しい」とか「否定されたくない」などの、今まで押さえ込んだ欲求でしょう。

だからすぐに「勝った」という快楽は薄まってしまうので、すぐにまた怒りの矛先を探す必要があるのです。


すでに負けている?



また、このような勝ち負けにこだわる人は、すでに負けているのです。

なぜなら、本当に幸せな人が、近くの人を見つけて「勝ってやろう」とは思わないはずだからです。

考えてみたら、そうですよね?

つまり、すでに負けた気でいるからこそ、「次は勝ってやろう」と思うのです。

このことからもわかるように、勝った負けたと騒いでいる人は、すでに人生の悪循環のループにはまっていて、関わる人ほとんど全てを傷つけて、最後は自分も自滅するというパターンをやめることができず、誰からも指摘すらされない状態なのです。

それでも仕事とか関係性によって、近くにいる必要がある人たちは……それも問題なのですが、自分ではない他に注意がいくことを願い、あなたに矛先が向けば「ホッ」として束の間の安心感を得るというのが実情ではないでしょうか。



仕返しのゲームに巻き込まれないために


先ほど、人生の悪循環と言いました。

このように他人を傷つけて快楽を得ているような人を、「人生の悪循環に陥っているな」と、理解して受け入れるのは、全く違うと私は思ってます。

いくらそんなことをしても、このような人は自分で自分に向き合わない限りは、親切にした人さえも傷つけてしまいます。

ただ、そんな人も、自分に向き合うことがあるとすれば、さっきも書きましたが「自滅」した時だけがチャンスです。

つまり、あなたにできるのは、その相手を悲しいゲームで勝たせないか、もしくは自滅してもらうことで自分に向き合う機会を与えてあげることだけです。


例えば、何かのゲームの大会でも、参加者がいないと大会すらできなくなります。

このようになれば、その人もあなたもこのような意味のないゲームに参加しなくて良くなります。

そのためには、まずは間違ってもあなたはゲームの土俵には上がらないことです。

相手は、この生き方をずっと続けてきていますので、非常にうまく乗せてくると思います。

それに素早く気づいて、戦わないことです。

そのためにはどうしたらよいでしょうか。


まずは、このような争いによって、優越感を得たりする人のことを「それはその人の人生であり、私は関係ない」と自覚することです。

つまり……「どうぞご勝手に。それでは私は失礼します」と言う感じです。

それでも、あなたの肩を掴んで、無理やりゲームに引き戻そうとする人もいるでしょう。

そんな時は、どうしたら良いでしょうか?




まず、自分の中で「私は争いなど必要としない」と言う自覚が必要です。

そうすれば、相手の引っ掛け技にハマることもないはずです。

例えば、言葉での応答例を考えるなら

「は??」

「どう言う意味ですか?」

「具体的には?」

「そう言われると、嫌な気持ちになります」

このように、しっかりと向き合って堂々と応答すると、相手はあなたを「苦手なタイプ」と思うはずです。

このようにしっかりと向き合う人は、苦手なのです。

なぜなら、自分自身が自分と向き合ってないからです。

弱みをつかまれる危機感を感じるからでしょう。また、はっきり指摘されたら怖いとも思うはずです。

この繰り返しを続けるのです。

こうして、このような傲慢な人から「苦手」意識を持ってもらうことで、標的になりにくくなります。

相手にもよりますが、一時的な優越感を得て快感が欲しかったのに、それを得ることができずに不満を爆発させるかもしれません。

また、他の人に食ってかかるかもしれません。

……まさにそれが自滅です。

それをどう生かすかは、本人の心次第です。

相手がどんな人生を歩むのか、それも自由なのです。

それ以上は、関わらないこと。これも大事です。


曖昧な境界に気づくには


このような傲慢な人が、どうやってターゲットを選ぶのか気になります。

先ほど、自分より劣る人とか、優越感を感じられそうな人と言いましたが、それだけではないようです。

「多少変なことを言っても、それを真に受けてしまう相手かどうか」と言うのを重視している気がします。

それは、まさしく境界の問題です。




敷地で例えると、「少しくらい入っても何も言わないだろう」と思える相手かどうかです。

この辺を、甘くみられてしまったかもしれません。

この境界をきっちりしていくには、どうしたら良いでしょうか?

誰に対してもそうですが、特に危険な人や敵対している相手などとは、「責任の範囲」をはっきりさせることが、境界をはっきりさせることにつながると思います。

責任とは

人や団体が、なすべき務めとして、自身に引き受けなければならないもの

と辞書に書いてありました。

つまり、相手からせめられたことや、批判などを「これは相手の問題だ」と自覚して、引き受けないと言う選択をすることができるようになることが、責任の範囲を決められる人だと思います。

これができないと、いつのまにか相手の責任まで負わされて、嫌なことまで付き合わされると言うことになってしまいます。

このような一連の流れを「相手に傷つけられた」と、多くの人は、まとめて言っているのかもしれません。

つまり、このように理不尽に傷つけられるような出来事があった時、このように考えてみてください。



私が私の責任で、私の自由を取り戻すために、このような出来事が起きているのだ。試されているのだ。

と言うようにです。

これが、他人軸ではなく、自分軸になった証拠でもあります。

ここで、どう反応するのか、堂々とはっきりと責任の範囲を示すことができるのかです。

今までやってこなかった人は、それをやってみるチャンスでもあるのです。


お悩み相談でありがちなのは


このようなサイトなので、よく相談を受けます。

その時に、「どうしたら良いですか?」などと無防備に聞いてくる人などは、危険だと感じます。

なぜなら、今まで言ってきたような、傲慢で支配的な人からすると、格好のターゲットになるからです。

このように、傷つくことをしていることに、気づいてない人が結構多いのも、問題です。

例えば、先ほどの会話を続けると……

相談者:「どうしたら良いですか?」

応答者:「そんなこともわからないの?バカねッ私の言う通りにこうしなさい。」

はい。すでに不自由になりました。

すでに支配と従属関係になっています。

そうならないためには、自分がどれだけ無防備であるかに気づくことです。

それには、信頼できる人なのか、このように心が不自由でそのはけ口だけを探している人なのかを、見分ける目は必要です。

まずは、キョロキョロしている人には気をつけてください。


最後に


心が不自由な人は、自由を選択する人を、非常に嫌います。

それは、羨望という感情が込められていると思ってます。

羨望とは、 ウィキペディアにこう書いてありました。

羨望とは、自らの持たない優れた特質、業績、財産などを他者が持つときに起こる、それらへの渇望、ないしは対象がそれらを失うことへの願望である。

 

羨望は他者が自分が持たない望ましい物品を持つときに、自己肯定感の低下という感情的な苦痛として現れる場合がある。

いかがでしょうか。

羨望の眼差し」という表現がありますが、それは決してただただ尊敬しているのではなく、「くそーっ」「地獄へ落ちろ!」というような負の感情が含まれます。


また、物はお金で買えるとしても、自由はお金では買えません。

つまり、心が不自由な人は、嫌なことを良いことだと思い込み、ずっとやってきた結果、自由を選び、進んでいこうとする人を羨望して、やめさせようとするという心の働きを、どうしても止めることができない状態なのだと考えます。

これは、いわゆる良い子が、その生き方を考えたり、悩んだりすることなく、良い年齢になった末路……と言えるようにも思えます。

このような生き方を、あなたは真似しようと思いますか?

それとも、自己責任のもとで自由を選びますか?

以上で、「傲慢な人から傷つけられないために」を終わります。ありがとうございました。


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