こんにちは、ダイジョウ部のkyokoです。
あなたは、今現在、苦しみを感じていますか?
今日は、この苦しみを、仏教の教えによって、理解していきたいと思います。
自分以外でも、身近な人が苦しんでいる、または、身近な人から、振り回されて困っている人なども、参考になると思います。
苦しみの理由
そもそも、苦しみとは、どんなことでしょうか。
仏教を開いたブッダは、元々は王子だったのに、その地位や家族などを捨てて、修行の道に進んだということです。
誰よりも苦しんだ末に、作った教えでもあります。
また、苦しみの種類は、数え切れないほどあるそうです。
その苦しみを、まとめて表現するとこのようになります。
生理的、身体的、心理的、社会的な面における「思い通りにならないこと」
または、「思ってもない嫌なことに、出くわすこと」
つまり、想定内ではなく想定外なことに遭遇している状況、と言えるかもしれません。
また、苦しみといえば四苦八苦という言葉があります。
これも、仏教ではこのような説明があります。
まず最初の四苦は
生(しょう)、老い、病、死、です。
それに加えて、あと四つで八苦です。
5.愛別離苦(あいべつりく)
これは、愛する人や環境などから離れる苦しみです。
死別や、生き別れ、子離れなども当てはまります。
6.怨憎会苦(おんぞうえく)
怨み、憎む相手に会わないといけないという苦しみです。
7.求不得苦(ごふとくく)
求めているものが、手に入らない苦しみです。
仕事の成果とか若さ体力などです。
思い通りにならないつらさです。
8.五蘊盛苦(ごうんじょうく)
心身の作用があるがゆえの苦しみです。
いかがでしょうか。
ただ、この四苦八苦は誰にでもあるものです。
でも、その受け止めかたによっては、生死を分けるほど苦しむこともあるのです。
なぜ、人によってここまで受け止めかたが違うのでしょうか。
心が病む人 悩みが解決しない人の特徴は、完璧主義だったり、極端な思考の場合が多いです。
この図のように、極端と極端(上下の赤い線を行ったり来たりする黒いグラフ)をどっちかに大きく振れている状態です。
良い時か悪い時のどっちかで、気分の揺れも大きくなります。
また、一度落ち込むとなかなか上がってこれないのは、簡単に想像できます。
また、良い状態になると、ずっと良い状態にいたいとつよく願うと思います。
このこだわりが、しがみつき(執着)となり緊張感を生み、いきにくさにつながります。
仏教では、両極端にならないで中間あたりを、フラフラーっと歩むことを進めています。
これを仏教では、中道(ちゅうどう)と呼びます(図の赤いグラフ)。
先ほどの両極端から比べると、ずいぶん歩む幅が広くなります。どこでも自由自在といった感じです。
極端なところへ行かなければ、この間をどっちにいっても良いということです。
ただ、自由自在であるけど、そう言われると苦痛になる人もいます。
このように、中道を通ると両極端の苦しみからは解放されるけど、今度はどこをどう歩くかという主体性が必要になります。
そして、この苦しみについて「向き合いたくない」などと思うと、その苦しみを避けることに没頭していきます。
このように、問題に向き合わないと本当のことがわからないので原因などもわからず、だからこそ同じことを繰り返すこともあります。
このように、真実を見ようとしないことを、仏教では無明(むみょう)といって無知という意味です。
このような人は、近くにいませんか?
そして、この無知による盲目的な逃避行動などが執着になります。
人に執着したり強迫的に何かにこだわったりします。
当然、トラブルや失敗は増えてしまいます。
つまり、「真実を知ろう」 また、「苦しみは悪者ではない」という視点になると、苦しみは自分や周囲の人たちを知るための重要な「材料」になるのでその経験によって悩みやトラブルは減っていきます。
また、無茶な要望をする人のカラクリが、わかってくると思います。
今までのように、振り回されるのではなく、冷静にその人を観察して「愛別離苦だ」などと理解することが可能になります。
そして、距離をとったり縁を切ることが、楽にできるようになります。
縁を切るといいましたが、悪い縁を切るのは、お互いにとって良いことである場合も多いです。
その代わりに、良縁を呼び込むことができたら、道がひらける場合も、あるからです。
こだわりからの解放
では、このような苦悩と向き合い、こだわりから解放されるにはどうしたら良いでしょうか。
1.世の中は無常であることを知っておくこと
無常とは、常に動いていくもので変化するのが当たり前ということです。
例えば、子供が自立した場合など、いつまでも近くにいて欲しいけど、本当にずっと居たら、あとあと困るはずです。
2.苦悩に圧倒されて何も感じなくなる
これは、悲嘆のプロセスに似ています。
いくら1番で無常であるとわかっていても、受け入れられない苦悩はあります。
それを、否定せずに「苦しい」と受け入れるのも、大切なプロセスです。
3.苦悩を受け止めかねて否認してしまう
それでも、苦しみを受け止められずに認めようとしない場合もあります。
大抵がここで、苦しみが限界にきて無茶な行動をしたり、カウンセリングを受けたりします。
中には、一生このままで、否認したまま、死んでしまう場合もあります。
4.この苦しみは、執着であると気づく
ここが重要なところです。
でも、自分で気づくようになれば、自分で回復していくことができます。
それまでは、対象者のことを考えたり、「どうしたら戻ってくるか?」などばかりを考えますが、自分の中にこだわりや原因があると感じ出します。
5.新しい対象などに向かっていく
結果的に、自立していくのか、他の対象者などを探すのかは本人の自由です。
ただ、その時に中道(ちゅうどう)を思い出して極端な思考は苦しみを生むことを承知した上で、新しい目標などを探します。
仏教の教えとして四つの真理
四諦(したい)
1.この世の中や人生は苦である(苦諦)
どんな人も、多かれ少なかれ苦しみは持っているということです。
これを知っておくと、他の人が、幸せそうに見えたりする誤解も減り、苦痛も減ります。
2.苦をもたらす理由は、世の無常と欲望に対する執着にある(集諦:じったい)
つまり、世の中は変わりゆくもので、変わらないと思い込むと変化に耐えられずに苦しみます。
3.執着による害を減らすには煩悩をコントロールして執着を断つことが必要(滅諦)
煩悩とは、心身を悩ませかき乱し汚すような心の動きです。
4.中道、つまり極端な思考に走らないように訓練をすること(道諦:どうたい)
いかがでしょうか。
苦しみの元には、大きな期待とか変化したくないという気持ちがあり、その苦しみを嫌って受け入れないと、受け入れないための執着行動に盲目的になり、執着が勝手に走り回っているような状態と言えるかもしれません。
このようなカラクリに気づくと、誰かに補助してもらわなくても自己理解や他者理解ができるので、生きやすくなると思います。
応機説法について
最後に、動画ではお伝えしてないのですが、ここでは応機説法について少しお話しします。
これは、カウンセラーのかたで手法を探している方などに、何かヒントになるかもしれません。
応機説法は、ブッダが使っていた応答の手法というか……本人は手法として意識はしてないと思いますが、慕う人たちがどうしたらブッダのように応答できるのかと考えて、手法のようにして伝えていったのではないかと思います。
この手法は、ブッダが積極的に話すのではなく、答えが欲しい人にどんどん話してもらって、最終的には答えが欲しい人が自ら答えを出すという、理想的な方法です。
ここで、ブッダがどんな応答をしていたかを、サンプルとして出します。
この相手は、悩みを持つ人ではなく、ブッダに喧嘩を仕掛けた相手です。
その相手に対しても、自分が気づくような関わりをしています。
この相手は、バラモンといって自分の弟子をブッダに取られたと訴える人です。
応機説法例 1
ブッダ:バラモンよ、汝の家に来客のあることがあるか?
バラモン:もちろんある。
ブッダ;では、その時には食事を振る舞う時はあるか?
バラモン:もちろんその通りだ。
ブッダ:では、その時、その客がそのご馳走をいただこうとしなかったら、そのご馳走は誰のものになるであろうか?
バラモン:それは私のものになるより仕方がない。
ブッダ:バラモンよ、今、汝は悪口雑言を浴びせかけてきたが、私はそれを受け取らない。したがって、その悪口雑言はもう一度ひるがえって汝のものに成るよりほかないのではないか?
バラモン:……
この会話によって、バラモンは反省してブッダに帰依したということです。
これは、言葉数は多いですが、相手に考えさせるという意味では、短時間で効果のある方法です。
この応機説法の特徴としては、3つほどあります。
応機説法の特徴
1.相手の立場に立つこと
2.相手のレベルや言葉で伝えること
3.知らないうちに相手に考えさせ、反対の立場に導くこと
先ほどのバラモンは、弟子が去るということでプライドが傷つき、そこに執着をしていました。
これに気づいたブッダは、バラモンが自分でその執着に気づくよう導いたということです。
応機説法例 2
また、別の例として、生まれたばかりの赤ん坊を亡くした母親に対して、「ある木ノ実を持ってきたら、赤ちゃんを生き返らせてあげる」と言いました。
ただし、条件として「その木の実は、今まで一度も死者を出したことがない家からもらってくること」が条件でした。
当然ですが、一度も死者を出してない家などあるはずがなく、それでもその女性が一軒一軒回って聞いていくと、自分の事情よりもはるかに悲惨で孤独な生活をしている人の多さに気づいて、最後には「人間は誰でも死ぬのだ」と悟ったということです。
これは、対話ではなく自ら体験することで、さらに深く気づきを得ることができたようです。
対人恐怖の方のトレーニングなどに、改良して使えそうです。
また、悩んでいる人は、起きている問題について向き合うことを嫌がったり、恐れることも多いです。
この辺の仏教のいう「無明」についての気づき、そして、そこからの苦悩に対する理解、またそれを免れようとする執着への気づき、四諦(したい)などについて考え、中道の選択をしていけるようになると、苦しむひとも活気付いてくると思います。
よかったら、平井孝男先生の「ブッダの癒しと心理療法」に詳しく書いてあるので、ご覧ください。
以上で、こだわりから解放されると楽になる、を終わります。
ありがとうございました。