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2021年4月30日金曜日

生きる道の選び方ータオ心理学ー

 


今日は、タオ心理学についてお伝えしたいと思います。


こちらの著者は、ジーン・シノダ・ボーレンといって日系アメリカ人の女性です。

大学時代にユング心理学に出会って、ユングの共時性(シンクロニシティ)なども同じように探求してきた人です。


また、タイトルのタオ心理学の「タオ」とは、中国語で「道」という意味があります。

「これからどうやって生きていこうか」などと考えている人に、良い道を見つける手がかりになったら良いと思います。

ちなみに物理学者のピートによるシンクロニシティの解釈は、こちらにあります。



どっちにしても、間違い無いのは私自身がシンクロニシティに興味を持っているということです。

でも、何かとスピリチュアルで片付けられるのが、どうも気に入らなくて、証明をしたいのだと思います。


時代は変化している



今日アップした動画で、「偽りの自分でいるのは、あなたが資本主義社会や環境にあってないから」というようなことをお伝えしました。


そして、間違いなく時代は移り変わるとも言いました。

これは、昔からダイジョウ部にお付き合いくださっているかたは、聞き慣れているかもしれませんが、私はずっとこの資本主義は終わると思っています。

今は末期状態だとも思ってます。


こちらは、さっきの動画で出した図です。

お金とかものが主体の資本主義から、今はまさにネットなどの情報などが主体となった知識主義に移行していると思いますが、やたらネットでのハッキングなどが横行していて、かなりヤバーい状況だと思っています。


そこで大きなトラブルなりがあって、世界的にシャットダウンするのか何かで、知識主義が終わりを遂げるように思います。

そして、しばらく不動の時間……つまり「無」の時間があり、どうにか生き残った人が「これからどう生きようか?ネットは使えないし、お金も何もない……」というようなシンプルな問いに答えを見つけ出すのが、感性主義の始まりではないかと思っています。

まさしくすごい時代を生きていると思ってます。

この感性時代に必要となってくるのが、ユング心理学であり、シンクロニシティだと私は思ってます。

では、ここからはタオ心理学から、大切なポイントをお伝えしていきます。


感性とは



私たちが、今まさに考えていることは、合理的思考でしょうか?それとも、自分の内なる感性(直感)からくるものでしょうか。

ここで、区別しないといけないのは、適当に「あれやろう」とか「これ嫌!」というような気分と、感性は違います。

よく、合理的思考の人は感性でものを言う人を批判するのに、勝手とか気分屋などと言いますが、これは違うのだと自分で認識してないと、そのような人に流されてしまいます。

感性(直感)とは、動物のカンとか女性のカンなどと言われますが、そっちに近いと思います。

それと気分はどう違うのか、これは「本気度」だと私は思います。

つまり、本気であればあるほど、自分を間違った道に行かないように、カン(直感)が働くのです。

さっき、女性のカンと言いましたが、これからの感性の時代はまさに女性の時代かもしれません。

あ、でも今の女性の政治家のような、女の顔をした男のような合理主義とは違います。

これは、男性にも言えることで、今まで横柄に偉そうにしていた人が、全く通用しなくなるということでもあります。

このように、資本主義社会の中で、優勢だった合理的思考は時代の変化とともに、影を潜めると思ってます。

それに対して、感性の時代はどうでしょうか?

右脳的、女性的、イメージ、全体として受け止める、受容的、反省的……などが挙げられます。

なぜ、合理的思考から直感的になるのか?

俳句の研究者であった R・H・ブライスはこのように言います。

知性はあることの一部を一部として理解するだけで、それを全体としてとらえることはできない。
それは、神がいない時にだけ何事かを理解するにすぎない。

ということです。

つまり、知性は一部を理解しているだけで、感性は全体をとらえること、つまり、知性だけでは未完成だということだから、衰退していくということではないでしょうか。

そして、この全体を受け止めるには、受け止める能力が必要であり、それがないと「ただの偶然」で終わってしまうのです。

それは、偶然の一致などを「意味がある」と解釈しようとし、それを自分なりに深めていくことで自分の道を指し示すということです。

このような時も、合理主義者による「意味がない」などの妨害に、ビクともしないメンタルが必要になってきます。

メンタルというより、強い意志とか使命感があれば、気にならなくなると思います。

このような偶然の意味ある一致を、共時的(シンクロスティック)と呼ぶのに対して、単に同時に起きていること……例えば、「時計が10時を指している」などは、同時的(シンクロナス)と分けています。


共時性


また、このような偶然の意味ある一致は、3つに分けると言います。

① 心の内容(思考や感情)と外で起きる出来事の一致

これは、自分が思っていたことが、偶然目の前で起きるなどです。


② 夢や目標が、遠くで起きている出来事と一致


例えば、死んだ人が突然脳裏に上がり、後でその時に死んだと聞かされるなどです。

③ あることをイメージして、将来的にそれが実際に起きること


例えば、生まれてくる子供がすでにどんな子かわかっている、などです。


これもさっき「能力が必要」と言いましたが、ただ単に物事を受け止めるのではなく、常に「意味がある」と思って受け止めるかどうかが、すごく重要です。

でも、「この人が運命の人だ」などと惚れ込むのは、期待が大きすぎることによる空想の場合が多いので、そこはきっちりと分けておくことが大切です。

つまり、今までの資本主義、合理主義などは、客観的な事実に基づくものであり、共時性、感覚主義は、自分の主観的な経験によって、それぞれ違う意味を帯びているので、経験や解釈の違いによって、同じ道があるはずがなく、道はいくらでもわかれていくのだと思います。


 

こちらの記事で、私たちは中身、つまり遺伝や育ちが同じでも、違う人生を歩むように、それを入れる容器のようなものを、作り変えることはできると言いました。


この容器をユングは「元型」と言いました。

日本では「人の器」と言う表現を使うことがありますが、それに似ているように思います。

人生にはさまざまな似通った出来事が起きるが、それと同じだけの多くの「元型」がある。

その無限の繰り返しが、われわれの心的構造にこれらの経験を刻みつけたのである。

タオ心理学

つまり、この容器を変えるには、共時性などをもとにした「意味のある経験」を繰り返すことで、その人の容器……つまり人格とか「このような人間だ」というものが、変化していくということです。

この経験は、 それぞれの人にとって非常に重要な経験である必要があります。

例えば、「子供を産んで人生が変わった」なども、人間としての容器(母親の器)が変わったということではないでしょうか。

また、「あるセミナーに行って、雷に打たれたような気分になった」というような経験をする人もいます。

これも、その瞬間に何かの共時性があり、それを本人が認識したことで、この元型が大きく変容したということではないでしょうか。

私は、このような人を見かけると「この人は本気だ」とか「ちょっと狂気を帯びている(悪い意味ではなく)」というような、何かが乗り移ったかのような印象を受けます。

あなたも、このような有名人とか周りの人などを、たまに見かけることはないでしょうか?

ぜひ、あなたも雷に打たれるような経験をしてみてください。

そのためにはいろんなことに関心を持つことですね。



出会いについて


恋愛の出会いなども、この共時性が働く場合があります。

多くの場合は、子孫を残すための欲求を、共時性だと勘違いするものですが、もし本当の出会いを求めているなら、この共時性を意識すると良いです。

タオは道のことだと言いましたが、まさに、共時性は人々が(偶然のように)一緒になる道を作り出します。

ユングによると

二つの人格の出会いは、二つの化学物質が接触するようなものである。

もし、そこに何らかの反応がおこれば、両者は共に変容する。


ただ、あなたの親などが非常に厳しくあなたを批判したり、評価してきたなら、あなたは人に対する不信感が強く、とてもじゃないけど人など愛せないと思うでしょう。

タオ心理学にも、同じような生育歴を持つ人が、どうやってこのトラウマを乗り超えたかの記述をご紹介します。

これは、著者のジーン・シノダ・ボーレンが、女性が苦手な男性をカウンセリングした時の様子です。


彼の抑うつ感と「自分は無価値だ」という感情は、内面の否定的態度と関係がありました。

彼のたましいの中には、強い力を持った「メス」が巣食っていて、彼をバカにし、彼がなんと無価値な存在であるか、何とつまらないか、何とばかなことばかりしているかということを、きつく厭味たっぷりに語りかけていたのです。

 

ここで、ジーン・シノダ・ボーレンは、このような想像をしました。

ある風刺画を思い出したのです。その絵は、顔を隠した人物からこのような言葉を投げつけられて、すくんでいる男を描いたものでした。

やがてこの男は立ち上がって抵抗し、とうとう相手をやっつけます。すると相手は覆面を脱いでこう言うのです。

「お前ときたら、自分の母親に向かって何てことを言うのだね?」

……つまり、その恐怖の対象は母親であったと言うことに気づきます。


この人は、肯定できる女性像と内的な関係を結ぶことを、必要としていたのです。

この「誰か」は、彼が人から受け入れられず、落ち込んで気分でいるときに、その機会をとらえて彼をやっつけたり、侮ったりするような態度はとらず、逆に彼を勇気づけ、支えてくれることができるのです。

自分自身を育てていくそう言う努力が、彼の内面生活で身につくまで、経験する必要があったのです。


この経験こそが、自分の「元型」であり、またそれに気づかないと、(母親への)不信感を持ったまま女性に出会い、さらに女性に対する不信感を強くさせるような経験を積み重ねていくことになります。

トラウマ退治法



このように、トラウマの経験が自分の道を閉ざしてしまいそうになった時、どうしたら良いでしょうか?

これは、人にもよりますが、このような方法でトラウマを退治すると効果がある人がいます。

それは、さきほどの男性のように、母親が自分に「無価値だ」と言うようなことを言い出したとします。

これは、実際に母親がいなくても同じです。

その時に、これはイメージの世界ですが、自分を今の10倍くらいの怪人だと思ってください。

すると、この意地悪ばあさんは、どんな感じでしょうか?

怪人からするととっても小さいので、下で何を言っているかも聞こえないし、あなたをペンペンたたいたとしても、痛くないはずです。

そうしたら、その小さな意地悪ばあさんをつまんで、道の横に置いてあなたは、その先を進むようにしてください。


聖なる干渉


さっきも言ったように、単なる幻想とか空想、都合の良い解釈などをせずに「このように臨む」とかなり本気で人生に関わっていくと、自分が決めた選択とか決心に対して自然と、誠実さと希望を持てるようになります。

また、今までただ受け身で消極的で「叱られない」ための努力をしてきたような人は、違う努力……つまり、勇気を出して人と関わってみたり、傷つくと言う可能性があったとしても、近づいて理解しよう、共感しようと言う気持ちがあれば、思いもよらない解決法が自然と浮かんできたり、偶然な出会いなどを、キャッチできるようになると言うことです。

この時も、あなたの価値を認めようとしない存在は、さっとかわしたり、巨人化してアリを見るように眺めるなどをして、対応してください。


どの道を選ぶべきか?



では、人生の旅の途中で道に迷った時、どの道を選べば良いでしょうか?

作家のカルロス・カスタネダは、師匠のヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンから、このような質問を受けました。

「この道は、こころを持っているか?」

と言うことです。

つまり、人生の選択は合理的思考によって導かれるものではなく、直感(動物のカンのような)を使うことだと言うことです。

つまり、本気で自分が決めたことなのか?と言うことではないでしょうか。

「あの人にこう言われたから」と言う道は、こころを持ってないと言うことです。

これは、恋愛も仕事も同じです。

また、この道を選ぶ時に、

恐れや野心(欲望)から道を選ばないこと

とも述べています。

これは、私たちがよくやってしまう過ちだと感じました。

恐れを持って道を決めようとすると、安全のための選択しかしなくなります。

つまり、「過ちを犯す」という危険を避けることで、批判を受けないことだけが、人生の目的になってしまいます。

また、野心(欲望)から道を選ぶと、常に他人との関係に興味を持ってしまうことになります。

例えば、仕事もろくにしないで、常に派閥争いをするような人がいると思います。

このような人は、野心に取り憑かれて、人に勝つとか負けるなどばかりを考え、周りの人を伺ってばかりいるので、仕事が手につかないのです。

つまり、恐れや野心(欲望)を持っているときは、こころは役に立っていないのです。

その結果、自らの人生を呪うような道に、自然と導かれるようになります。


道を間違えたら?


ただ、そうは言っても周囲の人は、以前と同じなので、常にあなたをもとに戻そうとします。

その場合は、以前にやった「タオ」を歩むための手順を思い出して、再度同じことを繰り返していくことです。

できたら、定期的に瞑想などをして「不動の時間」つまり自分の原点に戻るような習慣をつけて、周りからの悪影響を受けないようにします。



最後に、ロロメイの言葉をお伝えして終わりにしたいと思います。

選択と献身によって、私たちが自分自身を創造していく潜在的可能性を備えている。

選択によって、またはそれらの選択に対して献身することによって、はじめてまったき人間(完成された人間)になるのである。

人びとは、日々にくりかえす多くの決断によって、価値と尊厳とを獲得するのである。

献身とは、さっきも言ったように「本気で接する」ことではないかと思いました。

これは、相手に対しても……自分に対しても……仕事も……何気ない行為もです。

恐れや野心などに気を取られて、邪道を選ぶのではなく、本来の道を選ぶために本気になること また選んだことにはこころを込めて取り組むことが、生きる道を選ぶ上で、一番重要であると思いました。

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