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2021年4月17日土曜日

辛い過去を乗り越えて幸せを得るには?

 


あなたには、辛い過去があるでしょうか?

まぁ、生きていれば辛い過去の一つや二つ……あると思います。

それを、思い出さずにいるかいないかの違いかもしれません。

また、「少し気づくのが遅すぎた」と悔やんでいる人も結構いるように感じます。

今回は、このような辛い過去をどう受け止めて、これからどう対応していけば良いかを考えていきたいと思います。

先日、罪悪感という動画でハイデガー(哲学者)の言葉を引用しました。

人生は有限

このような内容です。

残念ながら、死ぬことをまぬがれた人は今のところおらず、間違いなく誰もが死を迎えます。

そう思うことで、ハイデガーは勇気を出すことをオススメしてます。

確かに死には向かっているけど、日頃はそのことを考えず無限に時間があるように、勘違いをしているかもしれません。

だからこそ「明日でいいか」とか「今年は無理」などと、先延ばしにして、気づいたら「もう遅い」という後悔がないようにしたいですね。




あなたが傷ついた理由とは?



ところで、ちょっと質問をしたいと思います。

あなたの辛い過去についてちょっと回想してください。

どうしてあなたが傷つくことになってしまったのか、理由はわかりますか?

今回は、この「理由」というのがなんども出てきます。

この理由って、実はすごく大切なんです。

私たちに起きること、私たちが傷ついたこと、全て理由があるのです。

これを、あまり考えずにきた、もしくは考えるとつらかったのではないでしょうか?

ぜひ、タイミングを見て、先ほどの質問についてじっくり考えてみてください。

ただし、これは自分を責めるための質問ではありません。

また、誰かを責めるための質問でもありません。

正確に理由を思い出すことが重要なのです。

理由がわかれば、これから先同じような傷つきをしないようにできる可能性が高まります。


自分に起きたこと


例えば、視聴者さんのコメントを参考にさせてもらいます。

就職が決まり家から出ることになったけど、それを両親や兄弟が知り気を悪くして「家族会議」が行われたそうです。

そこで取り囲まれてひどいことを言われて、最後には「私が悪かった」というようなことを言ってしまい後悔している……というような内容でした。


きっと視聴者さんは、直接そう言われたかは別として、「自分が悪い」と言わされたのだと思います。

このようないじめのような場面を、冷静に振り返るのは、非常に難しいです。

でも、このかたのように、「私が悪かった」というようなことを言ってしまい……というように自分を責めるような形で、記憶に残ってしまうと、トラウマになりやすいです。

もしかすると、このかたの家では常に視聴者さんが「悪者」のような扱いを受けてきたのではないかと思います。

そうすることで、かろうじて均衡を保つという機能不全な家族なのかもしれません。

だから、最後の最後までこの方を悪者扱いして、「私が悪かった」とまでいう羽目になった。というのが正確なところではないでしょうか?

その時、どんな気持ちだったでしょうか。

周りは敵だらけ、誰も自分を守ってくれないし、鬼のような顔をしてこちらをみている。

考えただけで恐ろしいですよね。

ぜひ、ここまで思い出して欲しいのです。

そして、そんな自分にどんな声をかけてあげたいですか?

私なら

「よく耐えた自分!」

「そりゃ家出るわ」

「わかる!」

このような気持ちが本音ではないでしょうか。

これが、自分の感情を大事にするということです。

ここで、いつもの自己犠牲的な思考が働くと、「やっぱり失敗した」とか「言わされてしまった」というような後悔がつよく残ってしまいます。


自己犠牲を止めるには?


自己犠牲って、「嫌なことを我慢」している状態です。

多くの場合、良い悪いなどの二極化といったり、二分化と言ったりしますが、このように「どっちか」という思考が強い親などに育てられた人に多いです。


また、その基準が

自分の感情 < 思考(世間体 ルール べき など)


自分の感情よりも、ルールなどを重視するので、当然嫌なこともやることになります。

それこそが、自己犠牲です。

親などの支配者にとって、これが一番楽な支配の方法なので、それに従う人を「可愛い」と思い、従わない人や自分がある人を、「可愛くない」と判断します。

先ほどの視聴者さんは、後者ではないでしょうか。

それでも、最後までこのご家族は、その人の気持ちよりも思考を重んじて、支配を続けたということです。

いや〜本当に大変なことでした。想像しただけで身の毛がよだつような感じがします。


ただ、今の自己犠牲的な考えのままだと、職場などでも同じような人を吸い寄せてしまう危険があります。

だから、これから自己犠牲をやめていく必要があります。

そのためには、先ほどの


自分の感情  思考(世間体 ルール べき など)

ではなく

自分の感情  思考(世間体 ルール べき など)

こうしていく必要があります。


簡単にいいますが、自己犠牲で生き延びてきた人には、至難の技とも言えます。

では、自分の感情を大事にするとは、どういうことでしょうか?


自分の感情を大事にする


あなたは、初対面の人が目の前に現れた時、どんなことを考えますか?

「どこどこに勤めているなになにさんか……」とか「この人なんか苦手……」とか「気が合いそう」などいろいろでしょう。

特に、2つ目と3つ目のような、気があうとか、苦手などの直感は実はすごく大事です。

でも、前者のようなどこに勤めているかなどを重視する人は、いつのまにか直感が鈍くなっている可能性があります。

そうなると、ちょっとだけ苦手だと思っても、それをすぐさま「ダメだ」と否定してうまく適応しようと勤めます。

よく「自分の気持ちがわからない」と悩んでいるかたは、このような思考を繰り返してきたからではないでしょうか。

今、まさに思考と言いましたが、まさに感情ではなく思考を重視する生き方です。

きっと思考を重視したほうが、周り方のウケは良いと思います。

それだけ思考で生きている人が多いのです。

思考を重視する生き方は、一般常識やルール、世間体、その土地の文化、慣習などから、考え方とか行動を決めるという方法です。

ただ、これがあまりにもつよくなってしまうと、感情が置き去りになってしまいます。

すると本当は嫌なのに、周囲の望むような行動が多くなる、つまり、自分の感情をないがしろにしてしまい、結果的に自分を大事にしていないということになってしまいます。

また、最初は「世間体とか嫌だ」と思いながらも仕方なく従っていたことが、それに慣れきってくると、今度はその嫌だった部分に、執着とか依存をしてしまいます。

これが独特の「こだわり」になって、あなた自身が世間体などに反することを毛嫌いしたり、世間体など気にせずに気ままにいきている人が、許せなくなってきたりします。


また、先日「自分を守るための方法」でも言いましたが、このような生き方をしていると、ルール違反者を探すような感じですから、常に他者を見張っているような状態です。



このようないきかたを「他人軸」といって、「あの人はこうしたからダメだ」というように常に他者のことが気になります。

その意味するもっと重要な点は、自分のことがおろそかになってしまうことです。

つまり、自分に起こっていることを、正確に把握ができなくなってきます。

例えば、ルールに従ってはいるけど、実は犯罪者だったというケースなどは、他人軸の思考の人からすると「ルールに従っている人だからOK」ということになります。

でも、自分の気持ちを大事にする人から見たら「なんかあの人変だ……」という気づきがあるかもしれません。

 このように本質を見逃してしまうので、問題が起きやすくなるのも事実なのです。

よく、ニュースなどで、犯罪を起こした人のことを、近所の人が「まさかあの人が……」などと言いますが、これはちゃんとその人となりを見ていなかったから、このような勘違いが起きているのだと思います。

つまり、自分の気持ちを理解して、それを信じられるということは、世間やルールというフィルターを通してしか、人や起こっていることを理解できない人よりも、ずっと安全だということです。

ここまで聞いて、あなたはこのような疑問が湧いてきませんか?

「自分の気持ちはわかったけど、自分の気持ちを大事にしてたら勝手だと言われて、無視されるかも?」などです。

確かに、今まで自己犠牲で生きてきたのですから、そう思うのは仕方ありません。

でも、そのようにあなたを仕向けてきたのは、あなたの支配者だったのです。

もし、今後はこのような人と仲良くしたくないなら、なおさら自分の気持ちを大事にして、ルールなどの信者である支配者から、嫌われた方が良いのです。

もし、上司がそんな人なら?

その場合は仕方がないので、漫画の遠くを見るような目で上司をみてください。

ただ、これだけは覚えておいてください。

「他人はわかってくれない」ということです。

そもそも、他人はわかってくれるという考えを、いますぐに捨てる必要があります。


これは人を避けろとかそういう意味ではありません。

他人が自分のことを100パーセントわかってくれるなど、ありえないのです。

なぜなら、あなたの人生や生活を、100パーセント知っているはずがないからです。

これを願うと、当然ながら願いは叶わないので、苦しみが生まれます。

でも、一人だけあなたの人生や生活を、100パーセント知っている人がいます。

それは、誰でしょうか?

まさしく自分……なのです。

だからこそ、自分だけは自分の気持ちを理解して、味方になってあげることです。

でも、そうならば、つらい過去を負わせた相手に、そのことを言っても仕方がない、と思うかもしれません。

いえ、そういうタイミングがあって、あなたが伝えたいなら、別に言っても構わないと思います。

でも、さっきも言ったように、いくら細かく伝えたとしても、相手からの最上のお返事とか理解は期待しない方が良いです。

これは、この先もそうですが、相手に理解してもらおうとすると、さっきも言いましたが、常に他人を意識して、時には自己犠牲をしてまでも、良く思われたくなります。

その生き方こそが、つらい現実を作っていることに、気づくことが大事なのです。

いかがでしょうか。

自己犠牲を止めること。

自分の気持ちを大事にすること。

人生を変えるならば、これを意識してください。

そして、それをよく思わない人は、支配の関係で犠牲になった人だと思ってください。

そうすれば、このような支配など関係のない人が、見えてくるようになります。


これからやっていくこと


最後に、これからやっていくことを、簡単にまとめます。

1.自分を守る方法を知ること

2.自分を愛する方法を知ること

3.幸せになるための努力を始めること

このようになります。


1.自分を守る方法を知ること


こちらの記事でも言いましたが、あなたを傷つける人を分析して、距離を保つことなどを意識してください。

そして、できたら初対面でも気づけるように、自分の気持ちや直感を大事にして、頼りにして信じることです。


2.自分を愛する方法を知ること

自分に起きたこと、またどうして傷ついたのかなどの「理由」を極めてください。

自己犠牲的な解釈が入ってないか?

昔の犠牲者としての思考が入ってないか?など

そして、自分の気持ちを理解して、積極的に励ましたり癒したりするのです。


3.幸せになるための努力を始めること

他者から理解されるための努力は、今日でおしまいです。

だって、他人はあなたを100パーセント理解できないからです。

100パーセント理解できるのは、自分だけです。


いかがでしょうか。

考えてみたら、つらい過去と言いましたが、そのつらさは、現在にもつながっていることがわかりました。

つまり、現在の自分を幸せにしてあげられたら、過去の自分も救ってあげることができるのです。


以上で、終わります。ありがとうございました。

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