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2021年4月21日水曜日

幸福を恐怖に感じて拒否してしまう理由

 




あなたは、自分が本当にしたいと思っていることなのに、なぜか失敗したりするような行動をしてしまい、あとで反省するというような繰り返しをしてないでしょうか。

もしかすると、うつ症状とか強迫行動なども、原因はこれかもしれません。

本来は、「私はうつだからこのような症状が出る」と考えます。

でも、実はタイトルのような「幸福」とか「成長」を邪魔するために、奇妙な行動として、うつ症状とか強迫行動などが出現していると、逆に考えると妙に納得できませんか?

このように、実はこっそりとあなたを幸せにしないように働いている、謎の正体について考えたいと思います。


人間の謎



私たちにはおかしな特徴がいつくもあります。

先ほども言ったように、なぜか失敗してしまうとか、大切な時に限って……というのは、きっと無意識からの指令だと思います。

無意識とは、自分でも意識されてない領域ですが、ここには自分の本心とかが隠れています。

ただ、本心だけではうまく生きていけないと思って、意識では人に合わせたりして生きてます。

ただ、このギャップが大きくなると、人間は生きづらくなります。

当然ですよね。同じ人間なのに、思っていることとやっていることが、全く違うのですから。

それでは、本心に従いさえすれば良いのかというと、それもそんなに単純ではなくて、本心にもいろんな勘違いが含まれています。

例えば、長い期間繰り返されたことによって、その人の本心が書き換えられるような感じです。

後天的に学んだ生き方というような感じです。

これが、司令塔となって意識さえもを動かすということが起きます。

これが、自分でも意識してない失敗とか、幸せを避けるような行為です。


つまり、幸福を否定するプロセスとしては……

①「幸せ」と感じそうになる

②幸せを意識に上げないように、強い力が働く

③不調とか発作などが起きる


この3番が、私たちの悩んでいる症状だとすると、そこばかりに光を当てても、症状は良くならないとも考えられます。

例えば、手洗いとか家を出るときのチェックが強迫的な人は、結構いると思います。

多くの人は、「その症状をやわらげるには?」と考えますが、その理由がこのような「幸せ」や「成長」を拒否するものであれば、いくら強迫行為を止めようとしても中身は何も変わってないから、また症状は出るはずなのです。


つまり、人によって違いますが、このような流れだと思います。


①「幸福な事柄が起きる」と無意識下で認識する

      🔽 幸せへの否定具合によって

受け入れるのか、拒絶するのかを決める

  🔽                                    🔽

③喜ぶ          症状とか異常行動に出る

                            🔽

「私は幸せだ」と認識する 「私は不幸だ」と認識する(でも実は自分がコントロールしている)


このような心の動きになっていると、考えられます。


無意識の拒否をやめるには




では、幸せを避ける思考とか行動を止めるには、どうしたら良いでしょうか?

できたら、先ほどの幸せを認識しそうになったところで、逃げたい気持ちをなんとかなだめて「受け取る」勇気を持つことです。

もちろん受け取るからには、そのあとに、今までとは違う「周囲からの嫉妬」とか「支配者からの支配」などによって、面倒なことも起きると思います。

この嫉妬や支配に対する恐怖こそが、人を病気にまでさせるほどの力があったのではないでしょうか。

つまり、嫉妬や支配に立ち向かうよりも、病気や異常行動によって、不幸を選んできたのです。

動画で言ったように、反省とはこのように自分を責めることではありません。

ただ、ただ、今までの自分を振り返ることです。

「あー私はこれほどまでに、嫉妬が怖かったんだ」

「支配者にどう言われるか、どんな邪魔をされるかを考えると、何もしない方が良いと思っていたな」

などなど……

今までの反省は、支配者に従わなかったことによる、罰でした。

それは支配者の都合であり、あなたには何のメリットもなかったはずです。

でも、本当の反省は「自分が自分らしく生きてるか」を内省することです。

それには「自分はこうしたい」「こう生きたい」という気持ちを大切にすることなのです。

支配者の中には、自分の寂しさを満たす存在として、人を利用することもあります。

そのためには、自分の元から離れる可能性のある 対象者との関わりを、「全て絶ってしまえ!」とまで思う人もいます。

子供が付き合っている人を、全て「ダメだ」と却下する親などは、当てはまります。

これも、実は親自身も幸福を拒否する思考や行為をしているのです。

だって、こんな理不尽な扱いを真に受ける人は、そうそういないからです。

大抵は、愛想をつかして、奇妙な行動に出る親よりも 恋人の元に行くでしょう。

それは、自分を大切にすると言うことです。

それでもうまくいっていたのは、その人の言うことを聞く存在があったからではないでしょうか。

ここに、不均衡が生まれます。

自分がしている不幸になるための思考や行動が、相手を成長させない(変化させない)という成功をもたらした……ということです。

その成功体験に、酔いしれて 夢中になっているのかもしれません。

どっちにしても、これはいつかは崩れるグラグラの土台なのです。


まとめ



このように、生き方を変えることで、周囲や支配者からの反対、拒否はあると思います。

結局一般的な人は、どんな立場になったとしても、自分が誰よりも一番大事で、自分よりも幸せそうな人がいると「許せない」と感じるのかもしれません。

もしかすると、今まではそれを先回りして、自分が真っ先に幸せを拒否して、攻撃されないように防衛していたのかもしれません。


その思考や行動が、果たして自分を成長させたのか、または、それが自分にとっての本当の喜びなのかを考えると すぐに「違う」と言う答えが出るような気がします。


結局、自分の課題は誰かにやってもらうことはできないように、他者の課題もその人がやるしかないのです。

それは、死ぬ直前であってもです。

もし、それが無理なら来世に持ち越すしかないはずです。


ぜひ、幸せを選ぶならば、その選択による痛みを むしろ積極的に受け入れてください。

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