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2020年12月18日金曜日

自分のために「愛のある母親」を演じること

 



よく動画でいただくコメントなどにこんな内容があります。


「母親は、私のことを反抗もしないしすごく育てやすかった」と言われたけど・・


このようなモヤモヤした気持ちを、抱えたことはないでしょうか?

この場合、母親は「自分の目線」だけで子供を見ていることがよくわかります。

もちろん、反抗しなかったり、自己主張が少ない子供は、育てるのに楽かもしれません。

でも、それはあくまでも自分にとって都合が良かっただけで、この母親は実際には、子供のことを見てないように感じませんか?




子供を育てるのに一番必要なこと

子供を育てるのに、一番必要なのは「愛を持って見つめること」だと多くの研究者が言われます。

「見るだけでいいの?」と思ったかもしれませんが、「余計な手出しをしない」ということと、「愛を持って見つめる」ことが大事なのです。

いくら世話をしてもらっても、その顔が鬼のような顔ならば、ゾッとすると思います。

例えば、あなたも好きな人から何かをもらうよりも、あなたが料理などを失敗した時に、慌てるあなたを見て、とても嬉しそうな、とても楽しそうな顔をされた方が、ずっと嬉しいと思いませんか?

これは、「あなたが失敗しようが何をしようが、私は好きですよ」というメッセージが込められています。

このように、理想的なのは手出しをせずに暖かく愛を持って見守ること、が人を安心させるのに、とても役立ちます。

まさに安全基地です。

もし、あなたがいつも失敗しないようにビクビクしているなら、そこは安全基地ではないと思います。

また、このサイトに来る人たちは、ほとんどがその感覚を味わうことなく大人になり、安全基地がどんな場所か知らないまま、生きづらさを感じていると思います。



母親の価値観を内在化

また、いつまでもこのような愛着の問題が解決しない理由の大きな一つは、その事実やその時の本当の感情を「認められない」ところから来ると思います。

よく話しますが、私たちの価値観は、当然ですが母親などから受け継ぐことが多いです。

でも、その母親があなたにとって「不信感」を抱く対象であるなら、その価値観を受け継ぐことは難しくなります。

これは、不信感を持った人を信頼できないのと、同じ意味です。

その対象が、残念ながら養育者だったということです。

でも、多くの人はこの選択に迷った時に、母親の価値観を選びます。

そうしないと生きて来られなかった「幼児期の記憶」が、そちらの選択を後押しをします。

その価値観は、きっと母親にとって都合の良いものでしょう。

そして、せっせと母親の欲望を満たすための努力をし、失敗をしたら嫌な顔をされたり「恥ずかしい」とまで言われることもあるのです。

これは、理不尽だと思いませんか?

また、あなたは冷静にしているかもしれませんが、心の中は非常に複雑です。

つまり、自分の中で「自分の本心・・・悲しい、寂しい、助けて欲しかった」などの思いと、全く逆の「母親から要求される価値観」が、まさに今、喧嘩しているのです。

怒りや敵意、疲労感などは、心の中で大げんかしているからです。


この喧嘩をやめさせないと、いつまでも葛藤は続きます。

・・・それが難しいのですが。。

自覚があるかないかの違いは大きい

また、このような関わりをしてきた母親などが、そのことに「どの程度気づいているか」って、実は非常に重要だと私は思います。

つまり、自分が悪いことをしている自覚があるか、ないかです。

人によっては、世代間を通じて粗野な人たちの中で、まともに養育されずに育ち、感情の表現が荒ぶっていたり、怒りやすかったりする人もいます。

ただ、いくら変な親でも、子供はそこに少しでも愛を感じたら、それを正確に見抜くことができるのです。


あなたはどうでしょうか?

ぜひ、子供の頃を思い出してみてください。

ただ、問題はこのようなタイプです。

そこに愛はないけど、あたかもあるように外面的なところで振る舞う人です。

これは、最初のコメントの話でもありましたが、「自分のため」に愛のある人を演じている可能性があります。

いつもは子供に全く興味がないのに、行事とか出かける時だけ優しいという態度になります。

「優しいお母さんですね」

「あなたは幸せですね。こんなによくしていくれて・・」

これを言われたい病気のような人は、実際にいます。




代理ミュンヒハウゼン症候群

実際に、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という症状もあるほどです。

これは、病気の子供を介護する姿を見て、周りの人が褒めてくれるのを求めて、わざと子供を病気にさせるような、親の症状のことです。

一時、アメリカでこのような事件が相次ぎ、社会問題化してました。

それほどまでに、親などもまた「褒められたい欲求」を抱えているのかもしれません。

でも、それは親自身の問題であり、子供はそのために利用されているのです。



このような問題が複雑なのは、親自身もどこかで「自分に非がある」とわかっていながら、それに取り組むことをせずに、取り繕う(隠す、表面上は見栄え良くする)ことにエネルギーや時間を使ってしまうことが問題なのです。

これは、嘘に嘘を塗り重ねると同じことで、解決とは反対の方向へ向かっているように感じます。

罪を認めた上で、それでも再犯を繰り返すようなものでしょうか。

しかも、被害者である子供には「黙っていろ」ということですから、タチが悪いと思います。

でも、さっきも言ったように、子供の目だけはごまかせないのです。

だからこそ、子供は何もかもわかった上で、共犯のような感じになっていきます。

それも、自分を傷つけるための共犯です。

そして、こんなことを繰り返すうちに、どんどん子供らしさや、その人らしさを失っていきます。



こうやって聞くと、「そりゃおかしい」と思ったと思います。

つまり、子供の頃の記憶は、とても正確であり、純粋に見ていた可能性が高いのです。

だから、人からの記憶などは無視して、あなたが当時に感じた思いなどを否定しないで、もう一度味わうことはすごく大事です。

それを止める権利など、誰にもないのです。



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