今回は、虐待とか過干渉などの行きすぎた関わりや暴力などとは、ちょっと違うかもしれません。
どちらかというと、幸せそうな家庭でありながら、中身が空っぽだったり、冷たい雰囲気があふれているような「偽りの愛」の話です。
つまり、見せかけは優しい母親、頼れる父親でありながら、中では全く違う顔を見せるような家族の中で育った人へお送りします。
もし、これよりももっとひどい身体的、精神的な虐待を受けたり、ネグレクトなどを受けて育ったと自覚がある方は、愛着障害の記事(新しいウィンドウで開きます)をご覧ください。
怒っている母親と心ここにあらずの母親
- 怒っている母親
- 心ここにあらずの母親
心ここにあらずの母親
「心ここにあらず」という言葉があります。
これは、一緒にいても他のことを考えているとか、表向きには向き合っていても、心はそっぽを向いているような状況です。
そっぽを向かれた方は、辛いですよね。
よく言われることですが、「子供は母親に対して絶対にそっぽを向かない」ということです。
これは、幼少期までの話ですが、どんなに辛い目にあっても、親を信じようと努力をします。
例えば、コメントでもあったのですが、母親についてずっと悩んできた女性の話を思い出しました。
なぜ、私を愛してくれないのか?という疑問がずっとあったのだと思います。
それは、最初に言ったように 「心ここにあらず」というのを、その方は感じたからでしょう。
何度も何度も確認して、それでも心がどこかに行ってると実感した・・・。
そして、ある日子供時代のことを話そうとしたら、母親は混乱してしまった。
その結果、それ以上話しが進まないまま、以前と同じような悶々とした生活を送っているということです。
自分が覚悟を決めて向き合おうとしたのに、それを拒否されるのは辛いものです。
でも、私はその母親こそが、誰よりも心に傷を負っていて、人生に絶望していて、ビクビクして生きているのだとイメージしました。
これは、母親を擁護する意味ではありません。
こんな状態のまま生きてきたんだな。という意味です。
このように、傷ついた子供が成長して、いつしか逆の立場になって、母親との関係を修復しようと手を差し伸べることがあります。
しかし、今回の話のように、それでも向き合わない親もいます。
このような事態をどう理解したら良いでしょうか?
「偽りの自己」のスタート
これは、どこの国でも同じようなものかもしれませんが、特に日本などは、母親に対するイメージが神聖化されているように感じます。
そこから外れると、人生も終わり・・というような感じです。
だからこそ、「何としてでも神聖化を守る」ことが大事になってしまったように思います。
これは、実際にそこにいるメンバーが「どう思うか」よりも、「どう思われるか」つまり、近隣や世間などの他者からの評価によって、人生が決まるというような恐怖に怯えているのかもしれません。
「よそはよそ、うちはうち」とは言い切れない家庭が育つ、ということです。
ただ、ある程度人生を生きてきた大人は、そういった演じるような生き方も、仕方がないと受け入れることができたとしても、子供は純粋であり、実はシビアですから、それを受け止めることはできません。
しかし、メンバーの心より世間様を大事だと思う大人は、強制的に演技を押し付けます。
それによって、子供は仕方なく迎合して、心とは裏腹の行動を取ることがスタートします。
これがボウルビィのいう「偽りの自己」のスタートです。
これは、最初こそ受け入れ難いですが、一度受け入れたら共犯みたいなもので、どんどん拒否するのが難しくなります。
これが、機能不全家族の始まりではないでしょうか。
そして、それを強要する親なども、同じような機能不全家族の中で育った可能性があります。
昔は、兄弟が多くて一人に構ってやる時間がなかったかもしれません。
ただ、子供の目は正確なので、それでも親の愛を感じれば、健やかに育ったはずです。
つまり、このような親もまた幼児期のどこかで、愛を与えられず、自分には価値がないと確信したはずです。
そしてそんな状態のまま年齢が来て、愛も知らずに、当たり前のように結婚をした。
その時も、愛を与えられることを知らないのですから、きっと結婚相手との間でも愛は育てられず、尽くしたりすることで、愛の取引をしていたと思われます。
そんな中で子供が生まれます。
愛をしらない親は、初めてペットを飼うように、訳も分からず世話をするという形で、愛を表現したかもしれません。
しかし、なんどもいっているように、大人にはそれが通用しても、子供には全てが見えてしまいます。
そこで、子供は養育者に愛がないことに気づいて、悩みます。
幼い子供には、まさか親自身に愛がないとは考えられずに、「自分のせいだ」と解釈をし始めます。
このように子供が自責の念を持つことは、心の成長を邪魔することになるので、普通なら違うと教えてあげるものです。
でも、自責の念を持つことで、自信をなくし、自由に発言や行動できなくなる・・いわゆる半分病気のような状態を好む親もいます。
なぜなら、自分の思う通りになるからです。
このように、子供は本来の自分を封じ込めることに必死になり、どんどん病んでいきます。
では、本来の子供とは、どんな欲求を持っているのでしょうか。
- 自分はどこかに所属していると感じたい
- 弱さをさらけ出しても受け入れてほしい
- 自分の感じることを共感してもらいたい
- 自分の欲求にあった助けや導きがほしい
- 誰かが後ろで支えていてほしい
- 誰かに模範になってほしい
- タイミングよく欲求を満たしてほしい
- 自分のことを尊重してほしい
- 自分は愛されている、大切にされていると感じたい
このほとんどが、養育者である母親か父親に求めるものなので、これを拒否されると、子供の気持ちは萎縮していきます。
中年期にふたたび現れる闇
ただ、成長するにつれて、成績を上げるとか、何かの賞を取るなどをして、自分の自尊心を上げていこうと、その道を模索することも多くあります。
小学生の高学年くらいになると、親の願いを達成することで、承認を得ようとし始めます。
このような努力をしてきた人は多いのではないでしょうか?
仕事中毒などもそうです。
ただ、このような努力は、ある程度は努力や熱量でうまくいっても、結果的にはうまくいかない場合も多いです。
なぜかというと、このような努力の目的は、親の愛を得るためのものであり、目的はそれですから、実際はやりたくないこと、嫌いなことなどでも、手をつけてしまいます。
そして、嫌なことですから、「なるべく早く結果を出したい」のです。
すると、途中の作業は雑になり、常に「結果、結果」と結果ばかりを求めるようになります。
中身が空っぽと自分を表現する人がいますが、このような生き方をしてきたのかもしれません。
そして、いつしか大きな挫折を味わいます。
これは、中年期などの体力の限界を迎えた時、やる気などが続かなくなった時などに、大きな挫折を味わって、立ち直れないほどになることが多いです。
ジュディス・ボーストの言葉です。
幼い頃に喪失を経験すると、その後の人生で出会う喪失に敏感に反応することが判明している。
つまり、中年期に肉親の死、離婚、失業などを経験した時、重篤なうつにおちいりやすいのだが、それは、自力ではどうすることもできずに、絶望して怒りに震えていたかつての子供である自分が反応を起こしているからだ。
このような傷をどう癒す?
中年期に肉親の死、離婚、失業などを経験した時、重篤なうつにおちいりやすい