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2020年12月29日火曜日

「見捨てられた体験」がPTSDになって何度も再体験をしてしまう理由

 



見捨てられ体験による傷は大きい


以前に、「喪失を乗り越える」という内容をお伝えしたところ、このようなコメントをいただきました。

「私は、死んだ人間に対して悲しいのではなく、相手が生きた人間だから辛いのです」というような内容でした。

確かにこの違いは大きいと思います。

では、なぜ死んだ人間から喪失するのと、生きた人間から喪失するのは、これほどまでに心の痛手が違うのでしょうか。

これを考えてみたいと思います。


例えば、すごく好きな異性と付き合っていたとします。


その人が・・

A.ある日突然、交通事故で亡くなった。

または

B.ある日突然、別れを切り出してきた(他に異性ができたようだ)。

どちらがショックでしょうか?


縁起でもないですが・・これはあくまでもイメージです。

きっと、正直なところ・・Bではないでしょうか。


理由は、「相手の意思があるから」です。

自らの意思で、自分から去ろうとしている、という事実は、死別のものとは全く違うと言えるかもしれません。

また、悲しみよりも「怒り」が強いことに気がつきませんか?

そう、見捨てられ体験は、強烈な怒りを生み、しかもそれを封印したことによる心の傷だと思います。

これは非常に嫌な体験ですが、なぜかこのような繰り返しをしている人がいます。

これには、ちゃんと理由があります。

理由は、このような見捨てられ体験を、ちゃんと解決したいという意思です。

だから、何度も繰り返しているのです。

これこそが「見捨てられた体験を再現する」ということになります。

なぜ、ここで「再現」と言ったかというと、お分かりだと思いますが、このような体験で強く動揺をする人は、以前に・・覚えてないならさらに幼い頃に「見捨てられ体験」をして、その傷を抱えたまま、あまり上手く治らずにここまできた可能性があるということです。


だから、大人になって「見捨てられ経験」で傷つくのは、昔の傷がウズウズしているからです。

これに気づくだけでも、今目の前で起きていることを、冷静にとらえることができるようになると思います。

考え方を見直すと、昔の傷を治すチャンスとも言えます。

ただ、その道のりは、傷をえぐるようにつらく、とても長いものになります。

それでも、そこへ戻ってしまうのは「そこを何とかしないと」と自分で気づいているからだと思います。

また、なぜこのような過去の傷を治す必要があるかというと、私たちが知らないうちにやっているおかしな行動や思考の癖に気づいて、なおす必要があるからです。

それは、依存と共依存の関係もそうです。

また、これは知らないかもしれませんが、「反復強迫」と言いますが、これをやっている可能性があります。

この反復強迫とは、フロイトが名付けたもので、人が何か困った時、混乱した時に、昔と同じような思考や行動を繰り返して、いわゆる「いつものパターン」に持ち込んでしまう癖です。


あなたも、例えば、誰かから去られそうになったことに気が付いて、あなたはまだ好きなのに、それでも自分から去るような癖があったりしませんか?

これってよく考えるとおかしいけど、自分を守っていることに気づきませんか?

しかもそのような行動を繰り返していませんか?


これも、子供時代から親に手渡された「生き方の脚本」を繰り返しているのです。

つまり、この脚本を捨てないことには、同じような経験を繰り返すことになり、あなたの傷はさらに深くなっていくのです。

だから、恋愛と失恋を繰り返している人や、職場などでいつも人間関係でもめてしまう、などを繰り返している人は、相手や環境の問題というより、その人にある「反復強迫」、もしくは「生き方の脚本」があなたを知らず知らずのうちに「いつものパターン」になるよう、操作しているのかもしれません。

これは、強迫性障害の人が、何度も手を洗わないと気が済まないように、人間関係の中で強迫的な思いを何度も繰り返していることになります。

これが人間関係への依存、つまり、共依存と言えるかもしれません。

ただ、手洗いの強迫的行為ならば、自分でも気がつくでしょうが、人間関係の中でこれが出ると、相手のせいにして「おしまい」となることも多いと思います。

大切なのは、このような自分を守る行為や癖の中でも、問題から逃げるためのようなものを繰り返す限り、また、どこかで間違ったと気づいて同じようなところに戻るという繰り返しをしていることに、冷静に気づくことが重要なのです。

気づけば、その先は変わってきます。



生き直しという作業


では、このような繰り返しをやめるにはどうしたら良いでしょうか?

当然ですが、幼少期の見捨てられをちゃんと思い出すことだと思います。

そして、その時の感情を味わいつくすことです。

最初にも言ったように、強烈な怒りもあるし、寂しさ、孤独、やるせなさ・・などです。

この感情を味わうことが抜けていた、もしくはあまりにも抑圧したせいで、感情の出し方やコントロールのやり方が、上手くできないのかもしれません。

イメージをするなら、自分の中の感情の容器があるとして、そこには古いゴミがいっぱいだったとします。

それを、感情を吐き出すことで、少しづつゴミが減っていくイメージです。

物理的に考えたら、当たり前なんですが、人間は心の問題は我慢しようとしてしまいます。

また、このゴミの排出作業によって、ある程度綺麗になってきたら、そこには空間が生まれます。

その空間こそが「空虚感」というのかもしれませんが、考え方を変えると、そこには好きなものを入れて良いのです。

人によっては、以前と同じような感情を入れる人もいるでしょう。

これは、繰り返しになります。

または、前と同じようなのは嫌だから、今度は心地よい時間とか、関係性などを入れようとするかもしれません。

これこそが再出発です。


また、見捨てられ体験によって、自分には価値がないなどと思ってしまった人は、どうやってこの自信のなさや空虚感を埋めていけば良いでしょうか?

これは、自分を十分に癒した後の話になりますが、あなたを見捨てた人の気持ちになって、理由は何なのかを考えてみることを、お勧めします。

これは、日記の中でも良いですし、エンプティチェア と言って、空の椅子に相手が座っていると想定して会話してみる方法もあります。



日記の場合

具体的には、日記ではよく、サイトなどで「吹き出し」を使って両者に会話をさせる方法があります。

これは、難しいことを理解するときに役立ちます。

これを、自分でもやってみることです。

例えば・・・

👩あなた「なぜ私を見捨てたの?」

🐱見捨てた人「それは、ーーーーという事情があったの」

👩あなた「ちょっと待って!ーーーーって私に関係あるの?」


このように会話形式にすると、相手の気持ちに対する想像力(共感力ともいう)が高まり、また冷静にお互いの関係を観察できます。

ただし、無理に理解しようとしないで下さい。

あなたの視点からイメージで良いのです。



エンプティチェア の場合

また、エンプティチェア の場合は、最初は定位置・・つまりあなたはあなたの席、相手は相手の席で、会話をします。

次に、今度は席を交換して、あなたが相手になり代わります。

どちらにしても、自分一人でやるのですが(汗・・・

これも日記と同じです。

👩あなた「なぜ私を見捨てたの?」(席を移動してもよし)

🐱見捨てた人「それは、ーーーーという事情があったの」(席を移動してもよし)

👩あなた「ちょっと待って!ーーーーって私に関係あるの?」(席を移動してもよし)


このように、どんな方法であれ、イメージで会話をすることで、相手がどんな気持ちだったのか、どんな状況だったのかが、うっすらと理解できるかもしれません。

それは、あくまでもこちらのイメージなので、事実かどうかはわかりません。

「実際に会話したほうが良いだろう」と思われた人は、試しても良いでしょう。

ただ、相手が心を閉じたままであれば、それは以前の繰り返しとなって、操作しようとするかもしれません。

それも承知ならば、試すのはありだと思います。


また、このようなイメージで会話するのは、相手を許すための行為ではなく、見捨てられによって失った「自信」とか「自己価値観」を取り戻すためのものです。

あくまでも、自分のためです。


でも、実際のところ相手の気持ちは、どうなんでしょうか?

もしかすると、なんとなく始めたことが、あっさりと上手く言ってやめられなくなった、というような理由なのかもしれません。

実はそれがやめられないというような、相手の課題が見えてくるかもしれません。

これも、人間関係によって自分の課題から回避しようとする、共依存的な思考だと気付けるかもしれません。

ぜひ、自分のためにイメージ会話法を、試してみてはいかがでしょうか。



再出発へ向けて

よく「どんな経験にも意味がある」と言われます。

今回のような見捨てられ経験を、当時まで振り返り、再体験をして苦しむことに、何の意味があるのでしょうか?

私は・・「もうこんな人に捕まって、苦労しないように、人を見る目はつけないとダメだよ」という意味ではないかと考えています。

もちろん、幼少期の出会いは、何もできない子供が、必然的に与えられたものであり、それを拒否することは「死」を意味するものになります。

でも、これからの出会いは、自分の意思であり、例えその人から捨てられたとしても、あなたは死ぬわけではないでしょう。

この違いは大きいです。


ただ、ここで疑問が出てきます。

「世の中にはこんな闇の部分を知らずに、キラキラと笑って生きている人がいるのに、なぜ私だけ?」という疑問です。

これは、私の主観ですが、魂のどこかでこのような体験をしようとしているのではないかと感じます。

ちょっとスピリチュアルな感じになりますが・・。

例えば、占星術などでは、1年の運気とか、10年の運気、などがあります。

この運気というのは、山と谷を交互に波乗りのように繰り返していくイメージです。

その周期が、谷の位置に当たる人は、苦労や闇の部分の多い体験をすることになります。

また、山の部分の人は、太陽の下でどんどん成長し、活躍します。

これは、どちらかがずっとその状態なのではなく、繰り返すということです。

今は、その断面の一時期だと思ってください。

谷の時期には、苦難もあるし、悩んだり考えることも多いのは当然です。

それが、次の山の時期に繋がります。

だから、谷の時期にいる人は、あせらないで下さい。

今は、内面にいろんなものをためているはずです。

それは、次に来る山の時期、そこで再出発するための準備だと思います。

だから、何か嫌なことが続いたとしても、それが自分の責任とか、ずっと嫌なことが続くと思わずに、「今は谷の時期だ」と理解することが真実に近いように思います。


まとめ

あなたがいつも嫌な目にあう、人間関係が最悪と思うなら、そこには「過去の繰り返し」という作業を、半分「強迫的」に行う癖におちいっていたと、気づくことではないでしょうか。

それは、幼少期の見捨てられ体験が、自分の中では解決できておらず、そのためか、何度も同じような場面を自分で作って、再度体験して解決しようとする、無意識的な心の動きなのかもしれません。

ぜひ、このような自分の中からの本気のメッセージを受け取って、自分の課題に向き合ってみてください。


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