先日、動画でスピノザの思想をご紹介したら、コメントや視聴回数など、すごく反応がありました。
確かに、スピノザという哲学者はとても魅力があると感じます。
スピノザの人生と信条
確かに彼の人生は波乱万丈だったようです。
動画でも言いましたが、ざっと挙げるだけでも……
- 好きな女性に振られて一生独身
- 家族は母親 父親 育ての母など次々に先立たれ
- 父親から引き継いだ事業は失敗して倒産し
- 宗教批判で破門され、住処も追われて隠居生活
- 生きているうちに出版したのは2冊だけ
- 目立つと捉えられるので 隠れて生きる
- 44歳という若さで病死
このように、様々な人生の挫折を味わっているような気がします。
そんな彼のいう「よりよく生きるための条件」は、
喜び
と
欲望
ということです。
欲望というと、お金が欲しい、不動産が欲しい、若くて可愛い女性が良い……などと自然に出てきますが、スピノザはこのような物質的なものとか、生理的な快楽などは違うと言ってます。
なぜなら、このような欲望は手に入れてもすぐに飽きたり、使いこなせなかったり、もっと別の欲望が出てきて、最終的には自分を不幸にするからです。
確かに、お金や不動産などがある人は、減らさないように必死になり、死ぬ前に苦労して、その人が死んだ後も、嫌な思いをする人も増えます。
また、若さなども時間とともに劣化していくと考えるなら、手に入れた時がピークで、そのあとは幸福度は減っていうということになります。
だから、スピノザのいう欲望とは、「自分への期待」とか「自分の伸びしろ」などと解釈したほうがわかりやすいかもしれません。
つまり、自分から離れない「知識」とか「感情」「感じ方」「思考」などをよくしていくという欲望です。
また、ここで「自分への期待」とか「自分の伸びしろ」と、「自分」を強調したのは、これを他者に求めるとたちまち不幸になるからです。
なぜなら、他者は思い通りにはならないから、つまりロボットではないからです。
だからこそ、それぞれが自分の幸福のために努力すれば良いのであって、他者を使うなんて「とんでもない」ということだと思います。
確かに、自分の幸福のために苦労している他者がいるとしたら、それを想像するだけで不幸になりそうです……でもそれを「尽くす」とか「愛」と言って請求する人は多いです😞
受動性は不幸を招く?
また、今の話に近いですが、スピノザは誰かに従って生きるという「受動性」は不幸を招くと言います。
例えば、辛い出来事をそのまま「受動」すれば、つらいままですが、そこに反対の意味である「能動性」を加えると、人生が変わるということです。
自分から喜びになるようなことを見つけることが、能動性です。
そういえば、私たちは外部からくると思われる嫌な感情などのせいで、身動きできなくなっている時間が多いのかもしれません。
それを切り替えるのも、「外部からの援助しかない」と思えば、そこで待っているしかない。
でも、そこを自分の足で立ち上がるならば、その瞬間から「何か」が始まると思います。
このようにスピノザは、喜びをどうやって増やしていくかをすごく重要視しました。
逆にいうと、悲しみに浸ったままだったり、悲しみを怒りや憎しみに変えて、ふつふつとしていることは、エネルギーの消耗に過ぎないということかもしれません。
エチカの最後にこのような言葉を、スピノザは残しています。
私がここに示した道は、とても険しそうに見えるかもしれない。たとえそうだとしても、それでもこの道を見つけ出すことはできる。そして、確かに、稀にしか見つからないものには、簡単に近づけるはずがない。なぜなら、もしもの救いの道が私たちのすぐ手の届くところにあって、大した苦労もせずに見つけられるとしたら、どうしてほとんど全ての人から捨て置かれるようなことがあり得ただろう。実際、高貴なるものは皆、稀有であるだけに近寄りがたい。
自由は情念からの解放である
また、スピノザは自由について、一つは「必然性の認識」そして、もう一つは「情念からの解放」と言います。
「必然性の認識」は、少し難しいですが、神しかこれを成し遂げられないと言います。
そして、二つ目の「情念からの解放」について、少し説明します。
つまり、自分がやっていることの原因を自覚できる人は、自由な人間だということです。
逆に、自分がやっていることを「誰かにやらされている」と思っている人は、当然ですが不自由な人となります。
難しそうに聞こえますが、実は当たり前のことで、自分でやっていること、自分の人生を「誰かにやらされている」と考えるなら、この先も「誰かに良くしてもらわないと自分の人生はずっと不幸」という方程式になってしまいます。
でも、自分のやっていること、自分の人生を「自分で選んできた」と考えるなら、この先も「自分で変えていくことができる」という思考に結びつきます。
それでも変化しないのは?
このような考えは、学校で教わるはずもなく、親などが熟知しているはずもなく、どこかで私たちが路頭に迷って、運よく(?)良い知識などに出会って、それが私たちの心に留まると、知識が自分のものになって、行動や思考に変化が訪れます。
幸い、知識は以前よりもずっと入手しやすい状況です。
電子書籍などですぐに手にも入れられるし、安いものも多くあります。
ただ、意外にも人間はそのような情報すらも、頑なになって避けている人が多いのかもしれません。
実際に動画などで反対のコメントなどをもらいますが、これはすごく重要なサインなのです。
きっとその人にとって重要な内容だからこそ、心の中で強い「抵抗」が起きていることに気づけば、その人はそれを起点として変化していくのだと思います。
外部にではなく、常に自分の心を焦点にして考えることです。
外部や他人の干渉などは、放っておけば良いのです。
それができないのは、きっと「変わるな」とか「考えるな」という他者からの情念もしくは、観念などが、内在化しているのでしょう。
そして、必死に自分が変わらないように、抵抗しているはずです。
まずは、それに気づくことです。