「否定中毒」とは、自分では何も挑戦をせずに、挑戦する人の揚げ足ばかりをとって、「あれもダメ」「これはやったらダメ」などと上からモノを言う人のことです。
パッと思い浮かぶのは、評論家タイプの人です。
「もう歳だから」と言い訳をつけて、何もしないで人に注文する人も当てはまります。
または、会社で管理者のようで批判家になっているような人も、当てはまります。
また、家で子供の挑戦をことごとく妨害する親なども、当てはまります。
このような人は、自分が挑戦することはすでに諦めているので、失敗の可能性はないので、「お前もな」と突っ込まれる危険はないのですが、どこか虚しさがあります。
なぜなら、すでにご隠居のような生き方をしているからです。
仕事の現役は引退したのかもしれませんが、生きている限り 人生では現役でないと、その後の人生はつまらなくなってしまうでしょう。
そして、自分で「挑戦しない生き方」を選んだにも関わらず、それではあまりにも暇なので、人に絡みつきます。
しかも、褒めていると相手ばかりが持ち上げられるので、否定することで「どうだ?先に気づいた私は偉いだろ?」となるのです。
こんな人は、自分を一度俯瞰してみるといいと思います。
でも、今の日本は「現役引退」の人ばっかりかもしれません。
動画で「妬み」をテーマにしましたが、日本は「妬み社会」です。
言葉を変えると「出る杭は打たれる社会」です。
これは、どこでもそうです。
日本人が慎ましいと言われるのは、妬まれることを最初から防衛しての態度から来るとも考えられます。
すると、「目立たず」「周囲に合わせる」ことが重要になって、「挑戦は面倒だ」となって、創造的な才能を引っ込めたり、自分でも重要だと感じないので、才能に気づくこともなくなってきます。
つまり、才能が退化して淘汰されていくのです。
このように、「目立たず」「周囲に合わせる」と言うような防衛的な態度は、「非生産的」です。
その場をうまく取り繕うことはできても、創造的に何かを作り出すとか、新しいことをやってみると言うような「生産的」な行為とは真逆なのです。
「それでもお給料がもらえるなら、それでいい」と言う意識が、蔓延してる気がします。
それでも、最後の最後には「私の人生なんだったんだ?」と思うように思います。
ところで、生き方とか品性とか……人間の基本的な姿勢として、ウェイトリーの「自己尊重の段階」をご紹介します。
1.自己尊重のレベルが【高い人】
・内面的人間
重要な判断は、他者に聞いたりせずに自分の内側の声(ハイヤーセルフ)を信じます。
⒉自己尊重のレベルが【中くらいの人】
・物質主義者
言葉の通りですが、自分の持っているお金やモノが、自分の価値を決めると言う考えです。持ち物などを見せびらかしている人や自慢をする人です。
3自己尊重のレベルが【低い人】
・詐欺師
他者から盗み取ったものが全て、それこそに価値があると思う人です。依存する人なども当てはまるかもしれません。心理的に自分で立つ(自立・自律)のをやめた人もそうでしょう。
こう考えると、例えば同じ職場にいても、物質主義者的に生きている人もいれば、実は詐欺師的に生きている人も、意外に多いような気がします。
これは、生きる姿勢であって、自分にしかコントロールできないので、歳を重ねると余計にその差は広がっていくと思います。
また、別のレベルの人が、他のレベルの人を侵食していくのが一番、面倒だと感じます。
でも、それが通用するのが、移動しにくい関係性である職場や家庭なのだと思います。
最初に言ったような、自分は何もしないで否定ばかりするような「否定中毒」の人は、心理的な詐欺師のように思います。
そんな人が「立派」だと言われている世の中なのかもしれません。