反復強迫とは、過去にトラウマの原因となった対象や出来事を、本来なら遠ざけるものですが、反対に同じような体験を求めているかのように、そして強迫的に……後ろから追い立てられるように繰り返してしまう試みです。
親から言われて傷つたことを、子供にも同じように言ったり、父親のような人は嫌だと思いつつ、いつも付き合う人は父親そっくりだったりするのも反復強迫と言えるでしょう。
なぜ、辛い結果が訪れるとわかっているのに、私たちは反復強迫をしてしまうのでしょうか。
今回は、「他人が気になって仕方がない人たち」の一部を引用します。
なぜ、人は罪悪感と生まれ育った「原家族」の状況を再現したいという、内なる欲求をもつのでしょうか?原家族が苦痛を与えるものだったにもかかわらず(子供自身、苦痛を与える場所として覚えてないとしても)、なぜ、その痛みを繰り返し受けるようなことを自分からしてしまうのでしょうか。
第一の理由は、もしも自分が生まれ育った状況をもう一度再現できるなら、私は今度こそちゃんとそれを正しくやれる、痛みを癒せると無意識に考えてしまうからです。
共依存者には時間をさかのぼり、過ちを正したいという強烈な欲求があります。
私たちだれもが、過去をやりなおしたいという欲求をある程度はもっています。こういった気持ちはありふれたものですし、それ自体は悪い願望ではありません。私たちは過ちから学び、正せるものは正します。けれども共依存者は、これを極端なまでに実行するのです。もともとの問題を正さなければいけない、もともとの傷を癒さなければならない、といういうのです。
第二の理由は、ひどい家族になってしまった原因は私にあるのだから、私は罰せられなければならない。痛みを感じて当然だ、と考えてしまうからです。私たち治療・救助者は、「あなた自身がこうした問題を引き起こしてるんですよ!痛みしかももたらさない状況に、あなたが、あなた自信を故意においているんですよ」といいたくなることが、たくさんあります。でも、それを私たちの口からはいわないようにし、患者自身が気づくようにしむけるのです。
あやまった罪悪感に対する償いをした、という隠された欲求の他に、共依存者は実際にみじめさにとらわれていることがあります。共依存症の主要な症状の一つは、不健康なのめり込み行動「嗜癖(アディクション)」ですが、共依存症者は、心的な苦痛に嗜癖することもあるのです。どれほどみじめであろうと、すくなくともそれは慣れ親しんだものです。苦痛の中にも心地よさがあるのです。
第三の理由は、安全な場所へのあこがれがあります。
原家族は、実際には安全なものではなかったかもしれませんが、それでも共依存者にとっては子供時代の避難所……その幼い人間が知っていた唯一の安全な場所……だったのです。
苦痛に満ち、みじめで、生命がおびやかされることさえあっても、その人間関係は、唯一の安全な場所なのです。共依存者にとっては「これが家族だ。これはもう一度あやまちを正すチャンスなのだ」と見えるのです。
こうして共依存者は、二度と我慢すまいとかつて誓ったのと、まったく同じ人間関係におちいります。昔からの同じ物語が、何百万というバリエーションをつけて、何度も何度も繰り返されるのです。
(途中略)
自分の原家族を再現したい、という欲求は、共依存症者の中では想像もつかないほど強力です。パートナーが反復強迫の性向をもっていないときでさえ、家族を再現するのに必要なようにとらえられるのです。これは共依存症者がおちいる恐ろしい罠です。
(途中略)
今はあなたにも、あなたの過去がどれだけあなたの現在をガッチリと掴んでいるか、お分かりになるでしょう。人はだれしもその人独自の歴史によって形作られているのです。
いかがでしょうか。
確かに、自分を痛めることで原因不明の罪悪感を償うと言った考えは、共依存者の多くがもっている特徴かもしれません。
また、一番のような「どこかでやりなおしたい。今ならできる」というのも、多くの人が陥りやすい罠だと感じます。
特に、自分が幸せだと感じた時に、「今までの負の歴史は嘘だったと思いたい」という欲求が出てきて、せっかく掴んだ幸せも握りつぶされてしまうようなことも、あると思います。
このように不幸な時期は辛いですが、それ以上に気をつけたいのは「幸せと感じた時期」です。この時期は非常に脇が甘くなります。すると、以前のままの共依存の支配者は、するするとあなたの中に、また入って来るのかもしれません。
幸せだと感じても、冷静に現実を見る目は鍛えておかないと、です。