このブログを検索

2021年8月13日金曜日

「怒りの矛先」が重要ーヒトラーの受けた「闇教育」ー



 この動画では、ヒトラーの生育歴などを探ってみました。


やっぱりというか、ヒトラーに限らず「怒り」などの感情に囚われている人は、わかりやすいです。

表情、言動、などが「怒り」と「憎しみ」に支配されているからです。



ヒトラーの考えた「大衆心理」


特に彼らのように、カリスマ性があって、統率力がある人は多くの人に影響を与え、巻き添えを作ってしまいます。

ヒトラーは大衆心理についてこう述べています。


大衆心理はなべて中途半端なもの、弱いものを嫌う。

女は抽象理性の声に従わず、定識なくフラフラと、自分に欠けている力を具現しているものに従って物を見、判断するものであり、したがってまた、弱者を自分が支配するより、自分を支配する強い者の方を選ぶ。

そのような女と同じく大衆というものも自分たちに頭を下げるものよりは支配者を好むし、他の考え方を許さぬ教えの方が、進歩的自由を与えられたりするよりもずっと彼らの内面生活に落ち着きをもたらす。

自由主義思想など与えられても大衆はそれをどうしたらいいかわからず、しばしば自分たちが放り出されてしまったように感じるのだ。

自分たちの精神が恥知らずな力づくのやり方で支配されていることなど大衆はなかなか気づかぬものだし、自分たちの人間としての自由さえ腹立たしいやり方で踏みにじられているというのに、それにも気づかない。

その教えそのものの中身が狂っているなどとはまったく夢にも思わないのだ。

大衆が見るのはその教えははっきりした目標があること、そしてその教えが自己を表明する際にほとばしり出てくる向こうみずの力と情容赦のなさだけなのであって、大衆は結局のところ、いつでもそのようなものに参ってしまうのだ。

J・フェスト

ここでは、最初に女性に対する軽蔑っぽい記述がありますが、きっとこれは自分の母親に感じた意思のなさや、ただ従順さだけで生きているという批判が込められているように感じます。


また、ヒトラーについて書いた J・フェストの記述の中にこのようなものがあります。


自分自身の人格を隠蔽し、ごまかそうとするのがヒトラーの生涯の根本目標であった。


もし、自分を信頼しているなら、全てを見られても堂々としていられるはずです。

このような面からも、内心では子供時代の無力さを、ずっと引きずっているようにも感じます。

そして、政治の場面で、無意識に味わわされたドラマを、今度は逆の立場に立って上演してみせたということでしょう。



ヒトラーの支持者とは


そして、このような独裁者には多くの支持者がいました。

もちろん、批判している人もいたでしょう。

このような独裁者の支持者は、ヒトラーと同じ精神状態であったと思われます。

つまり、自分たちが生まれてからずっと抑圧してきた「憎しみ」の出口をずっと探し続けてきた人たちです。

そして、「憎しみを持つリーダー」が登場し、憎しみの対象を作ってくれたことで、支持者たちは堂々と合法的に「憎しみを味わい尽くす」ことに成功するのです。

そうすることで、本来の憎しみの対象である両親などに対しては、理想化を続けたままでいられます。

でも、本来の憎しみの対象ではないので、それで満足することはなく、「これでもか」と、どんどんエスカレートしていきます。

つまり、魂の殺人で言っている「闇教育」とは、まさに身体的・精神的「虐待」をしながらも、虐待者を尊敬させるという「独裁者」になるための教えだったように思います。



まとめ


「憎しみ」は、我慢すればするほど後になって雪だるま式に増えていく、ということと、それを別の対象に向けたところで満足することはなく、どんどんエスカレートしていくこと。また、動画でも言いましたが、最後にはその「憎しみ」の矛先は、自分に向かい自分を破壊する行為に及ぶのではないかと思いました。

ヒトラーの最期は、自殺でした。

これが、必死で「憎しみ」に耐えてきた人間の末路かと思うと、悲しいものがあります。

必死で父親の背中を追っているようにも見えます。

こうならないためにも、自分に起きている感情を信じて疑わず、支配者などの脅しには屈せずで生きることだと思いました。

今日のオススメ

「恋に落ちる」と「本当の愛」の違い

 愛すること、生きること M・スコット・ペック 愛とは、自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、自己を広げようとする意志である。 これが、著者の定義です。 さらに具体的に、愛について説明があります。 1.行動は、目指していると思われる目標や目的によって定義される。 これは、...