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2021年1月4日月曜日

愛されると逃げたくなる理由


フラッシュバック

あなたは誰かから愛されたとき、突然不安になったり恐ろしくなって、突き放すようなことはないでしょうか?

しかも、そんな時は理由もなくひどく混乱して、自分でも自分をコントロールできないような状態になることもあると思います。

きっと、それは「フラッシュバック」です。


ちなみにフラッシュバックとは・・

強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。 心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つ


・・ということです。


では何をフラッシュバックしているのか?

それは、考えてみたら過去の記憶でしかないのですが、特に幼少期の「見捨てられ体験」が大きく影響するとクリッツバーグ氏は言います。



見捨てられ体験

クリッツバーグによる見捨てられ体験の定義はこうなります。


1.身体的見捨てられ体験

身体的見捨てられ体験は、親が子を放置して子供の基本的な生理的欲求を満たさない時に起こる。

身体的放置は様々な形をとるが、次のようなものが一般的である。

  • 授乳しない、または食事を与えない
  • 長時間オムツを替えてやらず、汚れたままにしておく
  • 何時間も、時には何日間も子供をひとりぼっちにしておく
  • 乳幼児の世話をまだ子供である兄や姉にさせておく


親が子供を見捨てるというと、子供を人にやってしまうとか、赤ん坊をどこかに置いていくというような「捨て子」を連想するかもしれないが、この場合はそういう意味ではない。

(途中略)

繰り返し身体的に見捨てられた子供の心の中には、恐怖と孤独の核が形成され、それが成人後もそのまま残る。


このように「お前は邪魔だ、お前なんかいらない」という強化されたメッセージを、大人になっても持ち続ける。


2.情緒的見捨てられ体験

親がそばにいても親の心がそこにない時、子供は情緒的に見捨てられる。

親の関心は、飲酒(自分のこと)か、もしくは他の家族の行動に集中している。
関心の的が何であれ、子供でないことだけは確かなのだ。
親は子供に必要な物質を与えはするが、子供は慈しむことはなく、抱きしめることも、本当の親密性を深めることもない。

子供は親の情緒的不在を肌で感じるのだ。

そして、その体験はその子の人生のあとあとまで大きな影を落とす。

自分は価値のない人間だ」という思いが染み込んでいるのは、子供の時に情緒的に見捨てられたからだ。

見捨てられ体験がひどければひどいほど、このむ価値観は深い。

この見捨てられ恐怖については、「死の恐怖」に匹敵すると述べられています。

だからこそ、大人になってもその恐怖が消えずにフラッシュバックとなって出てくるのです。


もう見捨てられたくない!


つまり、もうあのような見捨てられ体験を再体験したくないということです。

だから人生の大事な場面で、ブレーキを踏んでしまいます。

しかし、そのブレーキによって、私たちは様々な問題を抱えることになります。

イラストを見ながら説明します。




このような人は、中核的な感情として「恐怖」が根づよくあって、いつも恐怖に怯えながらの行動や選択をしていると考えられます。

これは今もです。

どれほどに、怖い思いをしたのでしょうか。

この恐怖の主な原因としては、さっきから言っているように「見捨てられることに対する恐怖」です。

また、このような養育者がいる家族を機能不全家族(家族として機能してない)といいますが、このような家庭の土台は何でできていると思いますか?

それは、イラストの通り「恥の意識」と「罪悪感」の上に成り立っています。

機能不全家族では、秘密を持っていて、いつも他人からの批判に怯えながら生きています。

これは、メンバーも「おかしい」ことに気づいているのですが、それを良い方向へ改善しようという動きは一切と言って良いほどないのです。

つまり、この「おかしさ」を隠してしまえ!となるのです。


だから、このような恥と罪悪感によって、様々な回避的な行動を起こすものの、その感情についてじっくり考えることはほとんどないと思います。

つまり、「自分と向き合うとか、家族のおかしさに取り組む気はない」ということです。

舞台の上で、幸せな家族を演じているようなものです。

実際は心はバラバラで、各々が自分の保身しか考えていないかもしれません。

これは、機能不全家族のルールとして、「否認」というルールがあるのですが、このような恥や罪悪感を感じないようにつまり、否認するための行動ばかりをしてきたはずです。

例えば、「隠す」とか「幸せなふりをする」などです。

当然、子供達もそれに付き合わされることになります。

そして大人になった今も、このような思考パターンなので、なかなか本当の感情までたどり着けないのです。


不合理さを語ること


だから今からでも、この感情を認め隠すことを強要されたことについての不合理さを語ることが大事です。

「やっぱりおかしかったんだな」と、堂々と思い出すことが大事なのです。

それによって、もっと奥の感情がやっと出てくることができます。

奥の感情とは、イラストの下にある怒りとか恐怖痛みなどの感情です。


あなたが、もし、自分の怒りや悲しみの感情を出すことに、抵抗を感じるなら、きっと恥の意識とか罪悪感によって、かたく防衛しているはずです。

これを、防衛の壁と言います。




またいま、防衛と言いましたが、それがあまりにも強くなると、今度は何も感じなくなるという方法を取ることもあります。

よく、「自分の感情がわからない」「何も感じない」と言われる人がいますが、それはきっとあまりにも自分の感情を抑えすぎたのだと思います。

これを、必死で守っているうちは、このようなメッセージも耳に入りませんが、「おかしい」と感じているからこそ、解決の方法を探しているのだと思います。

また後日に、回復のための方法は、じっくりとお伝えしますが、まずは気づくことが一番重要です。

ここまでが、回復の半分を占めていると私は思ってます。

しかも、何度も罪悪感によって後戻りをしながら進むことになります。

そして、その後戻りに気づいたら再度「否認」と戦って、次に進もうと覚悟を決めることです。

まずは、あなたの「おかしな過去」について、振り返ってみてください。





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