人を狂わせられる人は、このイラストのように「何かしら」の影響力があって、その崇拝者とか利用者などがいて、なんらかの制約があって「被害者が逃げられずに」権力が行使されます。
その権力を行使する人によっては、より良い人生を導いてもらえることもあれば、最悪の場合は、狂ってしまうこともあります。
それが、最初から決められていたとしたら、なんと恐ろしいことでしょうか。
動画でも言ったように、シュレーバー博士(父)は、人を狂わせる対人形式を持っています。
しかし、現実では被害者の問題行動ばかりに目が行きます。
これも、闇教育の目的の一つで「大人が損をしないため」なのでしょう。
今回は、このような人を狂わせてしまう人の心の中をのぞいてみます。
魂の殺害者から引用します。
父は自分自身の魂の中の「腐った箇所」を恐れていたのであろうと思う。
彼は、自分がそれらを使って恐れたことがある、あるいは恐れていることを容認できなかったのではないかと思う。
恐れを容認することは、自分の中に恐ろしい「あれ」が存在する可能性を認めることになるからである。
>※途中ですが「あれ」とは、 自分の隠していた本音であり、自分が感じないようにしてきた本音です。シュレーバー(息子)でいうなら、「父に魂を殺害されていた」というような最も恐ろしい真実のことです。
彼(シュレーバー父)は、彼自身に「忍び込む毒」から意識を引き上げ、そうすることによって彼自身の「深い層には、その痕跡が一切残っていない」と信じるようになる。
そして彼は、自分がそのように意識を引き上げたことを否認する。
しかし、その状態を見ていた息子たちは、父と同一化しようとして、真実から目を背けるという(父親のような)惨めな生き方を選び、中年ごろになり どうしようもなくなって、自らをそれぞれの形で破壊(発狂や自殺)したのだと思われます。
著者はこのように言います。
人を病ませるものは、遺伝子によってではなく、各世代が次の世代に、「心のある可能性を恐れるように」教えることによって「遺伝」されるのであろう。
「悪い」考えや、精神状態の伝達にはどのような手段があるのか、またその伝達の回線はどのように始まり、終わるのか……。
「どのようにすればその回線からの干渉によって、意図的に遮断することができるのか」などの研究は、始まったばかりである。
ということです。
「心のある可能性」とは、「自分の本音に向かい合う」という意味ではないでしょうか。
しかし、この書籍が出版されて50年近くになりますが、研究どころか「陰謀者」なのか「旧教育論者」なのかによって、この真実を知ることさえも、拒まれているのが今の状態のように思います。
あなたはどう思いますか?