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2021年10月22日金曜日

複雑性PTSDを唱えたジュディス・L・ハーマンの「心的外傷と回復」から

眞子さまの症状として、注目された複雑性PTSDですが、どんな症状なのでしょうか。

今回は、タイトルの通り複雑性PTSDを唱えたジュディス・L・ハーマンの言葉をそのまま記載しようと思います。

彼女の信念とかパッションがそのまま伝わればと思います。また、書籍があまりにも高額なので、この思想を認知してもらうには、被害者や意識の高い人を含めもっと話題が広まる必要があると私は感じてます。その書籍が高額すぎて高いハードルになったらもったいないです。
何よりも驚きなのは、この内容は既成の診断がおかしいと異議を唱えるものであり、さらにはフェミニストの視点から伝えていることです。

つまり、以前にもお伝えしましたが、フロイトなどのヒステリー研究後の変化(男性社会の中での虐待の隠蔽)に対して戦う気満々なかたです。

組織にいると誰も本当のことが言えなくなったので、イライラした外側からぶっ壊すという感じでしょうか。

以下はジュディス・L・ハーマンの「心的外傷と回復」の一部引用になります。



 新しい診断名を提案する


大多数の人は、自由を剥奪されれば心の変化が起こるということに無知である。まして、これに理解のある人はいないも同然である。だから、慢性的な外傷に暴露されていた人に対する世間の目は冷たい。慢性的に虐待されたことのある人は、途方に暮れ、人の言いなりになり、過去から抜け出せず、どうしようもなく憂鬱になり、身体のあれこれの不具合を訴え、怒りを陰に籠らせたりするが、それに対して、身近かな人たちはどうもしてやれなくてただいらいらするだけに終わる。それだけならまだしも、かりに、被害者が倫理的価値に反し、地域社会の掟にそむき、対人関係において裏切りを犯すことでもあれば、いくら本人の意思に反して強制された場合でも、強烈な怒りの感情を巻き起こし、社会的死刑を宣告されてしまう。

極度の恐怖に長期間暴露された経験がなく、また人間を強制的に屈服させ操作する各種の方法の恐ろしさがわかっていない第三者は、自分ならば、そういう情況におかれようとも、彼女よりは勇気を示し、彼女よりはしっかりと抵抗できるといわれなく思い込む。被害者のほうにも落ち度があるのであって、彼女の行動は人格あるいは道徳性に欠陥があるせいだとする一般的傾向はここから来る。洗脳を受けた戦時捕虜はしばしば反逆者あつかいされる。誘惑犯に屈した人質は、しばしば公衆の手で徹底的にむしられる。人質が生き残った場合、誘拐犯がしたよりもさらに過酷な虐待を社会によって受けることさえなくはない。例えばパトリシア・ハーストという無残な例がある。彼女は拘禁状態で犯した犯罪に対して法の適用を受け、実に誘拐犯たちよりも長期の刑を受けたのである。被虐待関係からの脱出に失敗した女性、拘禁状態において売春を余儀なくされた女性、同じくその子を売らざるを得なかった女性は限度を越えた厳しい詮索を受け非難を浴びる。

被害者の欠陥探しを行うという自然的傾向は、政治的集団虐殺の場合にさえ現れる。ホロコーストの後にはユダヤ人の「なすがままの受け身性」とか、(ユダヤ人には)その悲運の「共犯者性」があった、いやちがうという果てしない議論が起こった。しかし歴史家リュシー・ダヴィッドヴィッチの指摘するとおり、「共犯者性」とか「協力」という言葉は自由選択が可能な状況に限って使う言葉である。自由剥奪状況において同じ意味を持つことはありえない。



誤ったレッテル貼りとなる診断

被害者に非ありとするこの傾向は心理学的問診の受け方に決定的影響を与えている。研究者も臨床家も加害者の犯行を被害者の性格によって説明しようとする。人質ならびに戦時捕虜の場合、もともと洗脳されやすい人格的欠陥を想定して、これをつきとめようとする試みは数々あるが、一義的な明快な結果を得たことはないに等しい。結論はただ一つ、ごく普通の健全な心の持主である男性も強制によって「男」らしくない屈従を余儀なくされうるということである。家庭内暴力の場において被害者が場から抜けられなくなるのは物理的拘束ではなく理屈で言い負かされることによってであるが、ここでも、研究は、もともと被虐待関係に陥りやすい女性の性格的プロフィールはこうだという一義的結論は生まれていない。確かに被虐待女性の一部はさまざまな心の問題を抱えていて、それが脆弱性となっているが、大多数には被虐待関係に入る以前にはさしたる心の症状がある証拠はない。女性の大部分が虐待者との関係に入るのは、一過性の危機の時期あるいは大切な何かを失って間もない時期に際して、孤りぼっちだ、誰もかまってくれない、私は幸せじゃないという感じを抱いた時である。夫人殴打の研究についてのある総説はこう結論している。すなわち「おのれを被害者たらしめる性格特徴を女性の中に求めても得るところはない。(中略)男性の暴力は男性の行為であるという事実が忘れられがちである。だから、妻への暴力という行為の説明原理を男性的特性に求めた研究のほうが成果を挙げていることは驚くに当たらない。驚くべきは、男性的な行動を説明するのに女性の性格をあげつらおうとする莫大な研究があることである」。

通常の健康な人間が長期にわたる虐待的な状況に陥ることがあるのはいうまでもないが、脱出後に被害者がもはや正常でも健康でもありえないことも同じく明らかである。慢性の虐待は重症の心理的障害を引き起こす。しかし、被害者を非難しがちな傾向は、心理学的理解と外傷後症候群という診断との邪魔をした。これまでの精神保健専門家は、被害者の病的症状を虐待的状況に対する反応として考えないで、しばしば虐待的状況のほうを被害者の隠れていた病理なるもののせいにしてきた。

この種の考え方の最悪の例は1964年の「妻殴打者の妻」という論文である。その研究者たちはそもそもは殴打する夫のほうを調べていたのだが、夫は研究者に対して断固口を開かないことを知った。彼らはしかたなく方角を変えて殴打された妻のほうに注目した。彼女らのほうが協力的だったからである。彼らによれば、妻たちは「去勢者的な」「冷感症的な」「攻撃的な」「ぐずぐずした」「受け身的な」女であることがわかったという。彼らの結論は「夫の暴力は妻の『マゾ的な欲求』を満足させている」というものであった。女性側の人格障害こそ問題の根源であると結論したこの医者どもは彼女らのほうの「治療」を始めた。一例だけだが、彼らは妻のほうを説得して自分のほうが暴力をそそのかしていたと何とかいわせ、彼女の生き方をどう修繕すれば良いかを教えてやったという。彼女が殴られる時に助けをティーン・エイジャーの息子に求めなくなり、夫が酔っばらって攻撃的な時にも求められればセックスを拒まなくなった時点で治療に成功したと判定されてた。

今日の精神医学の文献ではさすがにこういうむき出しのセクシズム(男性優位の性的偏見)はみられなくなったが、偏見と女性蔑視とを潜ませた同じ誤った考えは依然優勢である。生き残るための最小限の基本的欲求が残るだけになってしまった人の臨床像をみて、これは被害者の元来の性格だと誤診されることは今日でもしばしば起こっている。通常の生活条件下に発達した人格構造の概念が被害者にそのまま当てはめられ、長引いた恐怖という条件下におこる人格の腐食ということが全然理解されていない。だから、慢性外傷の複雑な後遺症に悩む患者たちは依然として人格障害と誤診される危険が実によくある。彼らは本来的に「依存的」「マゾ的」「敗北願望的」などとカルテに書かれる。都市のある大病院の救急部臨床の研究によれば、臨床医たちはルーティン的に殴打されている女性を「ヒステリー者」「マゾ的女性」「心気症者」とカルテに書いていた。

被害者を誤診してしまうこの傾向は1980年代中期に起こった論争の核心であった。それは、アメリカ精神医学会でDSMⅢの改定が議題に上がった時であった。男性精神分析医の一団が「マゾヒスト的人格障害」という診断名を追加するべきだと提案した。この仮説性の高い診断名は状況を変える機会(複数)があるにもかかわらず、他者に搾取、虐待、利用される関係に留まる」すべての人間がこれに該当するとされた。多数の女性グループがこれを聞いて激昂し、激烈な公開討論となった。女性側は診断基準を執筆する過程を公開せよと迫り、これまで少数の男性の特権であった心理学的実体の命名にはじめて参画した。

私もこの過程に参画した。その時いちばん呆れたのは合理的な論点が極めて軽視されていることであった。女性側の代表は、十分に論理を練り、広範な事実の裏付けを取った書面を携えて会議に臨み、「マゾヒスト的人格異常」には科学的根拠がないに等しく、被害者になる過程の心理理解の最近の進歩を無視しており、社会的にも退歩であり、また、差別を促進する作用があるというのは、無力化された人にスティグマ(差別的烙印)を捺すのに使われるおそれがあるからである、と論じた。精神科のエスタブリッシュメントの男性どもは全面的否認に固執した。過去十年間の心的外傷にかんする膨大な文献があることなどは知らないと公然と認め、しかしそれが何か関係があるのかと言い放った。アメリカ精神医学会理事会の一理事などは女性殴打についての議論は「無用だと思う」と言い、別の理事はあっさりと「わしゃ被害者などいないと思う」と述べた。

結局、女性組織からの抗議の声が高まり、この論争を通じて広く公衆が関心を寄せたので、一種の妥協が便宜的になされた。提案された実体の名は「自己敗北型人格障害」となった。診断の基準も変わり、このレッテルは身体的・性的・心理的に虐待されているとわかった人には適用してはならないことになった。もっとも重要な変化は、この障害が本文から付録に移されたことである。それは聖典の中にはあるが外典の位置におとしめられ、そのまま今日までほそぼそと生き長らえている。


新概念が必要となった

マゾヒスト的人格障害という概念を間違って適用したことは、診断学最大のスティグマ付与的な誤りであったが、誤りは何もこれだけではない。一般に現行の診断カテゴリーは、一言にしていえば、極限状況を生き抜いた人のために作られたものではなく、そういう人にはぱったり当てはまらない。極限状況の生存者の執拗な不安、恐怖、恐慌は通常の不安障害と同じものではない。生存者の身体症状は通常の心身症と同じものではない。その抑鬱は通常の鬱病ではない。また、その同一性障害および対人関係障害は通常の人格異常と同じものではない。

性格で全体を包括する診断概念が欠落しているために治療上重大な結果が生じている。患者の現在の症状とかこの外傷体験との関係はしばしばわからなくなっているからである。患者を既存の診断枠という人工産物の鋳型に当てはめようとすることは、一般に問題の部分的理解と断片的な治療的アプローチとなるのが関の山である。慢性的外傷患者は口をつぐんで耐える。かりに訴えても、訴えをちゃんと理解されないことが余りにも多い。それが現実である。患者はほんとうに薬局方全体を集めてしまう。頭痛にこれ、不眠にこれ、不安にこれ、抑鬱にこれという具合である。こういう薬はあまり効果を現さない。それは外傷という、その基底にある問題に向けられているわけではないからである。ケアを与える立場の人が、さっぱりよくならない、慢性的に不幸な、これらの人々にうんざりしだすと、おとしめの意味合いを持つ診断レッテルと貼り付けたい誘惑に打ち勝てなくなる。

「外傷後ストレス障害(PTSD)でさえも、現在の定義では、完全にぴったり合うわけではない。この障害に対する現行の診断基準は主に限局性外傷的事件の被害者から取られたものである。すなわち典型的な戦闘、自然災害、レイプにもとづいている。長期反復性外傷の生存者の症状像はしばしばはるかに複雑である。長期虐待の生存者は特徴的な人格変化を示し、そこには自己同一性および対人関係の歪みも含まれる。幼年期虐待の被害経験者も同一性と対人関係とに類似の問題を生み出す。さらに、彼らは特にくり返し障害をこうむりやすい。他者の手にかかることもあるが、自分で自分に加えた傷害もある。現在のPTSDの叙述では長期反復性外傷のあらゆる表現型をとる症状発現を捉えることもできていないし、捕囚生活において起こる人格の深刻な歪みをも捉えそこなっている。

長期反復性外傷後の症候群にはそのための名が必要である。私の提案は「複雑性外傷後ストレス障害(複雑性PTSD)である。外傷に対する反応は一つの障害でなく、さまざまな病的状態より成る一つのスペクトルとして理解するのがもっともよい。このスペクトルは自然治癒して病気の名に値しない「短期ストレス反応」から古典的すなわち単純性PTSDを経て複雑な長期反復性外傷症候群に至る広い幅がある。

複雑性外傷症候群はこれまで一度も体系的に定義されたことはないけれども、外傷後障害スペクトルという概念は多くの専門家によって記載されている。ただし、ついでにちょっと触れるという形である。ロレンス・コルプはPTSDが「非同質性」であることを指摘し、「PTSDと精神医学との関係は梅毒と内科学との関係に等しい。しばしばPTSDはありとあらゆる人格障害を模倣するようにみえる。(中略)長期にわたって脅威のもとにあった人は長期にわたって改善しない重症の人格解体になる」と述べている。他の研究者も長期反復性外傷後の人格変化に注目している。精神科医エマニュエル・タニーはナチ・ホロコーストの生存者の治療に当たった人であるが、「症状は性格変化の影に隠れてみえず、対象関係の障害と労働・世界・人間・神に対する態度の障害にわずかに現れるにすぎないことがある」と述べている。

多くの経験に富んだ臨床家が単純性PTSDよりも広い診断名が必要だと唱えている。ウィリアム・ニーダーランドは「外傷性神経症の概念では」ナチ・ホロコーストの生存者にみられる症候群の「臨床症状の多岐性と重症性とをカヴァーするのに足りない」ことに気づいている。東南アジア難民を治療した精神科医たちも診断概念の拡張が必要だということを認めている。それは重症、長期、広範囲の心理学的外傷を含むようにせよということである。ある権威筋は「外傷後性格障害」概念を提唱している。「複雑性」PTSDという術語を用いている人たちもある。

児童期虐待の被害経験者を治療している臨床家も診断概念の拡張の必要を理解している。レノア・テアは単一性外傷の打撃の結果を「Ⅰ型」外傷、長期反復性外傷の結果を「Ⅱ型」外傷と区別している。彼女は「Ⅱ型」外傷症候群は否認、心的マヒ、自己催眠、解離、そして極度の受け身性と憤怒爆発との交代を含むものとしている。精神科医ジーン・グッドウィンは単純性PTSDをFEARSと呼び、児童虐待の被害経験者にみられる重症のPTSDをBAD FEARSと呼ぶ呼び方を発案したが、これらは頭文字の集まりである。

このように実際に患者を診てきた人たちは複雑性外傷症候群に共通の単一なものをかいまみており、それにさまざまな名称を与えてきた。この障害に単一の正式な名称を与えて認知するべき時であろう。現在「複雑性PTSD」をアメリカ精神医学会の診断基準DSMⅣに加えることが考慮中である。(加筆します→2018年に初めて区別されて掲載されました)それは七つの柱を以って診断するものである(※表ー下のピンク)このような症候群が慢性的外傷をこうむった人たちを診断する信頼性があるかどうかを決定するフィールド・ワークが実施中である。この検証過程における科学的および知的厳密性は「マゾヒスト的人格障害」なる代物にかんする低級な論争の時代よりも格段に向上している。


複雑性外傷症候群という概念が広く認知されるにつれて、これに付け加える名もいくつか出てきた。アメリカ精神医学会の診断マニュアル作成作業部会は「他には特定不能の極度ストレス障害」という呼称を選んだ。WHOの診断基準「疾病国際分類(ICD)」は「カストロフィー体験由来の人格変化」という名称で類似のものを考えている。これらの名称は出来がよとはいえないが、この症候群を認知するような名前なら何でもないよりましである。

複雑性外傷後ストレス障害に名前をつけることは、長期の搾取にあえいだ人々にそれに値する認知を与えるための重要な一歩である。それは正確な心理学的診断の伝統を守りつつ、同時に外傷をこうむった人々の道徳的・人間的要請をも裏切らない言葉を一つ発見しようとすることである。それは捕囚の影響をどのような研究者よりも深く知る生存者から学ぼうとする姿勢である。

(※表)

複雑性外傷後ストレス障害
1. 全体主義的な支配下に長期間(月から年の単位)服属した生活史。実例には人質、戦時捕虜、強制収容所生存者、一部の宗教カルトの生存者を含む。実例にはまた、性生活および家庭内日常生活における全体主義的システムへの服属者をも含み、その実例として家庭内殴打、児童の身体的および性的虐待の被害者および組織による性的搾取を含む
2. 感情制御変化であって以下を含むもの
・持続的不機嫌
・自殺念慮への慢性的没頭
・自傷
・爆発的あるいは極度に抑止された憤怒(両者は交代して現れることがあってよい)
・強迫的あるいは極度に抑止された性衝動(両者は交代して現れることがあってよい)
3. 意識変化であって以下を含むもの
・外傷的事件の健忘あるいは過剰記憶
・一過性の解離エピソード
・離人症/非現実感
・再体験であって、侵入性外傷後ストレス障害の症状あるい反芻的没頭のいずれかの形態をとるもの
4. 自己感覚変化であって以下を含むもの
・孤立無援感あるいはイニシアティヴ(主動性)の麻痺
・恥辱、罪業、自己非難
・汚辱感あるいはスティグマ感
・他者とは完全に違った人間であるという感覚(特殊感、全くの孤在感、わかってくれる人はいないという思い込み、自分は人間でなくなったという自己規定が含まれる)
5. 加害者への感覚の変化であって以下を含むもの
・加害者との関係への没頭(復讐への没頭を含む)
・加害者への全能性への非現実的付与(ただし被害者の力関係のアセスメントの現実性は臨床家よりも高いことがありうるのに注意)
・理想化あるいは逆説的感謝
・特別あるいは超自然的関係の感覚
・信条体験の受容あるいは加害者を合理化すること
6. 他者との関係の変化で以下を含むもの
・孤立と引きこもり
・親密な対人関係を打ち切ること
・反復的な救助者探索(孤立・引きこもりと交代して現れることがあってよい)
・持続的不信
・反復的な自己防衛失敗
7. 意味体系の変化
・維持していた信仰の喪失
・希望喪失と絶望の感覚




精神科患者としての被害経験者


精神保健機関には長期反復性児童期外傷の被害経験者が押し寄せている。しかも児童期に虐待を受けた人の大部分はまだ一度も精神科医の門を叩いていない。回復の程度が高くなると、自己判断によってますますその傾向が強まる。被害経験者のごく一部だけが何かの機会に精神科患者の多数いや大部分は児童虐待を経験した人である。この点にかんするデータには異論の余地がない。周到かつ慎重な質問を行った結果では、身体的虐待あるいは性的虐待あるいはその両方を受けた歴史があると考えている。精神科救急部に運ばれた患者についての研究によれば、70パーセントに虐待の歴史がある。児童期虐待が成人になってから精神科治療を求めるようになる最大因子の一つであることは明らかである。

児童期虐待の被害経験者で患者となった人は目まぐるしいほど多様な症状を携えてやってくる。その苦しみのレベルは一般に他の患者よりも高い。おそらくもっと重要な所見は児童期虐待の歴史と相関する症状のリストの長さであろう。心理学者ジェフェリー・ブライアーらの報告によれば、身体的あるいは性的虐待の歴史を持つ女性は、標準化された心理検査に置いて、身体化、抑鬱、一般的不安、恐怖症的不安、対人関係過敏性、パラノイアおよびサイコチシズム(解離性症状?)に関して他の患者よりも有意に高い得点を得る。心理学者ジョン・ブライアーの報告によれば、児童期虐待の被害経験者はそれ以外の患者と比較すれば有意に高率の不眠、性的機能障害、解離、激怒、自殺傾向、自傷、薬物嗜癖、アルコール症を示す。症状のリストはいくらでも長くできる。

児童期虐待の被害経験者が治療を求める時には、心理学者デニーズ・ジェリナスのいう「偽装陳述」を行うという。彼女らが援助を求めてくるのはその多数の症状のためでなければ対人関係の困難のためである。例えば、親密関係に発生した問題であるとか、自分以外の人間の求めに過剰に反応してしまうとか、繰り返し被害者になってしまうとかである。実に残念なことに、患者も治療者も現在訴えている症状と慢性外傷の既往とのつながりに気づかない。

児童期虐待の被害経験者も、それ以外の外傷受傷者も、精神保健機関においてしばしば誤診され、間違った治療をされている。症状の数も複雑性も大きいので、治療はしばしばバラバラに行われ、中途半端である。親密関係にかんして特有の不器用さがあるために、彼女ら彼らはケア提供者によってもう一度被害を受けることになってしまいやすい。彼らは破壊的・進行的な相互作用に巻き込まれ、身体医学あるいは精神保健機関は虐待する家族の行動そっくりのことをしてしまう。
児童期虐待の被害経験者はしばしば種々の診断名を積み重ねられて初めてその下に複雑性外傷後症候群という問題があることに気づかれる始末である。彼女ら彼らは非常にマイナスの含みを持つ診断名を与えられる確率が高い。児童期虐待の被害経験者に与えられる特に有害な病名が3つある。身体化障害、境界性人格障害、多重人格障害である。この3つの診断名はいずれもかつては現在廃止された病名「ヒステリー」の下位病名であった。患者は通常女性であるが、これらの診断名を貰うと、ケア提供者側が強烈な反応を起こす。彼女らの話すことは信憑性が怪しいとされる。人をふりまわすとか仮病を使うと指弾される。彼女らを対象として、しばしば、感情的で偏見にとらわれた議論が行われる。時にはあっさりと嫌な奴だとされる。

この3つの診断名はおとしめの意味合いを背負っている。もっともひどいのが境界性人格障害という診断名である。この用語は精神保健関係者によってよく使われるが、それは高級な学者の装いの下で人を中傷する言葉に過ぎない。ある精神科医は無邪気にこんなことを白状している。すなわち「研修医の時の思い出ですが、僕は指導医に境界性人格障害の患者をどう治療したらよいのでしょうかと質問したらですね、皮肉っぽい語調で『他に紹介したまえ』という答えをもらいました」。精神科医のアーヴィン・ヤロムは「境界」という単語は「ぼつぼつ楽をしたいと思っている中年の精神科医の心臓に恐怖を叩き込む言葉だ」と述べている。一部の臨床家は「『境界』という用語は非常な偏見がからまってしまったので全面的に廃棄しなければならない、それはちょうどその前任者が『ヒステリー』を廃棄しなければならなかったのと同じ話だ」と主張している。

この3つの診断名には共通面がたくさんあって、一まとめにされたり、重複診断となったりする。この3つのうちどれか一つの診断名を貰う患者はこれ以外の追加病名をもたくさん貰う。(途中略)
これら3つの障害を持つ患者はすべて、親密関係において特有の困難を持つという共通性がある。対人困難にかんする文献がもっとも多いのは境界性人格障害である。実際、強烈でしかも不安定な対人関係パターンというのがこの診断のための主要基準の一つである。境界例患者は独りでいることへの耐性がきわめて低いが、同時に他者に対する警戒心を極度に持っている。見捨てられることも支配されることも思っただけでぞっとする。彼女ら彼らはしがみつきと引きこもりの両極の間、なりふり構わぬ屈従と狂乱的反抗との両極の間を揺れ動く。彼女ら彼らはケア提供者を理想化して「特別の」関係を結び、この関係においては通常の対人的境界がなくなってしまう。精神分析的研究者はこの不安定性を小児期初期という形成期における心理的発達の挫折のためであるとしている。ある権威者は境界性人格障害の一次的欠陥を「対象恒常性への到達の挫折」にあるとしている。これは何のことかというと「信頼する人たちのよく統合された安心できる内的表象の形成の挫折」である。別の権威者は「抱えられ慰められる安全保障機能を自己に提供する対象の内在化の形成の発達上の相対的挫折」だと言っており、これは何のことかというと「境界性人格障害を持つ人はケアを提供してくれる人との安心できる関係のメンタル・イメージを呼び出して自分を落ち着かせ慰めることができない」そうである。

このような嵐のように翻転する不安定な対人関係は多重人格障害の患者にも見られる。この障害においては、機能が極端に仕切りで分け隔てすぎていて、解離されている「交代」人格によってきわめて矛盾した関係の持ち方のパターンが現れても不思議ではない。多重人格障害の患者は、また、強烈で、高度に「特別な」関係をくりひろげるが、この関係には対人境界の侵犯と争いと搾取される可能性とがつきものである。身体化障害の患者に親密関係の困難があり、性的問題、婚姻上の問題、育児問題が起こる。

自己同一性形成の障害も境界性人格障害および多重人格障害の患者につきものである。自己が断裂して、解離された複数の交代人格となっていることが多重人格障害の核心である。(途中略)

この3障害の共通項は何であろうか。それは児童期の外傷に起源があるということである。この関連性は明白なこともあるが、ヒントしかない場合もある。多重人格障害の場合には激烈な児童期外傷の既往が病因の役割を果たしていることは現時点では確定済みである。精神科医フランク・パトナムの多重人格障害百例の研究によれば、97名は深刻な児童期外傷の既往があった。大部分は性的虐待か身体的虐待か両者ともであった。極端なサディズムおよび殺人に及ぶ暴力は、その恐るべき既往症において決して例外でなく通例であった。半数近い患者が実際に身近な人が暴力によって殺されるのを目撃していた。
(途中略)


以上3つの障害をもっとも適切に理解する道は、それぞれを複雑性PTSDの一種として、それぞれの個性は外傷的環境への適応の一つの形式に由来したものと解することであるまいか。PTSDの生理神経症は身体化障害のもっとも顕著な特徴そのものであり、変性意識は多重人格障害においてもっとも顕著な症状であり、同一性と対人関係の障害は境界性人格障害においてもっとも顕著な障害である。複雑性外傷後症候群という包括的概念は、先の3つの障害のそれぞれの特異性と相互関係を解き明かすものである。このように定式を立てると、かつてヒステリーといわれていた病的状態の断片的であった記述にまとまりができる。このことは、それらの共通の起源が心的外傷の既往歴にあることを証しするものである。

以上3つの障害のもっとも厄介な特徴の多くが、児童期外傷の既往という光のもとでみれば、以前よりも理解できるものとなる。さらに重要なのは、被害経験者が自分で納得するようになることである。被害経験者がその心的困難は児童期の虐待的環境に起源があることを認識すれば、もはや困難を「自己」の生まれながらの欠陥のせいにする必要はなくなる。そうなれば体験に新しい意味を生み出し、そして新しい、スティグマのない自己同一性に到る道が開かれる。

これらの重症な障害の発症に至る道における児童期外傷の役割を理解すると、治療のあらゆる面にヒントが得られる。この理解は協力的な治療同盟の基盤を与えてくれる。この同盟は、過去の事件に対する被害関係者の情緒的反応が正当なものであり、その裏付けがあることを教え、しかし、現在は適応的でないことを認識させてくれる。さらに、被害経験者の対人関係の特徴的な障害とそのためにくりかえし被害者にされる危険があるという理解に患者と治療者とが共同で到達すれば、これは治療関係において元来の外傷を無意識的に再演してしまう危険を防ぐ最高の保障となる。

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