あなたは、愛は犠牲から成り立つと思いますか?
もし、イエスであるなら、このような環境で生きてきた可能性があります。
だから、愛は犠牲から成り立つことが、本当だと信じてきたのだと思います。
そうならば、愛について書かれた書籍とか、語られる内容は、どれも嘘っぽく感じてきたのだと思います。
今日は、なぜあなたが、愛は犠牲だと感じているかについて、考えていきたいと思います。
ここでは、その理由についてお伝えするので、愛に関して積極的な人は、別の動画があるので、概要欄からそちらをご覧ください。
【あらすじ】
今日は、このような内容をお伝えしました。 前半は愛は犠牲だと思う心理
「愛が犠牲だと考える理由」を、お伝えしました。 なぜ、愛が犠牲だという信念が、あなたにあるのかというと、 「愛を得るために、自分を犠牲にしてきた」からです。 だからこそ、愛を得るために自分を犠牲にしていないという人が理解できなかったのです。 また、このような愛を犠牲だと考える人の結末はどうなるのでしょうか? 「この苦しみを、相手にも味わってもらうことで自分を癒す」しかないのです。 つまり、自分の苦しみによって、愛が生まれ、相手の苦しみによって、愛が終わるのです。 せっかく付き合ったり、結婚しても、愛を向けられなくなるのは、そのせいです。 後半はゆがんだ信念を修正する方法
1.自分の問題に気づく 2.自分の問題だと認める 3.自己拡張か、自己消去かを見分ける 4.少しづつでも、自己拡張を増やしていく もちろん手順も大事ですが、自分の中で求めていた、メリット、そしてその結果としてのデメリットを考えると、他者に依存して支援や愛を求めることの代償は、大きいと感じます。 これは、依存してはいけないということではなく、結果的に自分の欲のために他者を利用していることに、気づくことがすごく重要です。返報性の法則(下記の動画一覧にあります)という動画で言いましたが、互いに成長のために世話をしあうというのは、依存ではありませんので、その違いについて、理解を深めることも重要です。 いかがでしょうか。 あなたは、何度、このような、愛と犠牲をおかしいと思い、そして反発をして自立を目指してうまくいかなかったのでしょうか。 それほどまでに、今までの学びが、脳に刻み込まれているのだと思います。 カレンホルネイは、このように言います。
反抗したいという願望と、愛情を受けたいという欲求と、戦う数年間が過ぎると、そのひとは敵意を抑制し闘争心を放棄してしまい、愛情、依存、に対する欲求が勝利をとげてしまったのである。ということです。 つまり、最初のうちは葛藤と戦いながらも頑張るけど、いつしか無気力になって他者からの愛を求める行為にまた戻ってしまうということです。 このような状態の人も、多いと思います。 でも、このような人は、まさに自己喪失の状態です。 よく、自分は空っぽだと思われているかたは、このような状態ではないでしょうか。 ぜひ、このようなかたは、今からでも、空っぽの自分の中に、できたら義務ではなく楽しみや感動などを詰め込んでみてください。 今なら、空っぽですので、いくらでも入ると思います。 ただ、それを入れるのは、あなたしかいないのです。 他者ではないのです。 そこからのスタートです。 ・・・詳しくは動画でどうぞ!
【動画内でご紹介した動画や関連動画】 愛するということ
世間体がどうでも良くなる方法
返報性の法則
※自動音声になります。苦手な方はご遠慮ください。