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2021年2月1日月曜日

孤独を味方にする方法

 



あなたは、孤独ですか?


今日は、孤独に生きることについて、いろんな考えがあると思いますが、世間の目などは気になるけど、孤独を好んでしまう人にお伝えしたいと思います。


孤独に生きるとは?


先日、本音で話し合うための傾聴スキルという記事で、自分がどの程度傾聴できるかというプロセスをあげました。


それが、こちらです。


1.聞く姿勢すらない

2.事柄(事実)さえも聞けない

3.事柄(事実)は聞ける

4.気持ちを理解しようとはする

5.気持ちが理解できる

6.人生を聞くことができる


いかがでしょうか。


あなたは、人と会話をするときもしくは、誰かを判断するときに、どのような視点で人を見ているでしょうか。

理想としては、6番目の「人生を聞くことができる」ですが、なかなかこのような人はいません。

正式な統計はわかりませんが、私が感じるのは3番目の「事柄(事実)は聞けるくらい」の人が一番多いように感じます。

つまり、一般的な人は事柄を見て人を判断をする傾向があるということを、お伝えしたかったのです。


事柄とは事実です。


「あの人は、どういう仕事をしている」


「あの人の家族は何人で、父親だ」


「あの人は、女性だけど社長だ」


このように私たちは、仕事とか家族などで人を判断することが多いです。

また、そのような人たちは、孤独に生きる人をどう判断するでしょうか?

きっと、「さみしい人だ」とか「変人だ」などと思うのではないでしょうか?

これは、多くの一般人の、常識のようなものなので、ある意味それに刃向かうことは難しいです。

でも、私は自分までもが自分を批判してしまうことが、1番の悲劇だと思っています。

そもそも、孤独という言葉はよく使われますが、どういう意味でしょうか。




これは、立場や状況によっていろんな意味で、孤独という言葉を使っているようです。

例えば、誰かと死別をして、孤独を感じている人、です。

これは、望んでないのに物理的に孤独になってしまった人です。

また、自分の意思で孤独を選ぶ人もいます。

これは、しがらみなどを嫌い、異国で暮らしたり自由に生きようとしている人です。

また、仙人などのように、自分の内面と深く対話ができる人もいます。

これは、孤独をネガティブに捉えるどころか、当たり前のことだと思っているようです。


あなたは、どれに当てはまりますか?


この違いは、孤独をダメなことだと思っているのか自分から選択してるのかという、大きな違いがあります。

また、ダメだと思ってしまうのは、最初に言ったように、世間の常識などを意識しているからかもしれません。

でも、ちょっと考えてみてください。

世間の常識などを持ち合わせた人は、幸せなのでしょうか?

もちろん数は多いので、賛成する人は多いでしょう。

でも、それが幸せかどうかは、別の話です。

先日、トラウマ返しという記事でも言いましたが、このような人たちというか、あなたも同じような時期がなかったでしょうか?


これは、仕事などの挫折などがきっかけで、退行していく過程を図で紹介したものです。



退行というと「子どもがえり」と呼ばれることもあります。


これは、引きこもったり不登校になるのも、退行現象です。


ただ、これを見た人たちは、「この人は異常だ」と騒ぎますが、これがまず間違いなのです。


今までが、過剰適応であったり偽適応で無理してきたのです。


つまり、多くの人たちが、必死で努力しているのは、この過剰適応であったり偽適応であり、やっていることや人生の選択などの大きな決め手は親などの重要な他者からの評価とか世間からの目などではないでしょうか。


あなたも、このような時期がありませんでしたか?


私はありました。


また、そのようなとき、私は社会に逆らったような人間をバカにしたような思考や、発言をしていた記憶があります。


これは、当時はそれが当たり前で改善しようとかは、思わなかったです。


今思うとバカで思い上がりですが、これが気づいてない人の考えかただと思ってください。


そして、どこかで挫折をして今までの過剰適応に意味がないと思ってしまうことになります。


このようなことがあって、私たちは今までの価値観などが変化していきます。

それまでは、ハムスターの車のように、そこで走ることに必死になっているのだと思います。

でも、自分の価値観が変化しても周囲は同じなので、摩擦が生まれます。


家族なら、「早くまともになって」などとお願いするでしょうが、こっちからすると「まともになるなら、もうそんなことはできない」と感じるのです。


また、周囲に押されて元に戻ることは、まさしく以前の過剰適応であったり偽適応に戻ることを、意味します。

もちろん、人によっては過剰適応であったり偽適応のまま、人生を終わらせる人もいるでしょう。

でも、絶望の崖を見てきた人からは、その先を見ないと何の価値もないと思えるのではないでしょうか。

もしかすると、そのような過剰適応で死んでいく人が「幸せな人」と、世間から言われるのだと思います。

言い方を変えると「よくそんなストレス過多で生きれた」ということかもしれません。


孤独を味方にする方法


孤独は寂しいとか孤独は良くないという思考は、私の考えでいうと「絶望を知らない過剰適応な状態が正しいと思っていきている人の価値観」です。


その数が多いので、理解されないのは当然とも言えます。


先日、セルフネグレクトの書籍を読みましたが、その著者の視点がまさに世間の価値観から見たものでした。


傾聴のスキルでいうなら、まさしく事柄のみを理解して、「セルフネグレクトは助けなくてはいけない」というような、はるか上からの目線でがっかりしました。


本来なら、セルフネグレクトと言われる人にも人生があり一つの人格があるので、十把一絡げにして扱うのはなんか違うと感じました。


しかし、そのような人たちが多くいる社会で、どう孤独を味方にするかを考えたいと思います。

クラークムスターカスは、孤独には二つの意味があると言います。



一つは、自己疎外感 自己拒否からくるものです。


また、もう一つは、実存的なものです。

これは、本質的に人間は孤独に生まれて孤独に死ぬというようなかんがえかたのことです。

これは、どちらも自分の内面のことです。

ということは、世間の目とか社会的な見方というものは、すでに超越していることになります。

つまり、孤独を味方にするとは1番目の自己疎外感を持って孤独だと認識することはしないということです。

なぜなら、人間は2番のように、孤独に生まれ孤独に死ぬものだからです。

そこで、人がいないと耐えられないと思うのは、しがみつきであり共依存などにもつながります。

まずは、孤独だというところまでたどり着いた自分に誇りを持っていただきたいです。

そう簡単には、到達できるものではないはずです。

これが、人生を理解することであり、自分を深く理解することなのです。

私が尊敬するあるかたは、何かの挑戦にある先をこのように述べています。


一つは、絶望です。


挑戦には失敗がつきものです。


もう一つは、平凡です。


そこそこの期待と、そこそこの結果で満足します。


もう一つは、孤独です。


この中では、一番マシなようです。

つまり、この人の視点では、人間のたどり着くところは、絶望か平凡か孤独かということになります。

だから、多くの人が、平凡を好んでいるのかもしれません。

でも、なんか項目が足りないと思いませんか?

「あれあれ?幸せはないの?」と言われそうです。

幸せは、私の考えでは幻想です。ファンタジーです。

幸せって、すごく一時的なもので、麻薬のようなものだと思ってます。

だから、それを追い求めると、えらいことになります。

一度手にすると、二度と離したくないと願い、それが執着となって自分を苦しめます。

これが、過保護や過干渉などにあう子供の悲劇ではないでしょうか。


これは、釈迦の言葉です。


子ある人は子について憂い、また牛(お金やもの)ある人は牛について憂う。


人間の憂いは「執着するよりどころ」によって起こる。


じつに、執着するよりどころのない人は、憂うることがない。


ということです。


つまり、孤独というのは執着を捨て去った姿でもあります。


さっき、仙人という言葉を使いましたが、まさに欲求を捨て去り身軽になった状態です。


そうしてみると、世間の人は執着がいっぱいあるように、見えませんか?


ただ、そのような世間から自立して、自由になるためには自分自身が孤独に誇りを持って、現実的に歩いていくという取り組みは必要です。

反抗しながら頼る部分があれば、それは、反抗期の子供と同じになってしまいます。

まずは、自分がどんなところで生きているのか、どうしていきたいのかを認識することから始めましょう。


最後に


幸せの象徴といえば、恋愛などでは出会って燃え上がるような段階です。

しかし、多くの人がそのあとに現実を知ることになります。

それでも、あの時のドキドキが忘れられずに、また違う人を追い求めることがあります。

幻想を追いかける人・・つまり「幸せになりたい人」は、このような繰り返しをしているということです。

もちろん、そのような気持ちも楽しいかもしれませんが、それは本質的な幸せではないように感じます。

幸せを願うことが自分の苦悩を生むのだと気づくことが、孤独になった人の考えかたではないでしょうか。

しかし、孤独な人には、「それに気づくな」というアドバイスが、常についてくるように感じます。

それとのたたかいは、永遠に続くのでしょうしそれも、孤独である故の使命と言えるかもしれません。


以上で、孤独を味方にする方法、を終わります。

ありがとうございました。

今回、参考にさせていただいた書籍です☺️


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