今回は、動画より先にブログを書いてみようと思います。
流れにそって生きるとは、どう言う意味でしょうか?
そのほかにも、「時の流れに身を任せ」と言うような歌のタイトルや、
またまた、「置かれた場所で咲きなさい」と言うような書籍のタイトルもあります。
これは、納得できるようで、実はよくわからない・・と感じる人も多いのではないでしょうか?
と言うことで、今日は、この「流れにそって生きる」について、考えてみたいと思います。
この、「流れにそって生きる」ような考え方は、悩める人が誤解しやすいテーマだと、私は思ってます。
なぜなら、悩める人はまず「自己犠牲」を思い浮かべるからです。
その理由は、「今まで自己犠牲の上で自分の居場所を得ていたから」だと思います。
「私さえ我慢していれば、この関係はうまくいく」と言うようなイメージです。
これは、明らかに機能不全の状態です。
しかし、それがあなたの居た場所のルールであったのではないでしょうか。
つまり、タイトルの「流れにそって生きる」と聞けば、「私が我慢をしてその人たちのいいなりになる」と言うことをイメージしやすいと考えます。
・・・それって、最悪ですよね?
卵が先か、ニワトリが先かになってしまいますが、だからこそ、生きにくいのだと思います。
「流れにそって生きなさい」と唱える人は、いわゆる立派な人だと思います。
だからこそ、その居場所が適切なものだと言う「大前提」があるような気がします。
そこが、地獄のような場所だとは想像もしないからこそ、「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉が出てくるのだと思います。
だから、悩める人は、これを翻訳していかないといけなくなります。
つまり、このような自分の環境に逆らうなと言う考えは、自己犠牲を勧めるものではないと言うことです。
もし、自分の立場が危険になりそうな人間に囲まれているならば、当然ですが、そこから逃げ出すなり、自分の立場を守るために戦う必要も出てきます。
私は山登りはしませんが、なぜ山に登るかと言うと、その過程が楽しいと言うよりも、目指す目的、つまり山頂にたどり着いた時の「達成感」とか「気持ちよさ」などを求めているのではないかと想像します。
それで言うと、辛い途中の道のりも、山頂でのご褒美が待っているからこそ頑張れる、と言うことです。
これに、悩める人を当てはめると、ずっと辛い途中の道のりで、崖のようなところにしがみついている状態なのかもしれません。
もちろん、その先に進めない数々の理由があるのでしょう。
でも、そこにいる限りは、辛いのが当然であり、タイトルの「流れにそって生きなさい」のように、それが当然の流れなのだと思います。
つまり、あなたがいる場所は、「まだ途中である」と気づくことです。
居心地の悪い傾斜のある場所を、自分の安住の地にしないと言うことです。
だからこそ、その場から離れて自分の安住の地を探すことが重要です。
そして、その場を苦労して見つけられたら、とりあえずは自分にも他人にも高望みはせずに、それこそ「流れにそって生きなさい」と言うことだと思います。
その場とは、どんな場所でしょうか?
あなたを否定しない人がいる場所です。
これからは、そんな場所を探してください。
今までは、あなたを否定する人から、否定されないように生きてきたと思います。
それはうまくいってますか?
一向に否定ばかりされていませんか?
そうなんです。
否定をする人は、あなたがどんなに生まれ変わっても、否定するのです。
なぜなら、否定するのは、相手が悪いのではなく、否定しないと生きれられない本人の都合、つまり生きる姿勢なのです。
そのことで、自分の居場所をキープしているのです。
「良きアドバイザー」だと勘違いしているかもしれません。
ただ、その居場所は、山頂などの快適な場所ではありません。地下の湿った不快な場所だと思います。
つまり、いくら生きるためでも、あなたは、このような人に従属してはいけないと言うことです。
理解していただけましたか?
つまり今日の話をまとめると、「流れにそって生きなさい」には、その前に、「自分の居場所を見つけなさい」が入るのだと、私は考えています。
ありがとうございました。
また、動画には具体的な方法などを付け足しますので、詳しくは動画でご覧ください。
※かなり追加しました(・・;)
本当の自分を知る方法