以前に「復讐したい」「復讐したい」とやたら連呼する人がいて、ちょっと驚いたのですが、タイトルのように、復讐をすると決めると、ワクワクしてやる気が出てくる人が研究的にも多いようです。(読んだ本をリンクしておきます→自信過剰な私たち)
そうならば、私の心のどこかにも「復讐したい」という気持ちがあって、日々何かに少しづつ復讐しているのかもしれません 😈
では、どうして人は、復讐をしたくなるのでしょうか?
私は、依存と敵対心が大きく関係していると思います。
依存と敵対心とは、全く逆のようにも思えます。
例えば、すごく人懐こく積極的に絡んできた人が、その人の思う反応をしないと(多分、反応を最初から想定しているはず)、今度は強烈に怒ってくる、などはよくあることです。
妄想的な恋愛などでもそうですね・・。
これも、依存と敵対心です。
依存の結果、期待した報酬がないので、今度は敵だ!となるのです。
「勝手に依存(期待)しながら、報酬がないと切れるなんて!」という正論は置いておいて、このような思考が自動的に〜流れるように〜出てくるのだと思います(まさしく自動思考)。
このことからも、依存の強い人が、生きづらさを感じる理由が、すけて見えてきます。
このように、相反する感情(両価感情)を共存させたままで生きているのが、そもそもストレスなのだと思います。
依存したい人に敵対心を持つのも・・
敵対心を持つ人に、依存しようと思うのも・・
どこかに無理があります。
これは、前のブログで「安全基地」の話をしましたが、まさしく「安全基地」を持たない人が陥りやすい思考パターンのように思います。
「安全基地」を持つ人なら、そんな面倒なことしないで、「さっさと切り上げて、自分の居場所へ戻ろう」となるはず。
でも、「安全基地」を持たないなら、そうやって嫌な人に依存したり、依存した相手に復讐したりして、とりあえずの居場所を見つけたり、時間をつぶしをします。
では、どうしたらこのような繰り返しを止めることができるのか?
言ってしまうと簡単だけど、自分の居場所を「安全基地」とまではいかなくても、少しは安心できる場所にすること、ではないでしょうか。
つまり、
- 敵対心を持つ人からは離れる
- 依存する気持ちは、抑えるようにする(自分に依存する)
このような意識化をすると、少しづつ偏った人間関係や思考が、希釈されていくように感じます。
イメージでは汚れた水が、少しづつ新しい水を加えることで、綺麗になっていくような感じです。
一変に変えたくなってしまう気持ちを抑えるのも、大切です。
一変に変えるのは、すぐにさっぱりして気持ちが良いけど、目立つので反対とかを受ける危険もあります。
本当にやりたいことは、しっかりとした計画と、さらにひっそりと始めることです。
ただその前に、自分が依存と敵対心を持っていることに、気づくことですね・・
これが、一番難しいのだけどもっ。