突然ですが・・・
「勇気をくじく態度」ってどんなものだと思いますか?
これは、勇気をくじかれた方へという動画で、このような人が、相手の勇気をくじく・・つまり、勇気を失わせてしまうという話をしました。
勇気をくじく人
1.恐怖によって何かをさせようとする人
2.悲観的なマイナス思考の人
3.原因志向の人
4.人の話を聴けない人
5.重箱の隅をつつくような人
6.皮肉っぽい人
あなたもこのような人に、しつこくされて、勇気をくじいた経験はないでしょうか?
その逆に、親などが子供にしてしまっている場合もあります。
先日、勇気をくじかれた方へという動画を出した時に、このようなコメントをもらいました。
子供の勇気をくじいたのは私だったんだと気付かされました。
立ち直らせる為に私にできることはあるのだろうか?
ということです。
最初に言っておくと、このように「自分のことだ」と思ってくれる親は、すごく稀です。
つまり、それだけで子供にとっては救われることです。
その上で、このようにコメントをしました。
こちらは、ツイッターでつぶやいたのですが・・・
できることはあると思います!
「信じること」です
子供の能力も、自分の信じる能力も、です
細やかな対処をするよりも、どんと構えて信じる。
こんな感じです。
信じるって何?
・・・て考えていくと、「信じるって何?」となるかもしれないので、信じることについて考えてみました。
「信じる」の反対の言葉は、「期待する」と言っている人がいました。
確かに、しっくりきます。
期待とは、私なりに一言で言うと、見返りを期待するとか、想いが伝わるなどに、期待という言葉がぴったりするように、思いました。
辞書では、このように書いてありました。
ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。
将来それが実現するように待ち構えること。
期待とは、何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと。また、当てにして待つこと。 期待する気持ちのことは「期待感」と言う。期待どおりにならないことを「期待外れ」と言う。
とも書いてありました。
確かに、信じるの反対は、期待かもしれません。
そして、期待は人を苦しめます。
芦田愛菜さんの「信じる」
芦田愛菜さんは、信じることをこのように言われてました。
その人を信じているのではなく、自分が理想とすることに期待しているのではないか。
だから期待とは違うことがあると裏切られたと思うけど、その人が裏切ったわけではなく、見えていないところが出てきた。
それを受け入れられるかが大事ではないかと思いました。
また、このように付け足したそうです。
揺るがない信念を持つのは難しい。
だから理想の人物像にすがりたいのではないかと思いました。
もう素敵過ぎますね。
私なりの信じる
信用と信頼
ここで、私なりの信じるを言葉にしていきたいと思います。
よく、信頼と信用をごちゃまぜにしていることが多くあります。
今回はこの二つから、「信じること」を考えていきたいと思います。
まず、信用とは、信用残高とかあるように、契約とかビジネス上で使う言葉です。
どれだけこの人は支配い能力があるのか、などが信用です。
これは、まず疑いありきなわけです。
それに対して、信頼はかえってこないことも多いはずです。
「信頼したけど裏切られた」という話はよく聞きます。
つまり、信用はあとで裏切られることのないように、四方を固めるための方法。
それに対して、信頼は、あとで裏切られても裏切られた人が納得できる「覚悟」のことだと思います。
つまり、信頼は「信頼しよう」と思うまでが肝心で、あとはあまり関係ないはず。
そりゃあ、関係ないことはないし、裏切られたら辛いけど、それは仕方のないことではないでしょうか。
つまり、人を信頼できる人は、その人の中の問題であり、その信頼をお返しするかどうかは、あまり関係ないと思います。
そう、人を信頼できる時点で、その人は成熟した人間であり、深く考えた結果だと思います。
それはあとで裏切られても、その人の価値は揺らがないのだと思います。
実際に、信じようと覚悟を決めた人は、そのあとのことなど、あまり気にしてないような気がします。
それがたとえ詐欺師であったとしても、「私としたことが・・」と笑って終わらせるように思います。
逆に、信頼ではなく、信用をしていた人は、必死になってお金を取り戻そうとしたりするのかもしれません。
これは、自己責任ということも大きいです。
信用には、自己責任という感覚がないので、お互いに損失なく利益を求め合う。
ただし、人間はそういう欲の深い生き物だから、お互いにフェアになるように、法律などが作られている。
信頼には、そういう規定とか法律はない。
ただ、目の前の人が、自分にとって信頼できるのか、裏切られても許せるのかが大事だと思います。
ただ、このようにいうと、どんな人にも寛容になることが、成熟した人間だと勘違いしてしまう人もいますが、それは違います。
人を信頼できる人が、最初に信頼しようか、やめようかと決めるのは、人生をかけた真剣な勝負だと思います。
だからこそ、後悔がないのです。
つまり、このような人から信頼されるのは、どんな金銭などよりも、深い味わいがあります。
また、自分がそうして信頼できる相手を見つけられたなら、それは生まれてきた意味、とも言えます。
子供と自分を信じること
つまり、最初の話に戻りますが、子供の勇気をくじいてしまったかたに、私がお伝えしたのは、「信じること」でした。
この信じるには、二つの意味があります。
それは、子供の能力と、自分を信じる能力です。
子供の能力を信じる
子供の能力とは、自分の力で立ち直る能力です。
質問された親御さんが、何も支援しなくても、自分の力で勇気を得ていくには、他者の援助が邪魔になることがあります。
まず「自分でやった」という子供の達成感を、取り上げないようにしてください。
きっと、見守るよりも、手出しをしたほうが楽な人が多いでしょう。
でも、信頼があればあるほど、自分の欲のままに動いてはいけないのです。
黙って信じて待つことほど辛いものですが、それは子供にも伝わります。
これが、信じるパワーです。
見せかけではない、本物の信頼です。
子供を信じる自分の能力を信じる
ここで、二つ目の、自分の信じる能力です。
自分に信じる能力がないと、ついつい先に手出しや口出しをして、「あんたがダメだから」などと言い訳します。
これこそが、自分に信じる能力がないのに、それを子供のせいにして言い訳をしている構図です。
これが、まさに、勇気をくじく養育態度です。
もし、本気で子供に立ち直って欲しいなら、「何もしない」そして「信じる」修行を始めてください。
ぜひ、応援していますので、やってみてください。